朝潮橋の駅近くのお好み焼き屋さん、毎年きれいにゴーヤのグリーンカーテンをしている。
その道のそばの木の、プラタナスだったかな・・そのそばに咲いている紫陽花。
たった一本でも(きれい!)
通るたび私の心を和ませ喜ばせた。
桜の季節、たった一本の木でもそこに桜が咲いていると、心がやさしくなり和むのと同じように。
今年、木買って植えようかな。
どこの家にも競うように花がいっぱい植えられている。
遠くまで出かけなくとも、歩いてあるいは自転車で乗って回るだけでも心が喜ぶ季節である。
「子供を産んだんやで、黒と茶色二匹お父さんは黒、お母さんは茶色見たんやで」
「逃げませんね、人が来ても。 たいていさーっと逃げるはずやのに」
デーサービスから帰ったお向かいのおばあちゃんと立ち話。
梅雨の晴れ間、さつきの木陰で猫ちゃん一家四人、いえ四匹は寝転んでいる。
高校時代、夫の家では猫を飼っていて夫は一緒に寝るとか言っていた。
結婚したとき猫はいなくて犬を飼っていた。 コロ。 年取って死んだ。
姪っ子がいたとき、犬を飼い始めた。 パピヨン種のラピちゃん。
愛くるしい顔のラピちゃん。 義兄さんはさほどでもなかったし、義姉さんもあまり好きそうでもなかった。
それがそれが、一端家で同居となると・・愛着が湧くもの、声もかけるし食べさせもするし、生き物だから。
そのうち義兄さんも毎日散歩するようになり、仕事から帰っても話しかけたり・・我が子と同じだ。
義姉さんにしても、段々と情がわいて散歩までしたりすると言う。
姪っ子が結婚して、ラピちゃんはますます義兄夫婦に可愛がられている。
私はいくつだったか、子供の頃犬にかまれたことがあった。 狂犬病の注射もしていないと言うし、大変だったことが。
身体が弱く良く医者に通っていた今では考えられないような弱かった子供時代。
以来犬には構えてしまうと言う拒否反応を示した。 見るぶんにはいいが、抱けない。
だからペットを飼うと言うことは、住宅事情もあったし飼うことがなかった。
たった一度、一緒に勤めていた看護婦さんから”パンダウサギ”をもらって欲しいと頼まれ飼ったことがある。
次女がまだ幼稚園へ行く前の頃だったと思う。 もうそれは可愛がっておなかに乗せたり、ウサギは泣いて近所に迷惑をかけることもなく、
夫や子供たちの本当にいいおもちゃのようだった。
1年半くらいで死んでしまった。 死んだことは知らせないで返したと言おうと言った私に、生き物には死と言うものがあること、
それを教えなくてはいけないと、帰宅した夜遅く寝ている子供を起こし、死んだことを話した。 子供たちは泣いた、私たちも。
もう夜十時も過ぎていたが、丁寧に箱に入れ近所の公園にまるでお弔いのように泣きながら五人がぞろぞろと歩いて行った。
土をかけ始めると一番可愛がっていた次女が、「砂をかけないで!かけないで!」と手でとめるように泣きじゃくり、
みんなもつられて泣いた悲しい別れだった。
あの後思ったことがある。
あの頃私と夫は、あることで気持ちにづれがあって、子供の前では見せないにしても、不穏な空気の中にいた。
パンダウサギが来て、ウサギを中心にして会話がなりたって・・家族が(夫婦が)一つになったのだ。
パンダウサギが我が家の救世主、だったような気がする。
(もう、私はいらないね・・みんながひとつになったし・・よかったよかった) そうやって天国へ召されたのだろうか。
以来、我が家では動物を飼うと言う事は一度もなかった。
三、四年前の天神祭りの日、息子夫婦がお祭りで来ていて夕飯の後、近所の天満宮の夜店に行った。
そこでひろとが金魚すくいでゲットしたのをマンションで飼っていた。 何匹か死んで一匹になっていた。
愛ちゃんが引っ越しの準備をしているとき訪ねたとき「金魚持っていけないしどうしましょう、飼います?」
「いやぁ・・前の家の時金魚飼っててね、夏田舎から帰ってきたらみんな真っ白になってひっくりがえって死んでた
その姿を見て以来金魚も飼えなくなったのよ」 愛ちゃんは川へ流しましょうかねどうしようかと悩んでいた。
息子より先に愛ちゃん母子が鹿児島に行ってから、一か月半引っ越していく息子も直前まで悩んでいた。
ひろとに電話でどうしようかと聞いたらしい。
「じいじのとこで育ててほしい」と言ったそうだ。
夫がそのことを聞いて即効「飼うわ」金魚の行先は決まり、引っ越しの前日二人で引き取りに行った。
「一匹は可哀想なので、足してやって欲しい」と言われた。
生き物だ、エサもやらなくてはいけない。
ひろとの思いで飼うことになった金魚、ひろ金魚と名付けた。
夫を見送る朝の玄関、二人して覗く。 エサをやるのは夫の役目にした。
「待ってるなぁエサもらうの」「今日は元気やね、早く増やしてやらないと寂しそうだよ」とか言いながら、
金魚を二匹、お店の人の話を聞いて買った。 鹿児島へもRINEで動画を送って、ひろとやゆいちゃんと話したりした。
我が家の家族になって、四十日あまりになった。
色の薄いのがひろ金魚、買ったのは赤いのと尾っぽが黒いので分かりやすい。
毎朝、「おなかが大きいんと違うか?」ひろ金魚の動きが鈍く、奥の方でゆったりとしているから。「どこか悪いんかなぁ」
ひろ金魚の動きが悪いので、心配した。 (だから飼うのはね・・もし死んだりしたらどうする・・)
夕方のエサも帰宅した夫の仕事にしている。 「お! 元気いいやんみんな」「みんな元気ええやん」
「うん、元気になったわひろ金魚」 心配したり、安心したり。
気が付いたらいつの間にか私たちは、この子この子とか言いながら話している。
帰宅した自転車の音がして玄関へ入った夫は、今までのようにすぐには上がって来ない。 エサをやってしばらく眺めているのだろう。
住めば都・・じゃなくて、飼えば家族?
