日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* なっちゃんの注射で娘が出かけた夜  *

2012年05月17日 | 雑感

次女が昔の仕事仲間の方たちと食事会をするので、なつめを連れて夕方から出かけた。
京セラドームでバイトをしていたとき、いい仲間に恵まれてお店は閉店したが以後ずっとお付き合いが続いている。
お付き合いの集合をかけてくれるのはHさん。  いつもいつも手書きで、温かい文章を書いて葉書が送られてきていた。
心底いい人って言うのが感じられた。  大体こう言うのはいつの間にか疎遠になったり消滅したりするものもあるが、この方は違っていた。
近況を書きながらいつも心にかけてくれているのが良く分かる。 そう言う人だからみんなが集まるのである。  
結婚したり子供が出来ていたり、それでもこまめに思っていて下さるのにはいつも感心していた。
この彼女がこの度結婚されるそうだ。 私も嬉しく思う、きっと温かな家庭を築かれるに違いないと思っている。

かんたには「なっちゃんが注射をしに行くのよ」と言い、我が家へ連れてきた。  3歳のかんたには、疑う余地もない。
長女が来て、展君も会社帰り寄って賑やかな夕食になった。

次女には地元の中学時代からのいい友達が何人もいる。  あちこちで働いたお陰で、いい友達いっぱいいる。 上手につきあっている。
高校時代の友達も。 そして保育園のママ友さんも。 地元はいいなぁ、動かない友達がいて。 中学時代の同じスポーツで汗した
4人組はみんな区内で所帯を持っていて、お付き合いが続いている。  故郷にいたらもっと違った人生も送っていたかも知れないなぁ。

長女も、長男もそうであるが、パートナーはもちろん一番の信頼できる関係だが、親はいつまでも生きてはいない。 
そんなとき、兄弟はもちろん、いい友達がいることは人生の大きな生きる力。 共にそんな関係で人生が歩めるなんてどんなにすごい事だろう。 
親の生き方はまた子供にも受け継がれて行くに違いない。 そうあって欲しい。
和やかな皆さんとの語らいが聞こえて来るような夜だった。  そんな関係を築けなかった私には、羨ましい位に。 


*お見舞い 京都へ *

2012年05月15日 | 雑感

 長女の帰国を待って行く事にしていたので、一緒に出かける。 11時出発。  今日は雨模様。
「大阪城撮ろうっと・・」 カメラを向けるたびビルにかかる。 1枚だけ撮れた。

城陽まで1時間で到着。 お惣菜を作っていたので「今お父さんと実家にいます」と言う姪っ子にお土産やお惣菜を届けた。
病院の玄関、何処へ行っても、緑のグラデーション・・胸いっぱいに深呼吸したくなる爽やかな今の季節。

「あら~!」 着いたよとメールしながら寄り道したので、遅いなぁと杖をついた姉が玄関まで歩いて待ってくれていたのだ。 びっくり!



手術から1ヶ月が経った。  手術自体も術後の経過もよろしく、それにがんばりやさんの姉、リハビリも順調で見事な回復で驚いている。
私が以前かかっていた先生には、、「あんたもいずれは人工関節の手術せんといかんなぁ」と言われている。
当時待合室で、手術をしたおばあちゃんからは「せんほうが良かったわ」とか聞かされていた。 した方がいいと言う人、しない方がいいと言う人。
しかし医学の進歩はめざましく・・今ならどうだろう。 それにしても入院中友達になった人たちも羨むほど。 運が良かったのか?

長女は手術前に励ますためにと、4月の初めに会って以来なのでひどく喜んでいた。  食堂でお昼ご飯を食べお茶し話に花が咲く。
「姪っ子にここまでしてもらうなんて・・」 何かにつけて感激しては涙、普段でもそうなのにいっそう涙もろくなった姉である。  
血液検査の数値がもどらないので、左足はまだ出来ないそうだが、左をかばって歩くので痛みや水も溜まり抜いてもらったりしているようだ。
数値が戻れば手術してもらえるかを打診しているらしいが、出来るかどうかとなぁと懸念を抱いていた。

雨が本降りになった。 玄関のつつじが濡れている。 
何度も病院へ来ているので看護師さんも顔なじみ。  私は”うわさの人”と呼ばれているようだ。
入院してから毎日のように、自分で撮った写真で絵葉書を病室の姉に送っている。  香港から帰ってからはぽつぽつだけど。
切手はブロ友の因島の原ちゃんが季節の花の切手をいっぱい送ってくれていたのを次々貼っているので、花の切手にも感激していた姉。
部屋へ運ぶ看護師さんも目にされたり姉も話すので話題になっているようで。
以前長女がハワイのお土産でくれた素敵なフォトファイルを最初送ったので、私の写真集になると姉が嬉しそうに見せてくれた。
自分でもいいアイデアだと思っている。 

それにしても来る度に、看護師さんの働きには頭が下がる。 もう職業では無い、これは。  ”白衣の天使”とは良く言ったものである。
人さまのお世話が好き、それだけで看護婦を目指した私、どんくさいのに。 この道を続けなくてほんまに良かったと胸をなでおろしている今である。

 

 

 

 


* お勧め 和歌山有田のお土産 太刀魚の浜焼き *

2012年05月14日 | 料理・その他食

 

長女が旦那さんの実家和歌山県は有田市へ行って、夕方帰って来た。
以前にもいただいたお土産だが、夫はもうにこにこ・・

”太刀魚の浜焼き” 三枚におろした太刀魚を串に巻いて焼いてあるのでそのままでもいいが、網で軽くあぶってついているゆずポン酢でいただく。
ふわっとしていて上品・・骨もとってあるので食べ易いし美味しい!
お母さんがいつも「こんなもんしかないでよ・・」 地元の人にすればそうだが、獲れたてたて新鮮な太刀魚・・最高の贅沢である。
有田市は太刀魚の漁獲量日本一だそうで、頂ける私たちは幸せ!

