日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 第一陣 *

2012年05月23日 | 子供

 

 

まぁ、2人が来たら花で言ったらこんな感じ。 

いつもより早い目にお迎えに行って3時、なつめとかんたは我が家へやってきた。
次女は、「頼みます」と言って、手術の件で説明を聞く為に長女と一緒に病院へ出向いた。

我が家へ来ると、手を洗って「食べていい?」言いつつ冷凍のドアポケットを開けるのが孫たちの習慣である。 そこにはいつもアイスがあるから。
食器棚の一番上にはお菓子。 「なんでばぁばんとこは、いつもアイスやお菓子おいてあるの?」 「それはね、なっちゃんたちが食べるかな~って」
ひろとにしてもゆいちゃんにしてもそう。 

私の祖母は小学2年の時に他界した。 祖母の部屋は西の隠居部屋。 その桐の背の低い箪笥には、ゴム風船やニッケの棒や砂糖菓子や
色んなものが入っていた。 次々にまるで魔法のように出してくれるそれらは、幼い私には嬉しくて(おばあちゃんってすごい!)と、思っていた。
隠居部屋に行くのがだからとても楽しみだったし、好きだった。 私がいつもアイスクリームやお菓子、しゃぼん玉をおいてあるのは・・あの幼い頃の
祖母のことがおばあちゃんって感じで、やさしくていい思い出になっているから、孫の喜ぶ顔が私の嬉しい顔になるからだろうなぁ。

来るのは大抵保育園が終わってからで、一日頑張ったんもんねご褒美・・のつもり。
ママたちには甘えかも知れないが、次女は「家ではいつもそのようにしないけど、ばぁばんちだから、それはそれでいいと思っている」と言ってくれるし。

ゆいちゃんの子守をしなくなって、少し遠のくのは寂しいので時々、呼んでは食事をするようにしている。 それは夫も喜ぶから。
娘たちが帰って来て賑やかな夕食になった。 
明日は第2陣、愛ちゃんがセールに行きたいので・・と2人の子守を仰せつかっている。 「子守いいですか?」 何があっても万障繰り合わせますって。
だって今の私の仕事は、”子守をお願いしますコール” を待つ事なのだから。   

第一陣が帰ると、急に静かになって部屋が広くなった。


* 八幡屋公園で嬉しい? いやよけい混乱? *

2012年05月22日 | 花や木

のどかな緑色の中の風景だった。  ウォーキングしている人、お昼寝している人、ママ友さんたちの語らい。

今日来たのは、このところ毎日アクセスで「八幡屋公園」 「ジャカランダ」が入っている。 
区内の住人としては情報の提供を求められているようで、出来ることならば気にかけて下さっている方にはジャカランダの花情報をと。

一石二鳥とはこのことかしら。 
我が家の玄関に咲いている花木、白あるいはピンクの花。 昨年母と桜の吉野旅行をしたとき、兄嫁さんと奈良の道の駅で一緒に買った。
ぐんぐん木が茂って花が咲いて・・(何て言う名前だったかな・・??) 日々、疑問に思っていたのだ。
今日、写メして実家の兄嫁さんに名前聞こうと思っていた。




ジャカランダの木を撮って、グリーンヒルズを歩いたらなんと我が家と同じ花が咲いてる~!!!



気になっている花と同じ花がいっぱい咲いているではない! え~、知らなかった~。 昨年もあったと思うになんで気付かなかったんだろう。
(どこかに名前の札ないかな・・)

あったー!

ジャカランダの花の硬い蕾のこと以上に、嬉しかった~。  気になっていた事が思いがけないことで分かったってメッチャ嬉しい今日の私。

・・・と思いきや、ノリウツギを調べてみると全然違う! むしろ、”ウツギ”のような。 で、ただいま調査中!
道の駅で、もうひとつ鉢植え買ったのだが、どちらだったか「新しい品種、届いたばっかりだよ」とお店のお兄さんが言っていたんだけど。
早とちりで喜んだが、良く見ると花の形が微妙に違っている。 我が家のは白からピンクへ変わっているんだけど。


で、今日のジャカランダは・・


* 金環日食を見たよ~で、パーティー? *

2012年05月21日 | イベント

3階や4階の部屋の東方向の窓から良く見える。  台所は2階で見えない、急きょコンビニで菓子パンを買ってきて、珈琲飲みながら、
そしてTVで実況を見ながら金環日食に向かうまでを、観測グラスで眺めた。

「お父さん、欠けてきたよ~」 

カメラでも直接では見ないようにとか・・カメラに観測グラスをかけて撮った。 なので、太陽は赤くグラスで見たままの写真になった。
液晶画面で見ながら撮ればモノクロで撮れたのに。  チェストがあって三脚が立てられない場所なので仕方ない。
時々、雲も出て隠れたりちょっとはらはら・・それだけに、「すごい!!すごい!!」 見えた時の感動は言うまでもない。  
関西で282年ぶりだと言う、まさに神秘なときめきな天体ショーの朝。 

