1970年代後半の博多からは「サンハウス」、「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」、「モッズ」、「ルースターズ」、「ロッカーズ」などのビート・バンドが続々と登場し、メジャー・デビューしてゆきました。「めんたいロック」とも呼ばれたムーヴメントです。
その中の「サンハウス」のメンバーだったギタリスト鮎川誠が率いているバンドが、「シーナ&ザ・ロケッツ」です。
「シーナ&ザ・ロケッツ」は、鮎川誠の愛妻であるシーナをヴォーカルに据えたロック・バンドです。
サンハウスのステージを観たシーナと鮎川氏は、出会ってたちまち意気投合し、すぐに付き合いはじめたといいます。
そのシーナをヴォーカルにしてバンドを作ろうと決意した鮎川氏が、サンハウス解散後に結成したのが「シーナ&ザ・ロケッツ」というわけです。
リズム&ブルースはもちろん、ブリティッシュ・ビートやハード・ロック、ガレージ・ロック、パンク・ロックなどにも影響された硬質なサウンドを特徴としたロックンロール・バンドです。
とりわけ鮎川氏のロック・スピリット丸出しのプレイには定評があります。
ギターを構えて立っているだけでこんなにカッコいい人って、そうそういないですよね。
シーナ&ザ・ロケッツのはじめてのヒットと言えるのが、「ユー・メイ・ドリーム」です。
この曲はロケッツのセカンド・シングルとして1979年12月にリリースされ、翌80年にかけてヒット。オリコン・チャートでは最高20位まで上がり、約20万枚のセールスを記録しています。JALヨーロッパ・キャンペーンのイメージ・ソングでもあったんですね。
この曲はロケッツのセカンド・アルバム「真空パック」に収録されています。
シーナ&ザ・ロケッツの2ndアルバム『真空パック』
歌詞は短いですが、甘くてロマンティック。シーナが夫・鮎川に歌いかけているような典型的なラヴ・ソングです。
サウンドは、作曲にあの細野晴臣が加わっているだけあって、R&Rをベースにテクノ・ポップなどの当時のニューウェイヴのエッセンスを取り入れたポップなロック・ナンバーに仕上がっています。ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」のパロディのようにも思え、どことなく細野氏の遊び心が感じられる気がします。
甘くしなだれかかるようなシーナのヴォーカルはキュート。しかしサビ、エンデングのリフレインでは鮎川氏のロックンロールなギターがハードにドライヴしまくっていますね。
今のシーナは独特のワイルドでハスキーなダミ声がトレード・マークになっていますが、この当時の彼女の声はそれほどしゃがれていなくて、可愛らしい雰囲気を醸し出しています。いくつになってもミニスカートの似合うシーナ、その圧倒的存在感はタイプは違えど、あのティナ・ターナーを連想させてくれるのです。
鮎川氏の存在感も大好きです。
「俺はロックンローラーなんだぞ」という、いかにも力んだ暑苦しいアピール感がないのに、存在そのものが悠然としたロックになっているように思います。そういうところがシビれるくらいカッコいい!
いつだったか、ラーメンか何かのCFに出ていた、ギターを弾く鮎川氏、カッコ良かったなぁ~
「ユー・メイ・ドリーム」は、当時はディスコでもよくかかっていたそうですね。
そういえばこの曲がヒットした1980年前後はテクノ・ポップが流行し始めた頃で、「YMO」をはじめ、「ヒカシュー」、「プラスティックス」、「ジューシー・フルーツ」、「P-MODEL」などのテクノ・バンドが続々と名乗りをあげていたような記憶があります。
「ユー・メイ・ドリーム」がYMOの協力で制作されてたこと、そしてこの曲がテクノっぽい作風だったことから、ロケッツも当初はテクノ・ポップのフォロワーみたいに思われていたようです。
今年でシーナ&ザ・ロケッツも結成30年。鮎川氏も60歳になるんですね。でもまだまだロックンロールし続けてほしいバンドのひとつであります。
[歌 詞]
◆ユー・メイ・ドリーム
■歌・演奏
シーナ&ザ・ロケッツ/Sheena & The Rokkets
シーナ(vocals)
鮎川誠(guitars, vocals)
浅田孟(bass)
川嶋一秀(drums)
■リリース
1979年12月5日
■作詞
柴山俊之& Chris Mosdell
■作曲
鮎川誠 & 細野晴臣
■編曲
シーナ & ザ・ロケッツ
■チャート最高位
1980年週間シングル・チャート オリコン20位
【追記】
2015年2月14日、子宮頸癌のためシーナが死去。61歳。
2023年1月29日、膵臓癌のため鮎川誠が死去。74歳。