日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 「告白」 湊 かなえさん *

2010年05月10日 | 雑感

 


昨年5月、同級生Cちゃんから送られてきた絵手紙、還暦記念旅行のデジブックのお礼の葉書である。
日曜同じく静岡の同級生Sちゃんから、新茶が届いてその電話のやりとりで分かったのだが・・
湊かなえさん” (ウィキペディアより)

2005年、第2回BS-i新人脚本賞で佳作入選。
2007年、第35回創作ラジオドラマ大賞受賞、「聖職者」で第29回小説推理新人賞を受賞し小説家デビュー。
「聖職者」から続く連作集『告白』は、2008年、「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位、
このミステリーがすごい!」では第4位に選ばれ、2009年、第6回本屋大賞を受賞。
デビュー作でのノミネート・受賞は、共に史上初。

彼女が、絵手紙のCちゃんの娘さんだったなんて!
それってすごい、だって因島出身、それに今甥っ子が住んでいる中庄町生まれだったなんてね!

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「告白」 「松たか子さん」そんな固有名詞はちらちら耳にしたような気がするが、同一のものとは知らなかった。 
「旅行の時娘さんが本を出したってCちゃんから聞いてね、すぐに買って読んだわ。
ネットで見てごらん、次々と作品なんか出てくるわよ」Sちゃんは2人目のお孫さんにミルクを飲ませたばかり、
抱っこしたままで電話しているので、時折生後4ヶ月のお孫さんの可愛い声が聞こえていた。

”湊 かなえ”さんのミステリー小説「告白」が映画化されて6月5日公開!
ひょっとして知らなかったのは私だけ!? なんかそんな気がしてきた。
こんなに賞ももらっているのに、新聞の作品紹介欄にも載っただろうし、TVにも出たのに~。
自分がいかにそう言ったものから、遠ざかっていたと言うことに、取り残されたような冷たいものを感じた。
だからと言って自分の生活には、なんら支障はないんだけど。

中島哲也監督とのインタビューで”湊 かなえさん”のお顔を初めて拝見した。 
夫が即行「やっぱりCちゃんによう似てるなぁ!サイン会があるみたいやで、あんた行ってこな!」

Cちゃんに電話をした。 
「地元の人は知っているやろうから、還暦旅行の時地元以外の人に言ってくれたら良かったのに!」
「ミステリーは好きな人は好きだけれど、むかない人には全く・・だしね」
受賞した時、かなえさんの因島の同級生達がお祝いのパーティーを開いてくれ両親も招いてくれたそうで、
「何もないような人生だったけれど、こんな素敵なプレゼントしてくれてもう感激、本の大好きな子だったけど、
まさかね。 淡路島の花博のところで結婚式したのよ~、そばで書いているわけではないから、私には
大変さが分からないけれどでも忙しそう。 電話をくれたと言うだけで嬉しいわ」たいそうに喜んでくれた。
もう話し方が中学の時良く家に遊びに行った、あの時のCちゃんを思い出させるそのまま。 
頭脳明晰でありながら、マイペースで結構おっとりな彼女の笑顔が懐かしい。
昨年の旅行のとき部屋に来てくれて絵手紙やっているのよとか言っていたけれど。
「還暦の年に、すごいプレゼントもらったね!我が子が新人賞なんて!」「また読んでやってね」
「けんつくさんがサイン会あるって言ってたから行くね、お母さんの同級生って言うわ」「うん、言ってやって」
彼女は娘さんの作品を4回読んだと言う。 「最初に感じなかったことを2回目でまた感じることもあるのよ」
母親だなぁ・・娘さんの書いたひと言ひと言、その背景や心情を少しも見逃すまい、読み取りたい、
そんな親心なんだろうなぁ。 そんなCちゃんの言葉に熱い思いになった。