ひろとの一言で家族になった金魚。
私たちは今、三(人)匹の金魚から目が離せない。
もしかしたらこの金魚が、二人の会話を増やしていい感じになるのではなかろうか。
金魚へのやさしさが、お互いへのやさしさに更に加わるのではないだろうか。
こころゆらゆら・・。 金魚・・ゆらゆら。
初孫ひろとの嬉しい置き土産である。
たった1年のうち2時間、ろうそくの灯りのもと「からっぽの時間」を過ごして見ませんか?
参加は簡単! 6月の夏至の夜6時、赤レンガ広場で会いましょう! 家の電気を消して、会場に集まるだけ!
築港で築光・・赤文字のようなメッセージが書かれたパンフレット、すっかり忘れていた。
長女が電話をくれて、「行きたいんやったら車で行ってあげるよ」 夫、即OK・・でも雨がぽつぽつ・・、あるかなぁ・・とりあえず家の電気を消して。
行ったのが7時前、ボランティアの方たちが一生懸命にカップを並べていた。
どうやら今年は港区の花、『ひまわり』の花がテーマになっているようだ。
石段で傘をさし時を待つ人々も増えてきた。 きっとみなさん、あるのかな・・明日に順延かな?とか迷っておられたと思うが。
海岸通りギャラリーCASO,とUSJのパフォーマンスされる外人さんのマンションと、旧住友倉庫の赤レンガの間に位置する広場。
安藤忠雄事務所さんの設計の『親水護岸』および『人工地盤』だそうだ。 夫が見たそうだが、石段のある人工地盤の下は倉庫になっていて、今回のカップなどの
置き場になっていたとか。 将来は駐車場になるらしい。
石段を上がった広場は南港大橋、大阪港が望めるきれいなスポット。 今後、港区ではこの辺り周辺を開発、観光に繋がるスポットにと言う計画をしているようだ。
固形燃料の入ったカップが並べられ・・7時過ぎ点火が始まった。
雨がぽつぽつ・・でもやるんだね。
「並べるのお手伝いできる方は・・手伝って下さ~い!」 こういう声がかかると落ち着かない私。
(私腰痛持ちで中腰駄目だし、膝が悪いからしゃがめないので手伝えなくてごめんなさい)とも言えず。
辛いわ・・しゃべりながら待っている人でも、何人か行ったらもっと早くカップ並ぶでしょうに。
子供さんも手伝っているので気を使う。 私見に来た人・・って感じ辛い。
でも・・家の電気を消して、会場に集まるだけ!ってパンフレットに書いてたし・・ぶつぶつ心に中でしゃべっている。
段々周りは暗くなって行き、花の形が見えてきた。
出来れば最後までいたいが・・どんなふうに進行するのか参加してみたいけど。
全部に灯りをともすためにもう少し時間がかかりそう。 光アート、ひまわりの花の全体像を撮ることができなかったが
夕飯もまだだし長女は車で待っていてくれるし、友人からの電話もあり、イベントの盛り上がりを待たずして1時間ほどで引き上げることになった。
でも灯りって・・温かい心になるね。
色んなカップが集まって・・色んな人の思いが集まって・・今年で7回目、夏至の夜のキャンドルナイト。
集まった人々の心がひとつになる時間である。
山門をくぐった眼下には・・五十種、一万株と言われる紫陽花の花の間を、縫うように歩く人々がとても小さく見えた。
青色の紫陽花がひときわ爽やか・・
久しぶりの一眼レフ、ボケてしまったがそれが お気に入りの一枚に・・。
今回はコンデジと両方を使った。
きれいに刈りこまれたつつじ園は二万株が花を咲かせ、シャクナゲも千本、五月はそんな花たち。
季節になんらかの花で、参る人々を楽しませるその心意気が嬉しい。
初めて見る品種
長女は自分たちようにお守りふたつ、夫と私に足腰健全仏足お守りストラップをプレゼントしてくれた。
これには御釈迦様の足跡が刻まれていて、仏足石を踏む人は健脚となり、生き抜く勇気をいただくことでしょうとの注釈。
ここまで来たら平等院へ行ってみようと言うことになった。
まずは腹ごしらえ。 宇治橋のそばにある函館市場でお寿司をいただく。
