日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 四姉妹再会 京都礼讃 *

2012年08月31日 | 風景・お出かけ

この景色はどこか・・と聞かれても答えられないが、前回夫や次女と通った時よりは川の水かさが随分増しているのは確かである。
長女と京都に向かう車窓から見る景色は、爽快だった。  外の気温は高いが、涼しい車の中から眺めるには良好な青空である。 

京都駅で千葉の妹夫婦と因島の妹夫婦が落ち合い、駅の向かいにある今夜の宿泊のホテルで我々と合流したのは12時だった。
一昨年の夏の父の法事以来の千葉夫婦、因島夫婦とは2週間前帰省の折会ったばかり。
しかしこんな風に旅先で会うなんて事は一度も無く、妙に新鮮で嬉しかった。  長期入院生活の姉を見舞うと言うことで、思いがけずこんな形になった。

ホテルに荷物をあずけておなかがすいたね~。  京都駅はとてつもなく広く、初めての因島夫婦はその広い空間と美しさに驚いていた。
階段にピカチューの絵が!  孫たち見たら喜ぶなぁ・・そんな気持ちでパチリ。



お昼真っ只中とあって人が多かった。  千葉の義弟(私より1つ上なんだけど)と長女が小走りにあちこちと物色しながらお店を回る。
微に入り際に入り細やかな配慮の闊達な義弟、その身軽な動きは昔から全く変わらない。

最終的に選んだのは伊勢丹11F中国料理”點心茶室” 順番待ちの後通されたのは、椅子席が殆どの中で意外にも個室だった。
中国料理と言えども、京都らしい上品なお味の定食だった。  
個室でラッキーだったのは、因島の妹夫婦に向けて10日がかりで長女が作成した健婚式、披露宴のアルバムの数々、
食後にお茶しながら、周りに気兼ねせずみんなで見ることができたと言う最良の時間を過ごす事が出来た事。 

丁度2時になりのチェックインの後、一路姉の入院先城陽に向けて車を走らせた。  
外気温はどんどん上昇していた。  長女がいなければお見舞いと言っても、電車で乗り継ぎ待ちのタクシーもない駅から、歩いて行くのは、
荷物も有り我々には大変だったと思う。  エルグランドでゆったり移動で来たこと、長女がいてくれて本当に有難い。

姉には妹たちが来る事までは、知らせていなかった。  せかっくなら驚かせてあげようと言う私たちが仕組んだシナリオ。
車で走る中で打ち合わせをした。  まず私たち、次は驚いてもあり得る旅行好きな千葉夫婦、あり得ない因島夫婦と時間をずらして会うと言う。
姉から「近くまで来たらメールして、玄関まで車椅子で迎えに行くから」 そんなメールに慌てた。 せかっくのシナリオが没になる!

食堂で待つだの、待合室だのとか、一般の食堂が閉まっていて慌てた。  姪っ子と姉の旦那さんには言ってあるが、右往左往しながら芝居が始まる。
部屋へ見舞った私たちだが、姉と姪っ子が頼んで患者さん用の食堂を面会に使わせてもらうことになった。
私と長女だけでも喜んでいるのに、少しして千葉夫婦・・驚きと嬉しさで泣かせた。 長女がみんなの飲み物を買ってきた。
広げながら「あら? 飲み物多いやん」と私の演技。 因島夫婦がこっそり後ろから来て・・「あら!・・さん、どないしたん?」 しらじらしく私が言う。 
姉は後ろを振り向いた。 「???」 {え?」 当分声が出なかった。  妹夫婦までいることが不思議で信じられなくて、戸惑っていた。  
まさか四姉妹でお見舞いだなんて、そりゃぁ驚く。  作戦成功! 