Cちゃんは、「パソコンや携帯はね、あんなのきらい、できない」なんと言う、頭いい彼女なのに。
一緒に住む次女さんが、パソコンで色々見せてくれたりするそうだ。 以外や以外。
「ブログに葉書載せるね、書かせていただくわね」「いいわよ、書いて」彼女は読むことはないだろうが。
「良かったら本、6月にもまた出るから読んでやってね」母親として精一杯のアピールだった。
還暦旅行でみんなに言わなかったCちゃん、「それがいかにもCちゃんらしいわ」小学校から一緒の夫が言う。

公式サイトで立ち読み、内容は強烈だが・・ゆえに作品の中の正なる部分に興味が湧く。
普通と違って、同級生の娘さんの原作である、夫とどんな感想を言い合うだろうか。

(検索して分かった。 夫が言うサイン会は2009年・・・だった・・


* 母の日 *  

2010年05月09日 | 雑感

この記事を書いている今は、もうこの日を4日過ぎている。
母の日、早朝聞いていたラジオの男性アナウンサーが「以前は、母の日と言えばカーネーションでしたが、
いつもそれではありきたりで心がないような気もするし、最近は紫陽花や季節の花母親の好きな花を
贈ったりするようになりましたね」そう言いながら、母の日とカーネーションの薀蓄を語っていた。

(ありきたり? 心がない? なんて言うことを言うのよ~)、私はちょっと反発した。
女性アナウンサーなら、こんな言葉は言われなかったかもしれない、同姓として。
何十年たとうが私、他には何もいらない、母の日には1本でいいカーネーションが欲しい。
母親になって初めて子供たちがくれた赤いカーネーション、なぜか母親の勲章のようで嬉しいのだから。

とは言っても、以前の母の日に長女夫婦からもらったピンクのミニバラ、長男夫婦からもらったラベンダー、
次女夫婦からのミニカーネーション、また今年も咲いていて母の日の思い出に浸っているんだけどね。

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夫は卓球の市長杯で中央体育館、展君は野球で鳴尾浜、私は娘とゆっくりと主婦をしていた。
お昼前、息子家族がやってきた。  午後にはセイ君が中国出張なので長女がきた。

今年米寿を迎える母から電話があった。 プレゼントのブラウスや扇子に加え皆さんでと洋菓子を送った。
お茶をたてる兄夫婦を思い以前は良く和菓子を送っていたが、結婚した甥っ子(次男)のお嫁さんが
和菓子やさんへ勤めていた関係で、自ずと洋菓子を送るようになった。
「気いつかわんでもええのに、電話だけでええのに」と言いつつ、なぜか長々と便箋3枚になった手紙、
「あんたは文章が上手じゃけえ、もったいないことを書いてもろうて今お仏壇のお父さんに供えたんよ、
写真のござを敷いてみんなが座とる姿が一番幸せじゃね、親として本当に嬉しいわ」電話の奥で泣いていた。
(いえいえ・・上手ではないんよ、本当のことじゃから、今があるのはみんなお母さんのお陰なんじゃから、
この年になっても注意したり教えてもらったり励ましてもらっているなんて、こんな幸せなことないんじゃけ)
義兄夫婦や義弟との大阪城公園のお花見、子供や孫達とあちこちへ行った写真いっぱいコラージュして
A4サイズの両面12枚、近況報告方々ラミネート加工して送った。

母は年をとってから特に、結婚式やみんなから送られてきた写真、毎日見て寝るのが楽しみなのである。
そんな写真、いわゆる自分の子、孫、曾孫・・、5人の子供達の家族がみんな幸せに暮らしていること。
そんな写真は言い換えれば母の、生きてきたこと、子育ての結果であり財産なのである。 
3人の孫しか知らないで還暦を待たずに他界した父に、語りかけながら眺めているのだろうきっと。
そして心できっと、それぞれの家族へ(がんばれよ)声なき声でいつも応援してくれているような気がしている。

