井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

カイラス山コルラ 3

2006-09-21 21:33:32 | カイラス巡礼・旅行記




 ここから、今晩の宿泊場所となるドラプク・ゴンパまであと2時間はかかる。
いつもの4人で歩き出すが、やはり、ヴィジュヌーの調子は悪そうだ。
足が全く進まない。
私は、ヴィジュヌーの前に立ち、ヴィジュヌーの背負っている
ディパックを外し、私が胸に抱いて歩くことにした。

ヴィジュヌーのディパックを肩から外そうとしたらヴィジュヌーが
ビックリして私の顔を見る。
そして、私の意図を感じたのか済まなさそうな顔をしたので
「オーケィ!オーケィ!」といってヴィジュヌーの肩を
ポンとはたいてディパックを取り、胸の方で抱えて歩き出す。


この様子を見ていたグレゴリーが私に寄ってきて
ヴィジュヌーの寝袋を外して持ってくれる。

 空身になったとはいえヴィジュヌーの歩くスピードが遅いので、
ゲリーと二人して先へ進むことにする。

右手の上を見るとカイラス山の山頂が少しずつ形を変えて
見守ってくれている。

疲れや高度障害で歩けない人が目に付いてくる。
馬の背に揺られながら見るカイラス山はどんな感じなのだろうか?

空を見ると雲が少しづつ厚くなってくる。
 
今晩の宿泊場所となるドラプク・ゴンパが見えてくる。
ドラプク・ゴンパは対岸にあるお寺だが、タルチョが
はためいているのですぐ分かる。

川のこちら側には黄色いテントが無数に建てられている。

 このドラプク・ゴンパには、あの河口慧海が宿泊したことがあると、
以前読んだ本に書かれていた。
 私は、明治時代にこの地まできた河口慧海が歩いた道を
今日歩いてきたことになる。
そして、明日も明後日も!同じ道を歩く!

 左側を見るとカイラス山の北壁が顔を出している。
そうそう、この北壁の写真を見たときいいしれぬ
感動が心をふるわせたのだ。
その写真で得た感動唐子のカイラス山へ来たいという気持ちが
子供の時から私の頭に居続けていたのだ。

その写真と同じ光景が目の前にある。
両側の谷の奥にその山がどくときの縞模様を浮かべて静かに
こちらに顔を向けている。
いいしれぬ威圧感を感じる。
言葉がでない。
ただただ、この岩峰の前でため息をつく。
この光景は写真で見た以上に心にジーンと来るものがある。
来てよかった!
心からそう思う!

ゲリーと二人でこの北壁をバックにお互いの写真を撮り合う。

 17:30分、ドラプク・ゴンパのテントサイトに着く。
しかし、エコトレックのシェルパ達はまだ誰も来ていない。
彼らが来てテントを立ててくれないことには私達が休む場所さえない。

 茶店になっているテントの中へ入りお茶を飲んで待つことにする。
このテントの広さは6畳間ほどあるだろうか?
真ん中が土間になっておりそこにストーブがある。
ストーブの上にはススで汚れたヤカンが載せてある。

奥の方に棚がありそこにはビールやジュースの飲み物の他
カップ麺などもおいてある
。さらに宿泊も出来るのか布団が奥に積んである。

ここで飲んだお茶は、日本の番茶のような色と味がした。
1杯2元だという。1時間ほど経つが誰も来ない。
この間、勧められるままにお茶を飲む。

 やっとグレゴリーとヴィジュヌーが来る。
ヴィジュヌーの具合はさらに悪くなっているようだ。
奥の方で寝せる。

ジョンとミッシェルもやってくる。
しかし、エコトレックのシェルパ達の姿はまだ見えない。

 ここで不思議な中国人の若い女性と話をする。
この女性は片言の日本語が話せるようで、
私に「日本人ですか?」と聞いてきた。
「日本人です。」というと「私は、広島に行ったことがある。」
などと日本語で話す。

でも、日本語はあまり話せないのでお互いに英語で話をする。
といっても、私の英語力ではそれほどつっこんだ会話にはならない。

 この女性はピンク色の膝下ほどのコートを着ており、
肩から掛けた小さなポシェットだけが荷物のようだ。
まるで都会へ来た観光客のようだ。
このテントでインスタントラーメンを食べている。

 彼女の話では、中国の大連に住んでいるようで、
カイラス山には観光にきたと話している。
そしてラーメンを食べ終わると「帰ります。」といって
テントの外へ出て行った。
この場には違和感のある不思議な女性だった。