母の眼科診察。
もう、眼科に通い始めて数年だ。
最初はまぶたのたるみをとる整形手術程度だった。
日本でも指折りの偉い先生に、特別にお金を支払って診察してもらい両目のまぶたの皮を切って筋肉を吊り上げ、まぶたのたるみを取った。(年寄りだから保険治療)
期待は裏切られ、特別室に入院したにもかかわらず、まぶたは全く上がらなかった。
そして、2回目はその権威ある先生が外来で母の眉毛の皮を切り取り、まぶた上げの手術をした。手術直後はパッチリ開いて、大成功かと思われた。
期待は裏切られ、ぜんぜんまぶたが上がらない。
それどころか、目玉が痛くなってきたのだ。
さかさまつげのせいだとか、石ができているとか・・・・
御茶ノ水までタクシーで通いきれず、近くの大学病院で治療をしてもらうことに決めた。
大学病院の先生は、御茶ノ水の権威のあとの手術などはできないと断ってきたが、
もう御茶ノ水博士とは縁を切るからどうか、治療してくれと、頼み込んで治療に入った。
新宿の大学病院で、片目の(もう今となっては右だか左だかわすれた)まぶた切除の手術をした。 片目だけギロギロに開いた。 なんともへたくそな手術だ。
乱雑。
しかし、母の目玉が痛くて痛くて・・
せっかくまぶたを上げたのに、目玉が痛くて目を閉じたいらしい。
まつげを取ったり、石をとったり、
4回目の手術は、片目の結膜弛緩を治す手術。
これで、目玉の傷みも取れるかと思ったが、ぜんぜん!
何をやってもだめ、 5回目の手術もだめ。
そして、今年の夏になり、ボツリヌスをしようということになった。
ボツリヌス予約の日に、病院に行ったら、そこは、神経眼科専門の外来だった。
どうやら、先生が代わったらしい。
新しい先生は、それはそれは母の目のことを考えてヨーク診てくれるのだ。
とにかく、目の表面がカラカラに乾いている。もう油が出ていない状態。
残された油の管を復活させるために、軟膏をつけて蒸しタオルで暖め、油の道を復活させようと、8月いっぱいそんな自宅治療をした。
目を傷つけないために、デイサービスにも点眼をたのみ、わたしもがんばった。
このひと月で、目の赤みは取れた日もあった。
まあ、かわらないかな・・・
今日、新宿の大学病院神経眼科受診。
なにをしてもよくならない母の目で、先生は真剣に悩んでた。
ボツリヌスをして痙攣をとめて瞬きをしないようにしてしまったら、痛みのために目をつぶりたいのにつぶれなくなってしまう。そんなリスクがあるから、ボツリヌスはしないほうがいいんじゃないか・・と考えてくれている。
あげくに、偉い先生に診てもらおうと言い出し、だいぶ待たされて、
偉い先生を呼んできてくれた。
そしたらさ、その偉い先生は
若い先生とまったく同じことを繰り返して言っただけで去っていった。
おいおい! 偉い先生! 母の目がなぜ、痛いのか、なぜヒクヒク痙攣しているのか診ないんですか? ボツリヌスのリスクについては、もう若い先生が説明しましたよ。
若い先生では判断できない、治療方法がわからない場合、偉い先生は助けてくださいよ。
ってわけで、若い先生もがっかりしただろうね。
なんだこいつ!って絶対思ったと思う。
日本の医療を悔やんだと思う。
大学病院は、若い先生の修行の場であるんだから、偉い先生は偉くなきゃいけないでしょ。
残念だ。
この、専門外来において、この体制は残念だ。
それで、わたしと、若い先生の判断で、ボツリヌス菌注射はしないことになった。
わたしに、してほしいよ~~ ボツリヌス。
強い軟膏を一本出してもらって、2週間片目だけにつけることになった。
片目だけつけて、比較判断するのだ。
せんせいは、よく考えてくれてる。
あと、いままでの手術が重なったせいで、母の目はしっかり閉じていないらしい。
寝ているときはきっと目が開いてイルだろうといわれた、
そりゃ、かわくわ・・・
午後3時半、診察が終わり。
もう、わたしは4時からの仕事で、
病院にお金もはらわず、タクシーで帰宅。
母は、自分が残って支払いをすると言ったけど、むしして、タクシーで帰宅。
玄関を掃除して、夕食を出して、久しぶりに超たいへん!!
