蒸気機関車の末期の頃は腕木式信号機は残っていた。
日豊線や伯備線、播但線にも残っていた。
いずれ姿を消すであろうとは想像できた。
しかし、腕木式信号機だけは撮っていない。
列車あっての信号機、必ず列車をいれて信号機を撮った。
まさしく昭和の風景である。
今度、昭和の遺物のテーマで写真展をする。
平成の時代になり昭和を撮っていない事に気付いた。
昭和の時代にちゃんと撮影テーマを決めて撮り残さなかったかとくやまれる。
人間は年齢を重ねるに従いいままで趣味らしいこともせず何も人に自慢できるものもない事にに気付く。言葉としては60の手習いという言葉がある。もてあます時間と金も持っている、健康で体力もある人は失われた過去を取り戻そうとする。リタイア組の行動力はすさまじいものがある。
しかし、テーマによっては過ぎ去った過去の30年、40年はあまりにも大きい0.800メートル競走で一周遅れでスタートするほどの差がある。
写真は日田英彦山線の後藤寺駅、線路が分岐しているので信号機も多い。
日豊線や伯備線、播但線にも残っていた。
いずれ姿を消すであろうとは想像できた。
しかし、腕木式信号機だけは撮っていない。
列車あっての信号機、必ず列車をいれて信号機を撮った。
まさしく昭和の風景である。
今度、昭和の遺物のテーマで写真展をする。
平成の時代になり昭和を撮っていない事に気付いた。
昭和の時代にちゃんと撮影テーマを決めて撮り残さなかったかとくやまれる。
人間は年齢を重ねるに従いいままで趣味らしいこともせず何も人に自慢できるものもない事にに気付く。言葉としては60の手習いという言葉がある。もてあます時間と金も持っている、健康で体力もある人は失われた過去を取り戻そうとする。リタイア組の行動力はすさまじいものがある。
しかし、テーマによっては過ぎ去った過去の30年、40年はあまりにも大きい0.800メートル競走で一周遅れでスタートするほどの差がある。
写真は日田英彦山線の後藤寺駅、線路が分岐しているので信号機も多い。