貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

生家の有る無し

2019-12-20 10:05:58 | 日記

生家の有る無し

令和元年12月20日

 息子の嫁さんのおばあ

ちゃんが急逝。

 通夜式に参列。

発展途上のつくばみらい市の

葬祭場へ。

 八十後半の方に、参列者が

百人をゆうに超える賑やかさ。

 導師のお坊さんの通夜式の

本来の姿やその次第と由縁をわかり

やすく諭しながら進行。

 進行の方の語りも詩的で、亡く

なられた方の人柄に添ったもの。

 そして、生のキーボード演奏と

しっとりした中にも祭りに相応しい

明るさを醸し出していた。

 久しぶりによい通夜式を味わう。

 地域性のよさ。

 是非大事に育てていってほしい!

 さあ、芭蕉の生家へ。

 二回目の訪問は工事中。

 一回目の生家訪問。

 次男として生まれた芭蕉の生家

である。 

 受付の50代の女性が、いろいろ

と分かりやすく、そしてちょっと

文学的に説明してくれる。

  ちょっとゆったりした気分

にもなり、味わいも深くなる。

  上がり口には、小型の芭蕉が

「いらっしゃい。」と

出迎えてくれる。


   この家で生まれた芭蕉は、

29歳までここで過ごす。 

 私の生家は、両親を東京へ

呼んだので、今は跡形もない。

 小中学校も今はない。

 伊勢へ行っても何か寂しい。

 生家の有る無しは、

老いの身を一層・・・・?


忍者変身処

2019-12-19 08:57:05 | 日記

忍者変身処

令和元年12月19日

 一日おきの寒暖の大差が

続く。

 体感も忍者の如く!

伊賀上野公園を出て、だんじり

会館へ。

 上野天神宮の秋祭り

「上野天神祭」で使われる

だんじり3基と、全国的にも

珍しい鬼行列を再現展示。

 またハイビジョン映像で、

臨場感あふれる映像と音響

も体感できる。

  「忍者変身処」もある。

 このだんじり会館の前庭に、

芭蕉句碑がある。


 

 蕉の句碑には、

「自然(じねん)」

という文字が彫られ、 

「まゆはきを

 俤にして 

  紅粉の花」

という句が、

ドナルド・キーンさんの英訳で

 "They make  me  recall  A lady's   powder 

  puff   These  saffron  blossoms . " 

と記されている。

 今年亡くなられたドナルド・キーン

さんの追悼碑になる。

 我が影も映っている。


忍者も上る高石垣の名城

2019-12-18 08:53:01 | 日記

忍者も上る高石垣の名城

 令和元年12月18日

 忍者も上る高石垣の名城。

伊賀上野城!

 天正13年(1585)に筒井定次が

平楽寺・薬師寺のあった台地に

近世城郭としての伊賀上野城を

築く。

 菊岡如幻の『伊水温(いすいうん)故(ご)』

によれば、城は高丘の頂上を本丸、

東寄りに三層の天守閣を建てたよう。

 城下町は北側(現在の小田町)を中心

とする。


 

 慶長13年(1608)6月、

筒井定次は改易となるが、

天守閣は、寛永10年(1633)

頃に倒壊。

 慶長13年(1608)8月、

家康は、伊予の国(現 在の愛媛県)

宇和島城主であった藤堂高虎に、

伊賀 の国10万石・伊勢の内10

万石、伊予の内2万石、

合わせて22万石を与え国替え

させる。

 高虎が家康の信任が厚く、築城

の名手でもあり、大坂・豊臣方との

決戦に備えるための築城。

 筒井定次の城が大坂を守る形を

とっていたのに対し、

高虎は、大坂に対峙するための城

として築く。

 慶長16年(1611)正月、

本丸を西に拡張し、高さ約30メー

トルの高石垣をめぐらして

南を大手とする。

 大阪城と並ぶ高石垣でも有名!