ぷーたろうのチョコパンに、自転車で支払いにいってもらって、薬ももらってきてもらった。
プ~太郎がいて、助かった。
でもさ、もともとは、プ~太郎が診察の付き添いをしてくれるって言ってたのに、
でかける午後1時になっても、起きてきやしないんだから・・
わたしは、介護で必死になっているとき、
介護をひとまかせにして、のほほんとしている、あのひとやこのひとやあのひと に腹をたてているんです。
介護をしようとしないひとって、いるんです。
そんなひとは、親が施設に入所することを悲しまない。苦しまない。面会しない。
このブログをいつも読んでくれるkappaさんのお母さんが5月に亡くなりました。
このブログをいつも読んでくれるイタチさんのお父さんが本日亡くなりました。
心からご冥福をお祈りします。
心の底から悲しいです。
もう、眼科に通い始めて数年だ。
最初はまぶたのたるみをとる整形手術程度だった。
日本でも指折りの偉い先生に、特別にお金を支払って診察してもらい両目のまぶたの皮を切って筋肉を吊り上げ、まぶたのたるみを取った。(年寄りだから保険治療)
期待は裏切られ、特別室に入院したにもかかわらず、まぶたは全く上がらなかった。
そして、2回目はその権威ある先生が外来で母の眉毛の皮を切り取り、まぶた上げの手術をした。手術直後はパッチリ開いて、大成功かと思われた。
期待は裏切られ、ぜんぜんまぶたが上がらない。
それどころか、目玉が痛くなってきたのだ。
さかさまつげのせいだとか、石ができているとか・・・・
御茶ノ水までタクシーで通いきれず、近くの大学病院で治療をしてもらうことに決めた。
大学病院の先生は、御茶ノ水の権威のあとの手術などはできないと断ってきたが、
もう御茶ノ水博士とは縁を切るからどうか、治療してくれと、頼み込んで治療に入った。
新宿の大学病院で、片目の(もう今となっては右だか左だかわすれた)まぶた切除の手術をした。 片目だけギロギロに開いた。 なんともへたくそな手術だ。
乱雑。
しかし、母の目玉が痛くて痛くて・・
せっかくまぶたを上げたのに、目玉が痛くて目を閉じたいらしい。
まつげを取ったり、石をとったり、
4回目の手術は、片目の結膜弛緩を治す手術。
これで、目玉の傷みも取れるかと思ったが、ぜんぜん!
