貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

「あかし」ではなく「めいせき」と呼ぶお寺(第43番札所)

2022-12-03 10:58:46 | 日記
令和4年12月3日(土)
第43番 西予市: 明石(めいせき)寺  
 当寺は、「めいせきじ」と呼ぶ。

「あかしじ」ではない。
 欽明天応の勅願により、
行者・円手院正澄が
千手観世音菩薩を安置。
 七堂伽藍を建立したのが始まりと
伝えられている。
<仁王門>

 天平六年(734)には、
寿元行者が紀州熊野から
十二社権現を勧請し、
十二坊を建てて修験道場となる。
 弘仁十三年(822)、
嵯峨天皇の勅願により、
弘法大師が荒廃した伽藍を再興して、
四国霊場に定める。
 建久五年(1194)には、
源頼朝が命の恩人である
池禅尼の菩提を弔うため、
阿弥陀如来像を安置。
 経塚築いて堂宇を再興し、
山号を「源光山」と改める。
 室町時代には西園寺氏の祈願所となり、
寛文十二年(1672)に、
宇和島藩主・伊達宗利が菩提寺として
現在の御堂を建立。

 仁王門の右手に延命地蔵堂があり、
尊像は子育てと病気平癒祈願の
ご利益を授かる仏様。

 特に耳の病に霊験があり、
産後の母乳もよく出ると、
昔から信仰されている。

 地元では、
「あげいしさん」
と親しまれる明石寺。
 その昔、
若く美しい娘が深夜に願をかけながら
大きな石を運んでいた。
 ところが、天邪鬼が鶏の声を真似て
鳴いたのを夜明けと思い驚き、
消え去ってしまう。
 この女性は
千手観世音菩薩であると伝えられ、
ご詠歌の
「聞くならく千手の誓いの不思議には 
 大磐石もかろくあげいし」
もこの故事から来ている。
 本堂の屋根は、珍しい茶系の釉薬瓦。
 正面に出鼻獅子、左右にバク、
中央に龍を配し、懸魚の鳳凰が見事。
 大師堂、仁王門ほか八棟が

登録有形文化財の指定を受けている。



太平洋の架け橋となる?オンリーワン!!! <毛越寺最終章>

2022-12-02 11:53:59 | 日記
令和4年12月2日(金)
 芭蕉の句碑に辿り着く。

 句碑は、
新渡戸稲造氏の英訳の碑。 
 英訳の碑は初物で、オンリーワン!
 元禄2年、
1689年5月13日に
この地を訪れた松尾芭蕉が、
この悲運の義経を偲び、
あの有名な句を詠む。
「夏草や 
  兵どもが 
    夢の跡」

 新渡戸稲造氏の英語俳句は、                          「The summer grass
   'Tis all that's left
   Of ancient warriors' dream.」  
                              
 新渡戸稲造氏は、
岩手県出身の教育学者・農学者。
 「われ、太平洋の架け橋とならん」
という大志を抱き、
国際平和に貢献、
「国際連盟の輝く星」と賞讃され、
日本の誇りとする人物である。

 臨池伽藍跡と浄土庭園を
のんびり、ゆったり廻り、

世界遺産になった恩恵も
同時に味わう。



いろいろな跡地の探索と遣り水を目の当たりに!

2022-12-01 10:47:11 | 日記
令和4年12月1日(木)
 築山から入り、蓮の花、



そして、花菖蒲園を散策。

 
 数年前に、
杜若と菖蒲との違いについて学んだが、
未だにあやめとかきつばたとしょうぶ
の花の句別がつかない。 
 花菖蒲園では、分かるような説明図。
 
 
 花菖蒲は、日本自生の植物だそう。
 湿潤な土地を好むが、
池や沼の植物ではなく、
陸地の植物。
 昭和28年町民の発案により栽培。
 明治神宮より 
100種100株を分けて貰い、
現在では300種 3万株の菖蒲園
になったという。
 専門に手入れをしておられる方がいた。


 開山堂、嘉祥寺跡、講堂跡、
金堂圓隆寺跡、鐘楼跡など廻り、


山水を池に取り込んだ遣り水を楽しんだ。

 荒磯の風情を表現した出島と
池中立石も印象に残る。
 
 そして、芭蕉の句碑へ。