貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

厚木市本立寺 申塚の芭蕉句碑と丈水の郷土愛!

2023-07-03 10:35:42 | 日記
令和5年7月3日(月)
厚木市: 本 立 寺    
<本殿>
 
 本殿前にでーんと恰幅のよい青銅像、
 日蓮上人かな? 
 ここは、厚木市猿ヶ島。
 昔話に出てきそうな地名。
 但し、島ではない。
 句碑は参道入り口左側、
銀杏の下枝に覆われた処にある。

 伸び放題の徒長枝を碑の後ろに
祓い、句碑に正対。
 比較的新しい二段の台石の上に、
先端の丸い円柱状の石が立っている。
 高さは80センチ程。
<芭蕉句碑>

 その右奥に立て札がある。

 芭蕉句碑の                  
説明である。その説明によると、
「郷土の俳人五柏園丈水が、
天明八戊申に猿が島と、
申年にちなんで建立した
俳聖松尾 芭蕉の句碑である。
 丈水は本名を大塚六左衛門武喜と
稱し申(ママ)州武田の家臣で 
猿が島に土着して名主を勤める
など郷土の開発に貢献。」
とある。
 『厚木市史』や
『あつぎ子ども風土記』によれば、
丈水は猿ケ島村の名主で、
本名は大塚六左衛門武嘉。
 相模国から武蔵国にかけ、
数百人の門人を抱えており、
小林一茶とも交流があったという。
 芭蕉の句は、
「年々や 
  猿耳きせた類 
    さ流の面ン」
 正月の芸能のひとつ、
猿回しで猿が猿のお面を着けている
様子を見て
「年が明けても人間そのものは
変わらない」
という意。
 建立の時、
この句を発句として
『猿墳集』が編まれたという。
 これが、「申塚」である。
 昔から洪水に悩まされてきた猿ケ島。
 苦難の歴史の中でも、
そこには丈水による文化の香りが
息づく。