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昨夜の夕食は里いも、コンニャク、豆腐の味噌煮込み田楽だった。
子供の頃、私の住むところではオデンと言えば味噌田楽を指した。
醤油オデンは関東煮(かんとだき)と呼んでいた。
今でも大阪の年寄は関東煮といい、飲み屋には関東煮の暖簾の店もあるだろう。
関東は醤油の生産が盛んだし大鍋で皆が囲んで食べられる、現在のオデンが発達した。
関東煮は関東大震災の前にはあったようだ。
地震で壊滅的になった東京に大阪の人が関東煮を始め庶民の食べ物に定着したようだ。
オデンも山形の芋煮のように野菜の炊き込みだったのではないか
スジ肉や練り物が入るのは戦後の豊かな時代になってからか
オデンの名は田楽にお(御)をつけた女房言葉と書いてある。
田楽は米の豊作を祈るお田植え祭り、今でも早乙女が田植えをして笛太鼓で演奏する伝統行事。持った旗には丸、三角,四角の印
それはサトイモの〇,三角のコンニャク,四角に切った豆腐を竹串に挿して甘味噌を付けて焼いた事から味噌田楽と呼ばれオデンとなった。
各地に旅行してサービスエリア、道の駅を見ても味噌田楽や五平餅、玉コンニャクは人気がある。年寄りだけでなく若者ものも好きだ。
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