1時間半くらいみんなで話しただろうか。  四姉妹で話す時間もあった。 こんな光景って貴重。

 

姉夫婦、姪っ子と玄関で別れた。  車の中で大成功だったねと、お見舞い以上に、芝居の成果を喜びあったと言うのだから笑ってしまう。 満足だった。

せっかくなので長女が、清水寺へと車を走らせた。  少しづつ日が暮れて来た。  
高台寺はもう閉門、駐車場から最初に撮った写真、私にはこのことさえありえへんメンバーやわと心が安らいだ。

清水寺へ向かう産寧坂を登る。  閉門は6時半・・早く早く~
セミプロ、カメラマンの千葉の妹、私もそうだが右左の京都風情佇まいやお土産売り場のアイテム、撮りたくて撮りたくて。
長女「早く~帰りに撮ったらいいやん」 



早く早く・・坂を登る。 ふ~・・着いたら6時前。 後30分。
時を惜しみつつ拝観する人も、多かった。  夕暮れ時を目当てに来た人もいるだろう。  確かに絵になる。

 

ここに来たのは何年前だったろうか。 忘れるくらい前。

因島夫婦・・音羽の滝へ

入場券の裏に歌が書かれていた。
”松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は すずしかるらん”

 

見降ろす京都の街

閉門を知らせるアナウンスがあった。  30分ほどの拝観だったが、お見舞い目的の副産物としては充分だった。
駐車場へ着いた頃、雨がぽつぽつときた。  なんと幸運な。
ホテルの部屋で今日を振り返りながら長女を待った。  
着くなり前のイオンへ走って行った長女は、今日の写真を印刷して、妹夫婦に持って帰ってもらおうとの配慮。
それは明日千葉夫婦は実家に立ち寄るので、母に姉のお見舞いの様子の写真を見せたらどんなに喜ぶか知れないと言う思いからである。
私はそこまで気づかなかった。

ホテルの”ダイニングカフェ&バー「ロンド」” で、京風 納涼御膳。 140席もある中でたった一つの、またまた円形のテーブル席。
なんと言うことだろう。  今日は何もかもがベストだった。  
誰もが今日の出来事が半日のことだったと思えなくて、乾杯し濃い時間を懐かしく振り返った。  気がねの無い者同士の和気あいあい最高の時間だった。
来て良かった・・姉もどんなに喜んだであろうか。  長期の入院、本人はもとより大変なのは周りの家族である。 
義兄や姪っ子への労いが叶った事も、本当に良かったと思った。   食事の後また部屋へ戻ってみんなで話した。  
「みくさん、もうこのまま部屋で一緒に寝ようや」 千葉の義弟が言ってくれたのは嬉しかった。 長女も「泊まってもいいよ」と言う。
2日後香港へ発つ長女を夜1人で大阪へ帰すなんてめっそうもない。  泊まりたい気持ちはやまやまだったけれど。
皆がわざわざ駐車場まで見送りに降りてくれた。  ホテルを出発したのは10時頃だたろうか。 

お昼、病院の食堂でも姉や妹たちと話した。  
今は亡き父は、電話や会った時には必ず「兄弟仲良うにな」が決めの文句だった。 母も同じように「兄弟仲良うにね」といつも言う。
そんな両親の何気ない決まり文句が、ただ事でないこと。  そのことをそれぞれみんなが受けとめながら、還暦前後になった私たちの今を、
こうしていい形で繋いでくれていること。 そのことがどんなにか有難く、幸せなことであるかを両親に感謝いっぱいだった。

濃縮、思い100%、姉のお陰で思いがけない四姉妹の再会となった、私はこの日を京都礼讃としよう。
中々あり得ないであろう、四姉妹の再会、妹たちと過ごした時間は大げさかも知れないが、一生忘れられない思い出になることだろう。

長女と夜の高速道路を走りながら、濃い1日だったこと、誰もが喜びあった半日の出来ごとを良かったね・・と、何度言った事だろう。
これだけの運びが出来たのも、長女のお陰である。  
ひとつ心残りがあるとすれば、セイ君は無理としても夫が来る事が出来たらみんな夫婦で揃ったのになぁ。 会社帰りでも来れたかも。  
清水寺のあと報告の電話をしたら、「ホットモットでお弁当を買って今一杯飲んでるで、ゆっくりしいや」 ちょっと羨ましげだった。