義母からも電話があった。 
「皆さんお変わりないですか。 いつもいつも色々と心づかいしてもらって、ありがとうございます」
義母がそんな仰々しい言葉でかけてきたことはなかったので、少しびっくりした。
兄嫁さんに聞いているデーサービスのことも話したが、週に2回は行っとるんですよ、それくらいはせんとね」
兄嫁さんは、友達がやめたので楽しく無いから2回を1回にしたんですよと言っていたが。
「けんつくさんは、今日は卓球の試合なんですよ」と言ったら、「そう、皆さんによろしくお伝えください、
元気でね、ありがとうございました」等と以前は口にしていた娘や孫の名前など出てこなかった。
(けんつくさんのお嫁さんが私って分かってるかなぁ、娘まで分かるかなぁ、電話で)
電話番号を押したであろう兄嫁さんが、「けんつくさんのお嫁さん、みくさんよ」等とそばで言ったかも知れない。

病を患う前までは、ゲートボール、ご詠歌、お花、カラオケなど、元気に楽しんでいた義母だったのに。
自然な老いとは思いながら、(私だって、そうなのだから)現実と、これから加速するであろう老いを思うと、
不思議な寂しい思いをした。 それと共に、兄夫婦に良くしてもらっている双方の母親である、
私は神戸の母のお世話をいつか・・と夫と話す今、気持ちを少しでも理解できるようにと家族のない、
神戸の婦人とはそんなめぐり合わせなのだと、そう思っている。

母・・生きてくれているだけで、慈愛の心、見えない力、大きな安心感で暮らせているような気がする。
私を生んでくれてありがとう、夫を生んでくださってありがとうございます。

夫から電話があって「どうやった?」 「優勝は優勝や、下へ落ちたけど。 飲むからUSJは行かれへん」
「優勝!? 下へ落ちた?よう分からへん」 それ以上言うのも邪魔くさそうなので聞くのをやめた。
試合は早く終わるだろうからみんなでUSJへ行こうと言っていた夫、新アトラクションに乗りたい一心。 
愛ちゃんが「ひろとが、もう行く気になっていて」 そっか、では・・3人の娘と女ばかりで行くことにした。 

6時半着、まずシティーウォークで食事をする。  

娘や愛ちゃんはパレード何度も見ているが、久しぶりに見たいと言うので、私は3度目。
ひろとやなつめの見る目も変わってきて、前よりずっと興味深々、かんた2度目、ゆいちゃんは初めて。



私は最前列で見たのは初めてで、迫力があった。 写真は初めてのとき撮ったので今回は見るのを優先。

当然ながら、毎日のことなのにショーを演じる人たちの表情はいつもいっぱいの笑顔や踊りやはりプロ。
この方たちには毎日でも、見る人は初めてや最後の人もいるであろう、みんなを満足させ楽しませる。

孫たちの目は輝いていた。  

 少々寒かったが、充分に楽しめた。
始まる前にスペース・マウンテンに乗りたいといっていたが、調整中で乗れなくてがっかりの娘たち。

帰宅すると、お酒臭い夫がお風呂上りほっとくつろいでいた。 意味が良く分からなかったが、
夫のブログのコメントのやりとりで、やっと状況が判明した。 
市長杯決勝に向ったメンバー、男同士の卓球への熱い心境、友情なるものを感じ、感動している。

3組の子供夫婦からカーネーション。 催促した訳ではないのに・・

 


* 新緑の候 84歳にて携帯電話を携帯す *

2010年05月08日 | 雑感

結婚する一年前まで、夫は神戸の社長さん宅に下宿していた。 私は京都だったので、デートは神戸か京都。
和の京都も大好きだけど、異国情緒たっぷりそして上品な神戸の街は最高のデート場所だった。

震災後の復興住宅があちこちに出来た頃、仮設住宅の賑わいと違って街に人はあまり見ることはなく、
静かで寂しい街だったのに、今や学校、日赤や美術館大型店舗がいっぱいで、この辺までくると車窓風景に、
「変わったよね~」埋め立ての街なのに、こんなに変化するんだ・・と、人間力、復興の力を感心している、いつも。

