「俺や俺、おかんちょっとやばいねん、悪いけどお金振り込んでくれへん?」
そんな電話があったら、ちょっと慌てたかも知れない。 (来た来た~!これやな振り込めサギ!)等と 悠長に構えている余裕はないか。
娘たちは「母さんはきっと、あばあばなって振り込むタイプやわ」と言うが、息子も無いのは分かってるから、かけてはこない、きっと。
3日の記事* 久しぶりに 船 de 釣り * の書いたのは、実は今日である。
本当はあの記事に書いてある牧師様の言葉は覚えているので書いても、我が家へおいで下さったことなどは書くつもりではなかった。
なのに文章が浮かんで、手は勝手にキーボードを叩いていたと言うのが実のところ。
聖書の部分を見るつもりで、本棚から持ってきたウェディングブック。 もしかしたら10年くらい開いていなかったかも知れない。
改めて、1ページ1ページ直筆でお祝いのメッセージを残してくれている人々を、お顔を思い出しながら読んで行った。
そう、式をあげた原町の公民館、10月10日は地域の秋祭りで玄関に出てお神輿の前で写真を撮ったあの日。
何人もの叔父や叔母はすでに他界していていない。 父さえもがいない。 その人たちの文字からは、声が聞こえてくるようだった。
父の文字を見た。 忘れていた、このメッセージ。
”健斗を 心から祈る” 健斗を・・なんて、父らしい言葉・・そう思うと、ふわっと込み上げてくるものがあって涙が溢れた。
私は父が大好きだった。 船乗りの父は良く葉書や手紙をくれた。 電話もかけてくれた。
母と話してもそれほど出ない涙が、父と話すとなぜかすぐに泣いた私だった。 父より3年も長生きしている私、早すぎた死。
母は隅っこに”今の気持ちを一生ね” 小さく書いていた。 涙がとまらない。 誰もいない家で、声を出して泣いた。
色々な思いが入り混じって・・生まれ育った頃のこと、結婚して39年間の事がら・・両親とかかわる思い出の数々・・
勝手に浮かんできて、取り出して来たウェディングブック、その行為は父のメッセージへと誘ってくれたのだと思うと、偶然は必然、すごいと思った。
牧師さまたちのことを書かなければ、父や母のメッセージに目をやることなく本箱で眠っていたであろう言葉。
”健斗を心から 祈る” お父さん、頑張っているかな私、”今の気持ちを一生ね” お母さん、守れているかな私。
感傷にふけっていたとき、夫から電話が入った。
「今から荷物とりに帰るけど、御堂筋で降ろしたろうか」 「御堂筋?」 「銀杏がまっ黄黄やで」 「え?!そうなん? じゃぁ、行く!」
(素直に行為は素直に・・) そう思いながら、用意をした。
御堂筋で降りた。 「20分ほどで来るから」
(どこがまっ黄黄なん? 紅葉した木もあるがまだ・・だまされた~!)
でもなんで? と私は物事を良くこじつけようとする。 最終的にそんな出来事はきっとプラスに繋がると思うから。
今日の場合は何? どう考えても分からない。
私の感傷を、外の空気でいっそう爽やかな風、あててくれたのかなぁ。
来月の14日から始まる、御堂筋イルミネーション、銀杏並木にはそのLED装飾の線が巻きつけられスタンバイしていた。
あの時の私に戻って? いや~・・あの頃の恥じらいなんて、ほんのかけらもありませんけど?
恥じらいあり、尽すも初々しかった・・「だまされたー!」って思っているのは、実は夫の方だったりして。