日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 青春 (サムエル・ウルマン) *

2010年02月12日 | 詩・エッセイ・短歌・小説

青春・・青春時代・・

あるブログのコメントに、”結婚前5年間の青春の全ては京都に”と書いた。 
青春の全て・・ってどうなんだろう、世間で言う青春時代ってどれくらいの時期を言うのだろうと思ってしまった。

♪~青春時代が夢なんて 後からほのぼの思うもの 青春時代の真ん中で 道に迷っているばかり~♪
森田公一さんとトップギャランの歌が流行ったことがあったが今でも森田さんの声が耳についている。
手元の国語辞典で”青春”を引いたら、「年が若く、元気で人生の春にあたる時代、青春期」と書いてある。
若いとき? 元気でないといけない? なのに人生の春? 50でも青春してるって書いたことあるけど?

つい先日女優の小山明子さんの書かれた文章を目にして、(これいい!)と思って書き留めた箇所がある。 

青春とは 人生のある期間を言うのではなく 心の様相(ようそう)を言うのだ。
(中略)年を重ねただけで人は老いない 理想を失うときに 初めて老いが来る 
サムエル・ウルマン」


なんて素晴らしい。 (ならばもしかしたら私、今青春してる?) ちょっと嬉しくなった。
(中略)を読んでみたくなって「サムエル・ウルマン」さんを検索したら・・

               青春      原作:サムエル・ウルマン  邦訳:岡田 義夫

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。 理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く
人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、
事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる、
希望ある限る若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥まで蔽(おお)いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば
このときこそ人は全くに 老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

後半は小難しい言葉が並べてあるが、青春とは人生の一時期を言うのではなく、心のありさま。
創造力や強い意志、燃えるような情熱や勇気、安易に流れようとする戒めや冒険心、歓喜興味。
う~ん、分かる。 
年を重ねただけで人は老いない。 理想を失うときに初めて老いが来る。
やっぱこれが結論ではないかな。 これを読んで嬉しくなったしまだまだ充分青春できるぞと確信した。

”どげんかせんといかん”こん言葉はあちこちで聞かれる、何かを変えようと思うたらまず自分の行動をば
変えんといかん。 年の初めにそげんこつに目覚め、うちは日々実行しとるとね、画期的やと思っとると。
偉そうかばってん心の中では、昨年よりは気持ちは違うとね。 夫の為家の為家族の為のうちたい。
思いをちょっと変えて動いてみるこつは、そげん大変ではなかこつやと日々小さな感動をば覚えとるとね。
こげん日々がうちの常になってしもたら、命が短いんじゃなかねとそげん錯覚ばする、怖いこつあるとね。
還暦ちゅう節目からは、人生にある程度期限ば切られとる気がしちょるけんそげん思いになるとよ。
ならば、”二度と来ない今日と言う日、写真を楽しみながら思いを載せて”はうちのコンセプトったい。
人ではなか自分はどげん生きるか、どげん行動するか、人生一度しかなかやけん。
もちろん青春ばい、青春。 サムエル・ウルマンさんったい、ぞめきときめき、そげん言葉も聞こえるとやけん! 
な~んちゃって! 公園の紅梅が満開ったい!