ブログの記事を書くときは、その日浮かんだ事を思いつくままに、あるいは小学生の日記のように・・記録としてつらつら書いている。
思いつくままに書いたことでも、後でその事が自分に気づかせる為の必然だったと思う事がある。
今回もそうだ、後で気づいた。 のうのうと書いて、恥ずかしいとさえ思った。
「心配をかけないようにと気を使って黙っているより、親と言うのは大変なときは大変だと子供から言って欲しいもの。
遠くで何もしてやれないけれど、大変なことを一緒に背負って心配してあげられる、励ましたり祈ってあげられるんだよ。
子供が頑張って乗り越えようとしていることは、知っていたいし、よけいな気遣いはしないで話して欲しい。
後で、こうだったと聞かされるのは親としたら寂しいよ、言ってくれる方が嬉しい、それが親子よ言うものなんだ」と。
ハッとした。
母は今年89歳になる、私は今63歳。
いくらぶれない母と言えども、老いた母に「拝んでおいて」とか、何を都合よくお願いすると言うのだろうかと思った。
365日、手厚くお世話下さる兄夫婦にお任せなのに。 今なお、まるで苦しい時の神頼みみたいに。
最近良く母の言葉を思い出事があるし、書いたりするが、私は確かに母の後ろ姿を見せてもらい沢山の言葉をもらっている。
特に母には同じ女性として、いくつもの同じ立場の事など、色々と言ってもらってきた。
改めて気づいたのは、私が子供たちにいかに母からもらったものを伝えられているだろうかと言う事である。
「お母さん、拝んでおいてね」と言ってもらえるほど、信仰心が深い訳でもなく、ぶれない強い母親でもない。
それに母にもらった生きる中で、事あるごとに言ってくれた大切な言葉・・伝えている訳ではない。
言ったとしても、説得力がないから言えない。 母と違って、言えるほどちゃんと生きて来ていないから。
母は距離的に離れているので、親としてよけいに言葉として伝えてくれていたのだろうか。
子供たちはみな近くに住んでいるので、まるで子育ての延長で一生を過ごすのだろうと思っている。
しょっちゅう会っているし、親も子も困った時には協力し合う、そんな日常なので私は気楽に来たのかも知れない。
母のほんのかけらでも、今度は私が子供たちにぶれない母、子供が乗り越えていることがあったとしたら、共に背負い
それこそ励まし祈ってやらなければいけないのである。
時折そんな事を思ってはいたが、この度改めて自分の立場と言うものに気がついて、一瞬焦った。
と言うのは、すでに子供から
「お母さんは・・」とか、「もう~しっかりしいや」 そう言われたりする事のある日常だからである。 危ない危ない!
母にはもう言えない、言わない。 母には、今までの感謝の言葉だけを伝えよう。
ひとつだけちょっと、似ていることがある。
電話の時最後はいつも「今の幸せは、お母さんのお陰です、いつも有り難いって感謝してるよ」と涙ながらに言うと、
母も涙声で「あんたたちには、満足なこと何もしてやっていないのに」と言う、いつもいつも。
私も、子供たちが夫を基準として私たちを気遣いしてくれる事がらを思う時、有り難いなぁと思いながら
「あんたたちには、満足に何もしてやっていないのに・・」母と同じような言葉を思う。 受け売り?
母が何かと言うと、良く言っていた、子供の頃から。
「人間は誰でもみんな同じように10の苦労の袋を持っている。 若い時に8つ苦労したら、歳いったら後は2つですむ。
若い時2つしか苦労しなかったら、歳いったら8つの苦労を背負うことになるんだよ。
だから若い時の苦労は買うてでもと言う。 苦労は後できっと実るんだよ」と。
子供たちに言えるかな、私。