ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

音楽を聴くことは、演奏者の意図の当てっこゲームではない

2017年05月10日 | 価値観
                          ♪ことしのゴールデン・ウィークは終始好天に恵まれました。おかげであちこち賑わったようですね。


【Live Information】



 終演後、演奏を気に入ってくださった方から話しかけられることがあります。

 その時に、演奏そのものについて尋ねられたりもします。

 「あの時、こんな感じを受けました」

 「あの時、こんなふうに思いながら弾いていたでしょう?」とか。

 (聴きに行った時のぼくも、ミュージシャンの方にそういうふうに声をかけることがあります)



 正解の時もありますが、「いや、あれは実はこうこうだったんですよ」とお答えすることもあります。

 すると、バツがわるそうにされる方がいらっしゃいます。
 
 が、気にしないでください。

 演奏後の感想は、「演奏者の意図の当てっこゲーム」ではないのです。

 当たり外れは重要ではないのです。



 演奏者からすると「ちょっとそれは違うんだけどなあ・・・」ということをさも演奏者が語ったかのように吹聴したり、

 自分の感じ方を「唯一の正解」として他の方に押し付けるのはどうかと思うけれど、

 基本的に受け取り方は自由だと思うのです。

 自分が感じたように聴くのが、その時の「聴く側にとっての正解」ではないでしょうか。



 「聴く側にとっての正解」は、たしかに演奏者の意図を正確にくみ取ってないこともあるでしょう。

 しかし、感じ方は聴き手の自由だと思うし、

 それが演奏者の意図と違っても、「いろいろな感じ方があるんですね」で済む話だと思うんです。

 自由に聴き、自由に感じることは大切だし、それはとても楽しいことです。


 
 いろいろ聴いてゆくうちに、自分の耳も感性も育つでしょう。

 そして何年も経つとまた違った感じ方ができるようになってゆくのだと思うのです。

 
 
 
 


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