令和4年12月3日(土)
第43番 西予市: 明石(めいせき)寺
当寺は、「めいせきじ」と呼ぶ。
当寺は、「めいせきじ」と呼ぶ。
「あかしじ」ではない。
欽明天応の勅願により、
欽明天応の勅願により、
行者・円手院正澄が
千手観世音菩薩を安置。
七堂伽藍を建立したのが始まりと
伝えられている。
<仁王門>
天平六年(734)には、
寿元行者が紀州熊野から
十二社権現を勧請し、
十二坊を建てて修験道場となる。
弘仁十三年(822)、
嵯峨天皇の勅願により、
弘法大師が荒廃した伽藍を再興して、
四国霊場に定める。
建久五年(1194)には、
建久五年(1194)には、
源頼朝が命の恩人である
池禅尼の菩提を弔うため、
阿弥陀如来像を安置。
経塚築いて堂宇を再興し、
山号を「源光山」と改める。
室町時代には西園寺氏の祈願所となり、
室町時代には西園寺氏の祈願所となり、
寛文十二年(1672)に、
宇和島藩主・伊達宗利が菩提寺として
現在の御堂を建立。
仁王門の右手に延命地蔵堂があり、
尊像は子育てと病気平癒祈願の
ご利益を授かる仏様。
特に耳の病に霊験があり、
産後の母乳もよく出ると、
昔から信仰されている。
地元では、
「あげいしさん」
と親しまれる明石寺。
その昔、
その昔、
若く美しい娘が深夜に願をかけながら
大きな石を運んでいた。
大きな石を運んでいた。
ところが、天邪鬼が鶏の声を真似て
鳴いたのを夜明けと思い驚き、
消え去ってしまう。
この女性は
この女性は
千手観世音菩薩であると伝えられ、
ご詠歌の
「聞くならく千手の誓いの不思議には
ご詠歌の
「聞くならく千手の誓いの不思議には
大磐石もかろくあげいし」
もこの故事から来ている。
本堂の屋根は、珍しい茶系の釉薬瓦。
正面に出鼻獅子、左右にバク、
もこの故事から来ている。
本堂の屋根は、珍しい茶系の釉薬瓦。
正面に出鼻獅子、左右にバク、
中央に龍を配し、懸魚の鳳凰が見事。
大師堂、仁王門ほか八棟が
登録有形文化財の指定を受けている。