夫人の住む神戸に向かう私は、正直なところ気が重かった。
先達って神戸の夫人に電話をしたとき、郵便局に行ったとき帰りに後ろ向けに引っくり返って頭を打ったと言われた。
頭を打ったのを見た局の方が、救急車を呼んだ。
頭のMRIでは頭に異常はないらしいが、右肩を脱臼しているのが分かった。 (まただ・・)
昨年11月右手首骨折した時、用事が出来なくなり困るので固定はしないと先生に言ったので、2か月以上かかり、
毎週3日分くらいのお惣菜を作って通った。
このところ気になりながら、水曜はヘルパーさんの日、木曜はお医者さんの日、後の日に中々うまく合わなくて行けてなかった。
なんだか私に会いたくなると、こんなことになるのかなぁ位に思ってしまった。
家事をしたり、衣服の脱ぎ着も痛いようで難儀されているらしい。
「私が毎日行くこともできないし、入院されたらどうでしょう。 病院へ行きますから」と言うが、嫌だと言う。
1人暮らしで不安な日々なのに、入院などは絶対しないといつも言う。
耳が遠くなったので、こちらが言うことが聞こえにくいのか、一方的に自分の思いを話される。
どうにかなってもお医者さんの言うことを素直に聞かれないので、また長くかかると言われたらしい。
1人で生きてこられた強さがある、1人だと言う不安もある。
「娘なら入院して早く完全に治した方がいいって言いますよ、手を動かすのは痛いしいつまでも治らないですよ」
私の声は少し荒げていたかも知れない。 母にならきっと、強く言うと思う。
「けんつくさんが土曜半ドンなので、お惣菜作ってお昼に行きますからすきな回転ずしに行きましょう」と言ったら、
「来ても入院、入院って言わんといてね、眠たいから横になるわ、最近お昼眠くなって」と電話を切った。
入院って言っても、きかないだろうし・・また通うことになるだろうなぁ、受話器を置きながら思った。
湾岸線へのって「あと30分で着きます」と電話をしたとたん、渋滞、長女に電話をしたら降りる魚崎浜まで工事渋滞だそうだ。
1時間もかかった。 食べに行ったのがもう2時前でお店がすいていたので長話になった。
脱臼したところははめてもらったそうだが、痛いらしい。 別なところも、打撲で半月経っていてもあざの様になっている。
夫とは今満開の桜の花、ドライブしてあげようと言っていたので、あと車を走らせた。
学校や道路沿いも、そして小さな公園にも桜の木は満開で、楽しむ人たちの歓声が聞こえていた。
住吉区だったと思う、初めての道を川沿いに走った。
延々と桜並木が続いていた。 何度もわ~、わ~と声をあげる。 見事だった。
車の中からなので思うようには撮れないが、雰囲気。
並木が終わったところでUターンして、王子動物園の前を通った。 春休みで多くの人々、満開の桜。
信号待ち、桜と椿のコラボ。
新神戸駅近くの、布引公園。 ここも有名な桜のスポット。 橋にはいっぱいの人だった。
「おかん、降りて写真撮ったろう」 何度か行く先々で夫が声をかけたが 「いいわ、見てるだけで」と拒否。
右腕の痛みに、出歩くのがおっくうになっている。
川沿いの桜・・
写真では伝わらないかなぁ
いえいえ、出かけられなくとも夫人の住宅の植え込みにも春。 ハナカイドウだろうか、ピンクの可愛い花を咲かせている。
ムラサキハナナが、菜の花の黄色の前で鮮やかだったし。
部屋まで送って行くとき、「スナップ撮るわ。、笑って!」 夫人はやっと笑顔になった。
寂しくなるとこんな風に、骨折や脱臼や起きるのかなぁ。 神の仕業か?
夫婦げんかしたときなど、子供が熱を出したりけがをしたりすることがある。
けんかしていられなくて夫婦で心を合わせ子供に心をかける。 そうして夫婦の仲は修復される。
まるでそれは(仲よくしてね)と言う親への子供の祈りのようなものかも知れない。
「孫のことで大変やから無理して来なくていいよ」そんな夫人の言葉に甘え、心の足りなかった私への天の采配かな。
「入院した方が・・」とは一言も言わなかった。
すき煮、筑前煮、酢の物や和え物、炊いたおかずをタッパーに移し替えるのを見た夫人の嬉しそうな顔を見てそうした。
私が足を運べばいいのだ。
ベランダに出て、脱臼していない左手をいつまでもふる夫人、それが辛いねと夫に言いながら帰途へ。
天保山で高速を降りたのに、我が家と反対方向に夫は車を走らせる。
天保山公園へ寄った。 この間ソメイヨシノは全然だったのに・・咲いているではない!
「明日撮ろうよ、シープリンセス来るんだし」
少しの寄り道する、気を利かせた夫のそんな心が嬉しかった。