アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

点滴終了したが・・

2007-11-14 02:23:07 | 介護
2007年11月13日(火曜) ダッシュで面会

母が急に回復し、今日はデイサービスに行くことが出来た。
それにしても、あの数日間の空白の時は何だったのだろうか?
ユウタイ離脱後の抜け殻が存在していた。
本当に、母の魂は、抜け出ていたとしか思えないほど
生きていなかった。
ジャングルで暮らすオオカミ少女が人間を見つめる目つきだった。
とにかく、訳が分からないけど、
今日は普通に戻っている。

それで、わたしは、午前のアルバイトに11時までに行かねばならず、
3時半からは自宅で夜まで仕事。
でも、ジェンギンスのことが心配で、心配で、
決心して今日、1時間だけジェンギンスの所へ行くことにしたのだ。

行くとなるとその準備が山ほどになった。


母の夕食準備。
家族の夕食下ごしらえ。
ジェンの飲み物。
ジェンのおじや。
洗濯取り込んで、洗濯干して、仕事部屋の片付け
自分のお昼

病院に寄るとなるとチャリは使えないので
ハチ公バスで原宿まで出てバイト先へ走る。
ちょっと走ると、息切れがする。
ほのるるマラソンはとうてい走れないと痛感する。

バイト先から病院へ電車で行く。
1時半の面会時間には当分時間があったので
暖かい日の当たるお庭で、自分で作ったおにぎりと
海苔巻きを一人で食べた。
ハワイアンを流して、一人で楽しんだ。
落着いた。
それから、入院費99805円を支払って、
1時15分に病棟へ行った。

ジェンは、食事が許されお昼をいただいたそうだ。
点滴も終了し、拘束つなぎも着ていなかったし
ヒモで縛られもせず、ベルトで固定もされず
普通にベッドで寝ていた。

下着替えをしたところで、
抵抗したらしく、機嫌が悪かった。

ジェンは、面会中ずっと起きあがらず、喋らず
食べず、飲まず
横になって寝ていた。
呼びかけには答える。

まったく、母のこういう状態が消失したと思ったら
ジェンギンスに今度は乗り移った。

まず、アサダアメの水飴を舐めさせた。
ただ、舐めていた。
体をマッサージしながらかゆみ止めを塗った。
足を痛がった。顔をゆがめて痛がっている。
抵抗しすぎて、骨が折れたのかと思うほど痛そう。

食べ物も飲み物もいらないって。。。。
何もあげなかった。

1時間経って、もう帰る時間だから
持参した暖かいカフェオレをホンの少し飲ませたら
美味しいって言ってた。
初めてのことばだった。
いままで、さかんにお喋りしていたのに
全く喋らないの日は初めてだ。

でも、欲しがらないからあげなかった。
寝てる時に飲んだら、吐くからな

病棟では、誕生会が盛大に行われていた。
105才になるお婆ちゃんや100才になるおじいさんだ。
ジェンギンスがあと20年生きればこの年齢になるのだ。
100才ってすごいことです。

今日のおやつはケーキが出ている。
ジェンギンスにもケーキitem9をくれるでしょうか?
みんな、お部屋からロビーに出てお祝いをしているのに、
寝たきりはジェンギンスだけです。
特養施設とは違うのでみんな起きれる人が入所しています。

ひとつひとつ、症状が悪くなるにつれ
過去の一つ一つが「 あのころはよかったなぁ 」と感じられます

喋れるしあわせ
歩けるしあわせ
食べれるしあわせ
歌えるしあわせ
訴えれるしあわせ
わかるしあわせ
家族と暮らす幸せ
笑える幸せ



    紅葉のお庭でわたし一人ひっそりとおにぎりを食べました

コメント    この記事についてブログを書く
« ジェンギンス発熱・点滴 | トップ | 後どのくらい生きれるだろう »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