令和5年7月22日(土)
三島市: 三嶋(三島)大社
三島大社総門より詣る。
三島大社総門より詣る。
<総門(外構えの門)>
二度目の参拝。
この総門は、
竣工中に伊豆地震に見舞われ、
昭和6年に竣功。
旧総門は、一部改修し、
芸能殿として保存される。
ご祭神は、
大山祇(おおやまつみ)命と
積(つみ)羽(は)八重事(こと)代(しろ)
主神(ぬしのかみ)の御二柱の神を
総じて三嶋大明神と称する。
創建の時期は不明。
創建の時期は不明。
<社殿>
古くより三島の地に鎮座し、
奈良・平安時代の古書にも
記録が残っている。
三嶋神は東海随一の神格。
平安時代中期「延喜の制」では、
「名神大」に列格され、
社名・神名の「三嶋」は、
地名ともなる。
中世以降、武士の崇敬、
中世以降、武士の崇敬、
殊に伊豆に流された源頼朝は
深く崇敬し、源氏再興を祈願。
神助を得てこれが成功するや、
神助を得てこれが成功するや、
社領神宝を寄せ益々崇敬され、
その神宝の中でも、頼朝の妻、
北条政子の奉納と伝えられる
国宝「梅蒔絵手箱及び内容品一具」
は、当時の最高技術を結集させた
ものとして知られている。
<天然記念物のキンモクセイ>
頼朝旗揚げ成功以来、
武門武将の崇敬篤く、
又、東海道に面し、
又、東海道に面し、
伊豆地方の玄関口として
下田街道の起点に位置し、
伊豆国一宮として
三嶋大明神の称は広く天下に広まる。
境内ガイドを参照し、
境内ガイドを参照し、
道一つ離れてある伊豆魂神社へ。
<伊豆魂神社入り口>
<伊豆魂神社社殿>
芭蕉句碑は社殿右に。
<芭蕉句碑と説明>
<芭蕉句碑>
句は、
「どむみりと
「どむみりと
あふちゃ雨の
花曇」 。
元禄7年。
『芭蕉翁行状記』には、
「しどけなき道芝にやすらひて」
と前書きし、
終の旅の箱根の関と
島田との間に出す。
意は、
「疲れ切ってしどけなく道芝に
足を投げ出して空を見上げると、
樗(おうち)の花が
薄紫色に咲いている。
空はどんよりと
雨雲が垂れ込めている。」