☆友人からメールを頂いた。
名前を出すのはやめようかなとも思ったけど、私ならば、自分の意見に名前を出してもらった方が嬉しいので、名前を出します。
ネット上及び、実生活でも懇意のMUTIさんからの知らせである。
◇
<・・・さて、以下のニュースはご存じですか?
<携帯ストラップ>回天・桜花の販売中止 ネットに批判続出(1月20日15時1分配信 毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100120-00000051-mai-soci
私は、「不謹慎だ」という言葉でこういった商品を取り締まろう、否定しようという発想が嫌いです。
敗戦直後に、具体的な説明無しで教科書に墨を塗らせたり、教育勅語を、どこがどのように悪いのか具体的な指摘なしで廃止決議したり、「言葉狩り」を求めるのと同様の物を感じます。
吉田満という、戦艦大和の生き残りで、回天の訓練を受けている時に敗戦をむかえ、「戦艦大和の最期」を書いた方がいます。
この方が書かれた回天の話を読んだことがあります。
(題名は思い出せません。エッセイ・コラム集で、その中の一つだったと思います。)
ほとんどの回天の搭乗員は、小さなマスコットを何らかの方法で入手して、それを、約1.5トンの炸薬の後にある自分の死に場所、文字通りの散華場所である回天の操縦席にぶら下げていたそうです。
敵に見つからぬよう、波間から瞬間的に小型の潜望鏡をだし、その限られた視野から一瞬で目標となる敵艦をみつけ、その進路と速力を把握、目標の未来位置を計算し、時々潮流による誤差を修正し、自分もろとも体当たりをするための進路を維持する。
容易なことではありません。
そして、もともと魚雷だったものを改造した回天の操縦性は、決して良いものではなく、このことと相まって任務達成のためには、過酷な訓練が回天の搭乗員には必要であったといいます。
またそれは、自己の消滅に直結する訓練であり、搭乗員には言葉にすることが不可能な、
尋常ならざる精神の緊張が必要であったといいます。
そんな中、回天の搭乗員は、どういう気持ちでマスコットを回天の操縦席に持ち込もぶら下げたのか、どういう気持ちで、そのマスコットを見たのか。
とても思いはかることが出来ませんが、おそらくそのマスコットは、彼らがそのために命をささげる「この世」と、死の世界に向かう彼らをつなぐ支えであり、なぐさめであったのではないでしょうか。
今回の「騒動」をしって私は吉田満が紹介していた
上記のエピソードを思い出さずにはいられませんでした。
浅はかな「不謹慎」という言葉で、こういった商品をなくしてしまう。
ないことにしてしまう。
英霊が、寂しがっておられるのではないか、と私には案ぜられる次第です。
これも私個人の勝手な思い込みかもしれませんが。
(Wikipediaの「回天」(クリック!)の記事が比較的まとまっています。) ・・・>
(写真はネット上で拾いました^^)
◇
私はキューピーちゃんが大好きで、かなりの数のキューピー人形を持っていますが、このアクセサリー系のキューピーちゃんはあまり持っていない。
難しい問題です。
一日考えて、3つのポイントを答えとして出しました。
1・大らかなる特攻で戦死した英霊たちは、かようなマスコットを見て、苦笑いしつつ喜ぶでしょう。
2・そして、MUTIさんのように想う人もいるでしょう。
3・だけども、これを作った人は、「1」や「2」のような思いで製造したのか?
私は、この製品を企画した者は、「1」や「2」を考えて作ったとは思えない。
故に、排されるもやむなしと考えます。
(2010/01/26)
名前を出すのはやめようかなとも思ったけど、私ならば、自分の意見に名前を出してもらった方が嬉しいので、名前を出します。
ネット上及び、実生活でも懇意のMUTIさんからの知らせである。
◇
<・・・さて、以下のニュースはご存じですか?
<携帯ストラップ>回天・桜花の販売中止 ネットに批判続出(1月20日15時1分配信 毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100120-00000051-mai-soci
私は、「不謹慎だ」という言葉でこういった商品を取り締まろう、否定しようという発想が嫌いです。
敗戦直後に、具体的な説明無しで教科書に墨を塗らせたり、教育勅語を、どこがどのように悪いのか具体的な指摘なしで廃止決議したり、「言葉狩り」を求めるのと同様の物を感じます。
吉田満という、戦艦大和の生き残りで、回天の訓練を受けている時に敗戦をむかえ、「戦艦大和の最期」を書いた方がいます。
この方が書かれた回天の話を読んだことがあります。
(題名は思い出せません。エッセイ・コラム集で、その中の一つだったと思います。)
ほとんどの回天の搭乗員は、小さなマスコットを何らかの方法で入手して、それを、約1.5トンの炸薬の後にある自分の死に場所、文字通りの散華場所である回天の操縦席にぶら下げていたそうです。
敵に見つからぬよう、波間から瞬間的に小型の潜望鏡をだし、その限られた視野から一瞬で目標となる敵艦をみつけ、その進路と速力を把握、目標の未来位置を計算し、時々潮流による誤差を修正し、自分もろとも体当たりをするための進路を維持する。
容易なことではありません。
そして、もともと魚雷だったものを改造した回天の操縦性は、決して良いものではなく、このことと相まって任務達成のためには、過酷な訓練が回天の搭乗員には必要であったといいます。
またそれは、自己の消滅に直結する訓練であり、搭乗員には言葉にすることが不可能な、
尋常ならざる精神の緊張が必要であったといいます。
そんな中、回天の搭乗員は、どういう気持ちでマスコットを回天の操縦席に持ち込もぶら下げたのか、どういう気持ちで、そのマスコットを見たのか。
とても思いはかることが出来ませんが、おそらくそのマスコットは、彼らがそのために命をささげる「この世」と、死の世界に向かう彼らをつなぐ支えであり、なぐさめであったのではないでしょうか。
今回の「騒動」をしって私は吉田満が紹介していた
上記のエピソードを思い出さずにはいられませんでした。
浅はかな「不謹慎」という言葉で、こういった商品をなくしてしまう。
ないことにしてしまう。
英霊が、寂しがっておられるのではないか、と私には案ぜられる次第です。
これも私個人の勝手な思い込みかもしれませんが。
(Wikipediaの「回天」(クリック!)の記事が比較的まとまっています。) ・・・>

◇
私はキューピーちゃんが大好きで、かなりの数のキューピー人形を持っていますが、このアクセサリー系のキューピーちゃんはあまり持っていない。
難しい問題です。
一日考えて、3つのポイントを答えとして出しました。
1・大らかなる特攻で戦死した英霊たちは、かようなマスコットを見て、苦笑いしつつ喜ぶでしょう。
2・そして、MUTIさんのように想う人もいるでしょう。
3・だけども、これを作った人は、「1」や「2」のような思いで製造したのか?
私は、この製品を企画した者は、「1」や「2」を考えて作ったとは思えない。
故に、排されるもやむなしと考えます。
(2010/01/26)