モノクロにしたら・・

 雲が覆って来た、良かった・・いいタイミングで。   

孫たちと”金環日食見えたね!”を共有したくて、思いつきで(よし、金環日食見たよパーティーしよう!) 長女、愛ちゃん、次女に招待メール、
孫たちのお風呂も一緒に。   簡単なのでバラ寿司、お持ち帰りを含め1升。

夫は4人をお風呂に入れてくれる、これも楽しみ。  展君も会社から帰り寄った。  みんなで見たよの話し。 誰ももう見ることは出来ない。
ずっと覚えているだろうか、この日のことを。 金環日食を見た日のことを。
TVでも各地の様子をやっていた。  一斉にグラスをかけて見る人の様子を撮りたかったんだけど。 
でもあんなに多くの方たちが興味を持って見たと言うことも嬉しい。 その心がいいなぁ。 見える範囲の地域にあったことが感謝! 

孫たちの声がこだまして、近所迷惑?みたいだけど賑やかな集まりになった。 
8時お開き、帰りに孫たちの身長を1人1人夫が測って柱に書き込んだ。 
”柱のきずはおととしの~”って言う。  時々、測って書き込んでいる。  みんな伸びているなぁ。  


* 別れ・・ *

2012年05月20日 | 雑感

香港のスタンレー(赤柱)の植え込みに咲いていた。  紫が好きだったような気がするので選んだ。

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急なことだった。 とっさに30年くらい・・と思ったが、冷静に数えてみると、37年ほどになった。
出会いがあったのが5月だった、ちょうど15日。   出会いの5月がお別れの月になった。  急なことでご家族には申し訳ないと思うが、思うに
膝は弱かったものの息子さんと2人暮らしだったので患うことなく世話をかけずに逝かれた訳で、この方らしい最後だったような気がする。

思い出すのは長男が調理師専門学校を卒業し、学校の師より紹介で法善寺横丁のお店に勤めることになって家を出ると言う日、この方に会った。
「息子は今日、家を出て新しい道に入ります」と挨拶をした。  息子の顔を見て慈愛に満ちた優しいお顔で言われた。
「料理は好きか?」「はい」「好きなことだったら、お父さんとお母さんの子や大丈夫、頑張りなさい。 困った事があったら、いつでも来なさいね」
息子の肩をトントンと叩いて言って下さった。 
息子はえらく心に沁みたようで、帰り道「すごいオーラのあるひとやなぁ」 「石の上にも3年と言うから3年はがんばりなさいよ」
「10年は頑張るわ。 やめさせて下さいと言う勇気が、僕には無いから」 そう言って、家を出たのだった。  15年になった。
私には過去達筆な書で色紙を3枚いただいている。 「汝己自身を知れ」 「背水の陣」 「幾山河 越えしぞ 道の遥かなり」
どれも人生は一生が自らを省みて、努力することを教えてもらっているような気がして、この書を見ると耳が痛い思いである。

本当なら、奈良のMiyamaさんの絵画の個展に夫と行くはずだったのだが、見送る事になって行けなかった。
個展は大盛況だった様子である。 ご高齢のお母様の介護の傍らで、日々筆をとっておられる、その真摯な姿には教えられることが多い。
初めの個展には主人と次女と孫と寄せてもらった。  次の個展には、是非主人共々再会出来ますように。 


* 京都国立博物館と大田神社 *

2012年05月19日 | 風景・お出かけ

京都国立博物館へ行った帰り、チテイジンさんが案内してくれた。 京都に住んでいた時以来、40年ぶりの大田神社である。

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夫は半ドンだったので待ち合わせ食事をすませ、京阪電車で七条駅へ。  
夫の友人チテイジンさんから、乗る電車や降りる場所などメールで案内をいただいていた。 自分たちは場所も何も考えなくて良かった。
あがったら駅へ降りてくれていたらしく入れ違い。  しかし今の時代、携帯は本当に有難い。 昨年の祇園祭の宵山以来の再会。
本当は分かり易い京都の東西南北、私は5年間も京都に住んでいたのに大の方向音痴で、全く方向感覚がない。 大阪も未だにそうだけど。
賀茂川、そして緑、お店の雰囲気・・よろしおすなぁ、やっぱり京都は。 

  

東山七条 京都国立博物館 。  2、3年前京都御所のなんか公開の時来て以来。
男の方が「撮ってあげましょうか」と3人を撮ってくれた。 欲を言えば、階段少なくして屋根入れて・・でも、お声かけしてくれて嬉しい。

