懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

真澄(ますみ)

2018年04月03日 | 日記
介護施設に行って雑談をしていた。

還暦を過ぎてもパートで働いている看護師さんがいる。
昭和歌謡でどんな曲が好きかと尋ねたら「丘を越えて」が好きだという。自分の名前がでてくるからという。
真澄の空の部分にでてくる真澄が自分の名前なのだ。
自分が生まれた日は雲ひとつなく快晴であった。まさしく真澄の空であったのでこの名を親がつけた。へぇと聞いていた
真澄の意味をこの話を聞いて初めて知った。人間は何歳になっても知らない事だらけである。
PL学園 巨人の桑田投手も名前は真澄だ。岡田真澄というハーフの二枚目の映画俳優がいた。色男でドンファンといわれていた。

丘を越えては昭和6年に作られた。生まれるずっと前の曲だがよく知っている。
you tubeで何度も聞いた。藤山一郎の唄や明治大学のマンドリン倶楽部の演奏ものが良い。

青い山脈と共にこんな曲は息子の世代でも日本人なら皆んな知っている。古賀政男は軍国に傾いている時代にこんな明るく軽快な曲を作ったものだ。リンゴの唄もサトウハチローは太平洋戦争の激戦の時代に作っている。平和な時代が来れば受け入れられる唄を戦火の中でも考えていた。
真澄の「ま」は「「まほろば」のように美称の意味もあるのではと調べたらそのようだ。
真清水、真葛、真麻の言葉もあるようだ。より強調する時に使われたのか 若者言葉の真逆もおかしな言葉と思ったが強調の意味もあったのか。
「ま」とともに「み」も美称に使われる。同じ空でもみをつけて青空になる。靴が鳴るの歌詞に青い美空に靴が鳴るがある。
岬の「み」も瑞穂の国の「み」も美称だそうだ。

日本語も難しいものだ。

丘を越えて 歌詞  歌は藤山一郎 作曲 古賀政男

  丘を越えて行こうよ
  真澄の空は 朗らかに晴れて 楽しい心
  鳴るは胸の血潮よ 讃えよ わが青春(ハル)を
  いざ行け 遥か希望の 丘を越えて