平等院へは何度も来ている。 最近では二年前、姉のお見舞い娘や孫と、そして三年前母米寿の旅、兄夫婦、妹夫婦ときた。
見舞ったときは蓮の花が咲いていたが、今は何もない。
阿弥陀堂の阿弥陀如来さまは一時間待ち、パス。 お庭を一回りして終わり。
花がいっぱいの三室戸寺に行ってきたので、味気ない平等院だった。 鳳凰堂だけは変わらず十円玉と同じ絵の建物、紫陽花一つが目に入らなかった。
こちら、せめてさりげなく紫陽花の木でもあれば、どんなに心が和むであろうか。
今は緑の藤棚の近くの長い椅子にずらっと老人会の?方らしい団体さん座っておられる景色には圧倒された。
蓮も水連もなし・・
宇治川沿いを歩いた時、お茶屋さんで初めて紫陽花の花を見た。 やはりこの季節には、紫陽花が似合う。
昼下がりではあるが、お客がいない様子なので入るのをやめた。
宇治橋近くのお店、『お茶にしませんか』の看板、京都らしい雰囲気やなぁ。
三時、もういいだろう、足もそろそろ限界。
長女夫婦のお陰で三室戸に来れたし、青葉の中の充実、満足な四時間の京都であった。
昨日は神戸の夫人を見舞った。 明日はゆっくりしよ・・そう思っていた。
夜「明日、十時頃迎えに行くわ」と長女。 (あ! そうやったわ・・半分忘れていたかも・・)
セイ君がお母さんを三室戸寺の紫陽花を見に連れて行ってあげ、って。
何日か前に、予定のない金曜に連れて行ってあげるねと言ってくれていたのだ。
一時間ほどで宇治市菟道滋賀谷21番地・・三室戸寺駐車場へ。 姉は過去に宇治菟道・・に住んでいたのに、その頃は私、知らなかったし。
もう十一時である、すでに何台もの観光バスや驚くほどの乗用車の数、他府県ナンバーの車が・・。
来た人あらば,帰る人の列も。 一眼レフを持った方は大体、人の少ない開門をねらっていて出足が早い。
朱色の山門をくぐった右手下方向に、紫陽花が咲く庭が広がっているではないか。 紫陽花の間を縫うように観光客の姿が見える。
ブログの友kazuさんは、毎年のように行っておられて、一度行ってみたいと思っていた。
kazuさんの絵はがきのような美しい写真が(こんな風になってたんや・・)見下ろす紫陽花園を見て初めて理解できた。
「あれはお茶畑?」 まるでそのようにきれいに刈り込まれたつつじ園を見てか、後ろの方でそんな女の人の声がした。
紫陽花の園庭への 案内も気になるが、「まずお参りやね」と言う事で、『ようおまいり』の石塔へ。
「石段大丈夫?」 足や膝を案じて娘が言ったが「大丈夫やで」スロープの方がいいとは思ったが、まぁいけるだろうと、石段を一段づつ登って行った。
西国観音霊場十番の札所、三室戸寺(みむろとじ)約1200年前・・と言うから、かなり古い。
二人で護摩焚き・・、お参り。
勝運のお寺とも言われている。 若の花、貴乃花の手形があった。 平成十年若の花関は春場所直前絵馬を奉納し、見事優勝をしたと言う。
そして笑顔の・・頭は老翁、体は蛇、この宇賀神の像さん、耳をさわれば福が来る、髭をなっでれば健康長寿、蛇のしっぽをさすれば金運に・・
おばちゃんはなでなで・・白い石が黒くなっている部分が・・ここがなでなでの場所なんだろう。
本堂の前の御影石高さ150センチもあるうさぎさん、おなかの穴の中に手を入れれば分かるが、卵のような石を立てられたら開運、昇運。
娘も私も「立った!」
本堂の前には蓮が咲き始めていた。 蓮の写真をあまり撮ったことがないのでもっと期待していたが残念。
護摩焚きのお線香の煙がなびいていた。 これから八月初めにかけて百種二百五十鉢の蓮が見事にお寺を彩ることだろう。
まだ数少ない蓮だけど・・
本堂の右手には阿弥陀堂や鐘楼、三重塔、これらは江戸時代のものらしい。 新緑の緑と朱色の対比が、いっそう鮮やか。
蓮はこれから大輪の美しい姿を見せるであろう。 諦めきれずに咲いている花は見逃さずにカシャ!
さぁ、楽しみな三室戸寺の紫陽花へ・・