令和5年7月24日(月)
沼津市: 浄 因 寺
伝えによれば、
伝えによれば、
聖武天皇、神亀元年(724)
行基菩薩により建立されたという。
<山門>
1700年代と、
1850年頃の2度にわたる
火災のため、
草葺き屋根の庫裡と
土蔵造りの羅漢堂、山門を残し、
全ての堂宇を消失。
焼け残った庫裡を改造し、
焼け残った庫裡を改造し、
仮の本堂として粗末な建物の
ままだったのを、
昭和41年に新築。
<本殿>
境内を手入れされていた
80代の男性の方が、
「この本殿は、鉄筋コンクリート造り。
しかし、屋根の部分の資金がなく、
平らな屋上となる。
毎年、雨漏りがひどく大変だったが、
といを付け、補修してやっと
雨漏りはなくなる。
句碑が多いのは、
ある住職が物好きな方で、
退職金を使って句碑を建てる。」
と説明してくださる。
芭蕉の句は、
大顛和尚の訃報を道中で知り、
白梅に譬え、
弔意を句に託す。
<芭蕉句碑>
「梅こひて
卯の花おかむ
なみだ哉」。
蕉門十哲の第一の俳人、
蕉門十哲の第一の俳人、
榎本其角、
後の宝井其角の句碑もあり。
<其角の句碑>
「三日月の
命あやなし
闇の梅」
<大顛和尚句碑>
大顛和尚句碑の句は、
「礼者門を
敲くしだらく
花明らか也」 。
大顛和尚は、
大顛和尚は、
円覚寺代163世で高徳の和尚。
其角参禅の師でもある。