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夫は半ドン展君も仕事、次女が難波へなつめと”プリキュア”の映画に行ったので私はかんたの子守。
上海万博へ展示される”遣唐使船”のセレモニーが1時からと、正午のTVで大阪港の状況を映し出していた。 
イベント好きな夫は見たいだろうなぁと思いながら、行こうか迷いながら断念した。

夫が帰宅しシャワーを終えるなり、神戸の婦人のところに出向いた。 
日曜夫は中央体育館で卓球の市長杯に、港区代表の1人として出場するので行けないので、
一日早い母の日を過ごす予定なのだ。 新しい街も、緑が溢れ陽にきらきら輝いていた。 



婦人の同級生で近所にいた親友の方が、「一度回転寿司なるものに行こうよ」と言いながら、3年前急死された。
婦人は回転寿司に一度も行ったことがないと言われていたので、今日のお昼はそれにと決めていた。
近くに灘のスシロー、2時前なのですいていた。 ご自分でもとれるように、レーンのそばに座ってもらった。
お安いお寿司など失礼かと思い今まで誘えなかったのに、もっと早く連れて来てあげたら良かった。
105円であろうが専門店であろうがこれだけ流行った今、回転寿司なるものを一度食べて見たかったと言う。
お皿をとるのもなんだかとても嬉しそうで、食べながら話もはずんだ。

「おかん、前の家の方走ったろか」 震災前に住んでおられた灘区の大石北町はすぐそばだったので夫が言う。
家並みは新しくなっていたが、陸路では無理なので船でこの地へ来た時に見たあの時の衝撃は忘れられない。
まるでドミノ倒しのように崩れた住宅、婦人のアパートも同様で、お隣のお寺や墓地も無残なものだった。 
生存者救助優先の為に亡くなられた方が並べられていた小さな公園には、驚くほどの花が溢れ咲いていた。 
亡くなられた方たちへの鎮魂歌のようで、鮮やかだけどちょっと胸が詰まりそうだった。
倒壊した婦人のアパートから近いのに、被害の少なかった親友さんの一戸建てはそのままだったが、
他の人が住んでおられた。 忘れられない震災だが、遭わなければもっと、ご近所の人との繋がりで、
そのまま暖かくて過ごせていたのに、チリジリに離れ親友さえこの世からいなくなってしまった婦人。 
思い出は断ち切って、新しい街での生活の中で友達もちらほら、その繋がりを貴重に思う。

淡路島へ行く時に高速道路から見えていたクレーンに吊られた鯉のぼりが、麻耶海岸通にあった。

以前から、持とうかと言っておられたが「携帯なぁ」と口にされたので「見てあげましょう」近くの大型電気店へ行く。
ちょうど母の日までのキャンペーン中で、携帯が4800円、基本料金980円、5ヶ月間基本料金無料、
それに一番電話をかけるお隣さんが○フトバンクさんなので、かけても無料と言うことでそれに決めた。

夫は買って帰ったとき「15分で済ませよ、車に乗って待っとくから」そう言った。 (なんでやのん!)
自分は夕方早く帰りみんなでUSJへ行き、新しいアトラクションに乗りパレードを見たい一心だったから。
15分で?馬鹿なことを言う、自分だって登録出来るのかどうなのか、娘にしてもらってるのに。 
登録しても本人が使えるようにならないと、なんの意味もないのだからそう簡単にはいかないのに。

娘の方から気をきかせて「ちゃんと教えてあげて、今日はUSJやめる」電話が、車で待機中の夫にあった。
電話番号を登録してあげた、短縮設定1は夫、2は私、身内と言っても年配者、登録件数の少なさ、
一番大事なかかりつけの日赤や、日赤の救急なども洩れなく入れた。 
なんだかこれでいっそう私たちしか、もう頼れる人がいないんだなぁと言う実感がしないでもなかった。