今回新発売と言って、烏賊げそ揚げをいただく。 パッケージにも書いてあるが”太刀魚天をベースに地元で獲れた新鮮なやけ烏賊のげそを
たっぷり練り込み香ばしくあげて”ある。 めちゃくちゃ美味しい。 
今まではビールを飲みながら美味しそうに食べる夫を横目に、羨ましく思っていたがさてさて最近はお陰さま。
冷蔵庫にはいつもノンアルコールが冷え冷えでスタンバイしている。 こんな時は私だって! ビールの気分、気分。 

和歌山のお母さんの心遣いには感謝である。 お若いけれど、17違いのお姉さんだけど、まるでお母さんのような・・ふところの温かさ、
寄らば大樹の・・そんなおふくろさん、お母さん。
セイ君の妹さんにも、義父さんの丹精の立派な新玉ねぎ今年もいただいて、産直品最高!  

株式会社西村物産さん ”街コミZAQ”特派員 紀の川市エリア担当の”梅蕗さん”が記事を書いておられるのでリンクさせていただいた。

すんごい美味しい太刀魚の浜焼   一度ご賞味あれ。

㈱西村物産 〒649-0316 和歌山県有田市宮崎町2305  


* 神戸へ・・母の日 *

2012年05月12日 | 行事



まぁこんな事は年に一度あるかないか、昨夜深夜に香港から帰宅した長女、関空へ迎えに行った次女親子がいる朝。
夫は半ドン。 
朝なつめは我が家からプールに行った。 初回が半泣きだったのであんまり行きたくない顔をしていたが。
次女は「10回は行きなさい。 行きたくなかったらそれから考えよう」 そう言って聞かせていた。
お昼前に帰って来た、今日は楽しかったそうだ。 なつめは家のプールならなんてことないが保育園のプールの時先生に放り込まれた、
それが怖かったらしくて、トラウマにならなければいいが・・と、親は慣れさせるためにスイミングを選択したのだった。
保育園最後の夏、プールが楽しくなかったら可哀そうだし。

夫が会社から帰りお昼から神戸の夫人のところに行く事にしていた。  長女送り神戸へ向かった。
大阪市の税金の無駄遣い、高額なデザイン料を払って建設された見るたびにあきれる。

西宮ヨットハーバー付近

前回では、山の所々桜の花で白く色合いが違っていたが、もうすっかり緑に塗り替えられている。

夫人は駅前にできた”くら寿司”が気になるらしく、今度はそうしようと言っていた。 駅前は混むかもと、以前住んでいた近くのお店に行った。
夫人の親友が「一度連れて行ってあげる」と言いながら、急死したので回転寿司は私たちと行ったのが生まれて初めてだった。 
本当に好きらしい、夫がネタを選んで前に置くと次々と食べた。 いつも行く”スシロー”では自分でとっていたが、くら寿しには今衛生面で透明な
カップをかぶせていて、とるのにコツがいる。 前におじいちゃんがもたもたしていてぶつかり合ったお寿司のカップが私たちのテーブルへ落ちたことが。
 
「挑戦してみはったら?」 夫人には少し手の震えがあるので、無理と感じて今回は敬遠。
3人で30皿、これに赤だしのお味噌汁。 今までで一番多かった。 
くらでは5皿ごとに一回のがらポンゲーム、当たればおもちゃが出て来る。 2回当たった。 出会った母と2人の子連れさんにあげた。

夫は近くの温泉へ、私は珈琲をいただきながら話。  前に聞いた話、電話で聞いた話が殆どだった。
が、会うのは1ヶ月ぶりになるので、初めて聞くように「そう・・そうなんや」うなずきながら聞いた。 
「前に聞いたわ」とか「そう言ってたよね」なんて言うのは老人にはタブーである。  香港旅行の話もちょとした。
プレゼントのレースのブラウスを着てもらってカーネーションと写真を撮った。 服はぴったりだった。 実家の母の服を買うよりも上手に買える。

夫が温泉から帰り、お茶して引き上げることに。  団地の植え込みにはポピーが咲いていたので一枚。
2年くらい前は、車の所まで降りて来て見送ってくれていたが、今は足がおぼつかないのでベランダから見送ってもらっている。
小柄な背丈の夫人が手すりにつかまり身を乗り出すようにいつまでも手を振る姿を見るのは、辛いものがある。 
最近帰りには、いつまで寝込まずにおられるだろうか、もしそんな時がきたらその時はどうすればいいのか私たち。 
思っても仕方ないが、年を月を重ねるたびに老いを増す事への危機感を心の奥に感じながら少し無口になって帰路へ、それはいつも。