姉がチケットを送ってくれた「王朝文化の華 陽明文庫名宝展」 宮廷貴族 近衛家の一千年 これぞ宮廷ライフ・スタイルとパンフレットに。
京都へ就職して姉が結婚、嫁ぎ先の実家が近衛家の御陵にあったので良く遊びに行った。 陽明文庫の周りで幼少の甥っ子とも良く遊んだ。  
御陵は門を入るとずっとお庭が広がっていたのが印象だった。 その頃は陽明文庫は単に国宝を保存している所、位にしか思っていなかった。
義弟さん館長さんにお会いしたのは5年前くらい。 「おお、みくさんお久しぶり」 大学や色んなところで講義されているのが想像できる位、堂々と大きく、
貫禄があった。 それは40年と言う年数だけではなく。

そんな館長さんが陽明文庫で、保存護り続けて来られた名宝の数々を公開、姉にそんな話をしたら送ってくれた。
近衛家29代当主、総理大臣も務められた近衛文麿氏が、陽明文庫を設立した昭和13年は、この館長さんが生まれた年なのである。
まるで陽明文庫の申し子のような・・こんな偶然ってあるだろうかと思う位。

教科の中で何が一番苦手、あるいは好きでなかったかと言うと、歴史である。 日本史も世界史も。 試験の為の勉強はしたけれど。
3人とも竹下景子さんのガイダンスを聞きながら回った。 いちいち老眼鏡をかけて説明を読むのは、人も多いし困難と思われるので。
最初は平安時代から始まる日記や書状や歌、それにしてもすごい量である。 日記は当時のその人の思いが読みとれるような。
美しい毛筆仮名・・なんでこんなにと思うほどに、ついつい感心しながら解明も出来ないのに丁寧に追って行った。 これで時間をとられた。
藤原道長の日記は興味深かった。 それぞれその人の性格をも見るような。 主人とも話したが、大火や水害や多くの被害もあったであろうこと、
1000年を越えて今も保存されていること自体に感動を覚える。 
藤原家、和漢朗読集、源氏物語、古今集、倭漢抄など、自分が覚えている事がらに出合うと興味深く、それにほっとした。

歴史書や美術で習った絵巻物、屏風、茶の道具、銀細工、壺や人形や測り知れない数々の名宝。 ため息がもれる。
素晴らしいものの数々を後世に残し伝えようと設立された近衛文麿氏の思いの一端を知る思いである。 素晴らしいのひと言につきる。
近世、現代の絵画ともなると、名前は殆どと言っていいくらいなじみがあるので、絵にはいっそう興味が湧く。 書いてみたい気持ちもそそられる。
もっと出品目録をちゃんと見て、後の絵に時間をかければ良かった。 大きな後悔。 
それにしても1000年を越える歴史の名宝を保存、護ってこられた館長さんの働きの偉大さを理解していなかったことが恥ずかしい。
しかし姉のお陰で、それを知るいい機会を与えてもらえ良かった。 

わ・・歴史の苦手な私、館長さんになんてお礼状を出そうかしらん。 

2時間以上を費やして外へ出た。 次の目的があるのでこれ以上は時間をかけられない。
夫が「こじゃれた店でお茶しような」 そんなお店が似合うんでっしゃろか、うちら。 とか思いますけど。
雰囲気のいいお店へ案内してくれはった。  ケーキセットをオーダー、おっちゃん2人はクレープ、私はモンブランどす。 

喉の渇きも潤い、大田神社へ。  
暗くなったらと案じるチテイジンさんの気持ちおもんばかり、先にかきつばた観賞。  ゴールデンウィークの頃が見頃だったと思われる。
娘時代京都で住み込みだった、お医者さまの奥さまに連れて来てもろうたことがあるのどす。 
その時来ていた洋服、よう覚えとります。 髪は長く、リボンで後ろにたばねておした。 
あれから40年の年月が経った訳でおまして、懐かしさがいっぱいでおます。  帰りにそのお家に寄りたいところでおますが、なにしろ
ご高齢になられ突然のお邪魔は迷惑ですさかい、あきらめたんどす。
奥さまによう言われてました。 「みくちゃん、うちへ来る時には3日前に電話してきてや」 

せっかく来たんやしお参りせなあかんよってに鳥居をくぐり本殿へお参りしました。  
ここから500メートルくらいに、上賀茂神社があるそうです(神社は知ってますけど、位置関係はしらしまへん)  車で素通り。
帰りはチテイジンさんに、出町柳まで送ってもらった。  いつも車で案内、有難い。
懐かしい京都の街を、ガイドつきで・・って言うか、やはり京都の方がいて下さると、とても心強く安心して回れた今日、チテイジンさんに感謝!