なんたってお年もお年、かけるとき、かかってきたら、番号検索は・・理解していただくのも大変である。
住宅のお友達にもかけたり、かかったり練習もしたり。 しかやっと持てたと何か嬉しそうである。
と言うより、今は公衆電話さえ中々ない。 外出先で何かあっても、携帯なら夫にだってかけられるし、
携帯を見て人さまにかけてももらえるし。 

忘れていたが母の日プレゼント、娘たちと選んだカーディガン、爽やかでお似合いぴったりだった。  



新緑の候、母の日の前日84歳にして携帯電話を携帯す、「おかん、おもちゃにして練習しいや」 
「これは脳の活性化になるやろうなぁ」 「お友達と電話は有料だけど、携帯なら無料やから毎日携帯でね」
いつもよりいっそう嬉しそうに見える婦人が、ベランダからいつまでも手を振っていた。 
母の日、神戸の母の娘となりし一日、携帯へこれからかけてあげよう・・私も安堵感で嬉しくなった。
高速道路に入って「おい、おかんの番号、登録しとってくれい」夫はポケットから携帯を取り出した。 (え!?)


* ジャスミンの香り漂う雨上がり *

2010年05月07日 | 花や木


昨夜来の雨があがった、いつまで降るのだろうと思っていたら4時前急に明るくからっと。
コンデジを持って外へ出たら、
ちょうど近所の奥さまが出かけようとしておられた。
「撮らせて下さいね、ジャスミンでしたよね、きれいだし、とってもいい香りがして」「そう、ジャスミンよ、
雨でね重くなって枝垂れているけれど、晴れればもっと上を向くわよ」はじめてニコっとされて話してくれた。
毎日黙々と母親の介護に行っておられる。 その表情はいつも深刻で、お会いすると「大変ですね、お偉いわ、
いつもご苦労さまです」変かも知れないがそう言うか、丹精のお花を讃えることしか私には出来ない。

雫を含んだジャスミンの薄いピンク色の蕾、白いその花の芳香は私をひきつけずにはおらない。

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ジャスミン・・と言えば、思い出すのは”杏里”さんの”オリビアを聴きながら”




お気に入りの歌 1人聴いてみるの オリビアは淋しい心 なぐさめてくれるから

ジャスミンティーは 眠り誘う薬 私らしく一日を終えたい こんな夜




年々生い茂ってあたりを甘美に包む。 
花言葉は、愛嬌、愛らしさ、温和、無邪気、あなたについて行きます





雫にジャスミンの白い五弁の花が映りこんでいた。 
咲く前が薄いピンクだなんて・・そして白色に変わる、なんて清楚な。





雫のひとつぶにも、一輪の花が・・香りまで閉じ込めて?




奥さまもマーガレットがお好き。


* 友人の写真より・・ *   

2010年05月06日 | 花や木

プロフィールにも書いてあるが、花はなんでも好きな私だが中でも好きなのは昔からマーガレットである。
だから同じキク科の因島の除虫菊も大好き、島の海などを背景に撮っていたりするともうわくわくしてしまう。

蚊取り線香の原料で、かっては旺盛であったが、今では化学薬品の開発によって、種子の保存や
観光用のためにしか作っていないようだ。

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新緑の候、GWも無事に終わり、また普通の日に戻る。 一気に国道の車の台数が増えた。
今日も体調よろしくなく、食欲もなく(ちょうどええがと言う声も聞こえてきそうだが)一日むかむかとしている。

我がふるさとの自然や景色をあますところなく撮っては発進してくれる友人のブログを覗いているが、
大好きなマーガレットならぬ”除虫菊”の写真を先日から載せている。 その最新の画像をいただいた。
これはマーガレット。



夕日を仰ぐ除虫菊もファンタジック。

それに加えまるで水墨画のような白瀧山からの夕景をアップしていたので、しばらく眺めていて
急に懐かしさがこみあげた。  見ていただきたくてその写真を勝手に拝借。
年に一二度位の帰省の私たち夫婦にとって、同級生の情報も然り、しまなみの写真は本当に有難く感謝している。

友人のブログでは、サイズが大きいのでもっと叙情的に感じられる。