 五層の天守閣は、建設中の慶長

17年(1612)9月2日、

当地を襲った大暴風で倒壊。

その後、外郭には、10棟の櫓

(二重櫓二棟、一重櫓八棟)と

長さ21間(約40m)という巨大

な渡櫓(多聞)をのせた東西の

両大手門や御殿などを建造。

 慶長19年(1614)の大坂冬の陣

、その翌年の夏の陣で豊臣方が敗れる。

 その後、幕府は城普請を禁じたため、

伊賀上野城では天守閣が再建されない

まま伊賀国の城として認められ、

城代家老が藩政をあずかることに。

 幕末まで国替えなく、この地を収

める。

 現在の復興天守閣は、当地選出の

代議士、川崎克が多くの支援者の協力

を得ながら私財を投じて藤堂氏の天守

台に建てたもの。

 昭和7年(1932)に着工し、

昭和10年(1935)10月18日に

竣工する。

 木造三層の大天守と二層の小天守

からなる複合式天守の”昭和の城”は、

伊賀地域の文化と産業の振興の拠点

として「伊賀文化産業城」と名付け

られる。

 「白鳳城」とも呼ばれるほどの

優雅な白というのが、実感!

 天守閣からの伊賀市の町並みも

また佳し!

 天守閣の天井には、青梅の

川合玉堂の日本画もある。

そして、

 忍者の装束に身を包んだ家族や

外国の恋人(?)など見れ、忍者の町、伊

賀市を満喫!
 
 忍者屋敷のショーは、本物で、

迫力がある。

 英語で喋ったりするので、海外の

人にも人気!

 くノ一忍者も実演。

 

 


感動の初拝顔!

2019-12-17 08:58:25 | 日記

感動の初拝顔!

令和元年12月17日

 しっとり濡れる朝、歩行禅!

 見事に伐採された崖道もちょっと

恐怖を感じる・・・。

 大樹と緑が、壁となり安心感を

与えていたんだなあと伐採された

樹木に感謝する。

 さあ、今朝は伊賀上野公園散策。

  俳聖殿へ。

  なんとなく厳かな空気に包まれる。

 二度目だが、こんな気分は初。

 俳聖殿だ。

 芭蕉生誕300年を記念する

木造建築物。

 昭和17年(1942)に建築家

伊東忠太の設計で建設される。

 外観は、川崎克の着想を元に

伊東忠太が仕上げたものであり、

松尾芭蕉の旅姿を模したもの。


 上層の屋根が笠、

下部が顔、

下層のひさしは蓑と衣姿、

堂は脚部、

回廊の柱は杖と脚を表している。

 下層八角形平面、

上層円形平面の木造建築であり、

屋根は桧皮葺である。

 内部には芭蕉祭当日に表彰される

顕詠俳句特選句が飾られている。

 芭蕉の命日である10月12日

には、伊賀市により芭蕉祭が行われ、

安置されている大伊賀焼の等身大

の『芭蕉坐像』(川崎克の作)が

公開される他、俳句の優秀作品等

が表彰される。

 初めて観る芭蕉座像!

 暗くてちょっと見にくいが・・・。

 伊賀焼そのもの。

 気持ちも高ぶってくる。

 平成20年(2008)3月19日、

三重県の有形文化財(建造物)に

指定、2年後には、国の重要文化財

に指定される貴重な建造物となる。

 唯一無二!

 看取れてしまう建物だ。

俳聖殿由緒の説明もある。


着用可能、芭蕉の服装

2019-12-16 09:04:28 | 日記

着用可能、芭蕉の服装

令和元年12月16日

 昨夕、やっと年賀状が仕上がる。

 いつも一言書きをするが、今年は

4・5文。ちょっと長かったので、

時間も費やしたかな?

 そろそろ年賀状も卒業と

思いながら数年。

 なかなか吹っ切れず、減らす

ことのみの努力のみ!

 さあ、今朝は忍者の姿にもなれる

伊賀上野公園に入る。

 入ってすぐ、芭蕉翁記念館。

 企画展は、「芭蕉と絵」。

 昭和34年(1959)神部滿之助氏

の篤志寄付により俳聖芭蕉翁を

顕彰する事業のひとつとして建設。

 館内の芭蕉文庫には翁の真蹟を

はじめ近世から現代に至る連歌

俳諧に関する資料等が数多く

保存されている。

 2回目の訪問。

 芭蕉像も実物に近いのだろう!

 入口付近だけ撮影許可を戴いたので、

写真に残す。

 そして、その手前に、当時の芭蕉

の思いに浸れるよう、服装まで用意。

 着用可能だったが、展示物など

もう一度詳細にと・・・展示室へ。

 じっくり展示物を鑑賞。

 一筆書きなどの絵や真筆のもの

等、俳聖、文人の素晴らしさに

感嘆。

 

 

 庭に出ると、半球に咲く

風情ある朝顔に驚嘆。


 

 こんな咲かせ方も粋!


「伊賀人に 

  親し翁も 

    冬霧も」

 顕彰会の人の作か?