何をやってもだめ、 5回目の手術もだめ。
そして、今年の夏になり、ボツリヌスをしようということになった。
ボツリヌス予約の日に、病院に行ったら、そこは、神経眼科専門の外来だった。
どうやら、先生が代わったらしい。
新しい先生は、それはそれは母の目のことを考えてヨーク診てくれるのだ。
とにかく、目の表面がカラカラに乾いている。もう油が出ていない状態。
残された油の管を復活させるために、軟膏をつけて蒸しタオルで暖め、油の道を復活させようと、8月いっぱいそんな自宅治療をした。
目を傷つけないために、デイサービスにも点眼をたのみ、わたしもがんばった。
このひと月で、目の赤みは取れた日もあった。
まあ、かわらないかな・・・
今日、新宿の大学病院神経眼科受診。
なにをしてもよくならない母の目で、先生は真剣に悩んでた。
ボツリヌスをして痙攣をとめて瞬きをしないようにしてしまったら、痛みのために目をつぶりたいのにつぶれなくなってしまう。そんなリスクがあるから、ボツリヌスはしないほうがいいんじゃないか・・と考えてくれている。
あげくに、偉い先生に診てもらおうと言い出し、だいぶ待たされて、
偉い先生を呼んできてくれた。
そしたらさ、その偉い先生は
若い先生とまったく同じことを繰り返して言っただけで去っていった。
おいおい! 偉い先生! 母の目がなぜ、痛いのか、なぜヒクヒク痙攣しているのか診ないんですか? ボツリヌスのリスクについては、もう若い先生が説明しましたよ。
若い先生では判断できない、治療方法がわからない場合、偉い先生は助けてくださいよ。
ってわけで、若い先生もがっかりしただろうね。
なんだこいつ!って絶対思ったと思う。
日本の医療を悔やんだと思う。
大学病院は、若い先生の修行の場であるんだから、偉い先生は偉くなきゃいけないでしょ。
残念だ。
この、専門外来において、この体制は残念だ。
それで、わたしと、若い先生の判断で、ボツリヌス菌注射はしないことになった。
わたしに、してほしいよ~~ ボツリヌス。
強い軟膏を一本出してもらって、2週間片目だけにつけることになった。
片目だけつけて、比較判断するのだ。
せんせいは、よく考えてくれてる。
あと、いままでの手術が重なったせいで、母の目はしっかり閉じていないらしい。
寝ているときはきっと目が開いてイルだろうといわれた、
そりゃ、かわくわ・・・
午後3時半、診察が終わり。
もう、わたしは4時からの仕事で、
病院にお金もはらわず、タクシーで帰宅。
母は、自分が残って支払いをすると言ったけど、むしして、タクシーで帰宅。
玄関を掃除して、夕食を出して、久しぶりに超たいへん!!
ぷーたろうのチョコパンに、自転車で支払いにいってもらって、薬ももらってきてもらった。
プ~太郎がいて、助かった。
でもさ、もともとは、プ~太郎が診察の付き添いをしてくれるって言ってたのに、
でかける午後1時になっても、起きてきやしないんだから・・
わたしは、介護で必死になっているとき、
介護をひとまかせにして、のほほんとしている、あのひとやこのひとやあのひと に腹をたてているんです。
介護をしようとしないひとって、いるんです。
そんなひとは、親が施設に入所することを悲しまない。苦しまない。面会しない。
このブログをいつも読んでくれるkappaさんのお母さんが5月に亡くなりました。
このブログをいつも読んでくれるイタチさんのお父さんが本日亡くなりました。
心からご冥福をお祈りします。
心の底から悲しいです。
専門医の先生方、なんとか、良い状態にしてあげて下さい。
kappaさん、お母様のご冥福を心からお祈りいたします。
イタチさん、お父様のご冥福を心からお祈りいたします。
皆様、お疲れが出来ませんように、ご自愛下さい。
みんなそれぞれ順番にそうなっていくんですね。
この場をお借りして、(すみません)ご冥福をお祈りいたします。
大事にしなければいけないと分かっていても、一緒にいるとそう大事にもできず、、、ここで、大事にやさしくしてくれる役目の人がいるといいのですが、人々は自分が生きることに必死ですからね。
義母さまは、健康でなによりです。
この1年を健康で乗り切れたらいいですね。
親がいなくなっても大丈夫な時期に、親は亡くなるんでしょうか。
私たちの親がみんな亡くなった頃、私たちは完全におじいさん、おばあさんに変身するでしょう。
ババママさんは、義母さまの壮絶な介護をお嬢さんと協力して自宅で一生懸命していました。 ロビマムさんは、ご家族との関係でお母さまを施設に入れてしまって、心を痛めていました・・・。
元気でいたババママさんのお父様が、急に弱ってきてしまい、きっと立ち直るだろうと応援していました。
残念です・・
ご冥福をお祈りいたします。