昨夜、仕事から帰宅したチョコパンがシャワーを浴びていました。
わたしは、マクドウウェルと映画をみていました・・・
チョコパンが言いました
『 卵をいつまで茹でてんの? 』
『 ギャー! 忘れてた、30分も茹でてしまった!』
わたしはマクドウウェルに言いました
『私は物忘れをするようになってしまいました。
もうこれからは、よろしくお願いします。』
マクドウウェルが、にやけた顔で言いました。
『 もう、もう・・・
若年性じゃないし』
わたしは、棒高跳びを越えられた時のように
ほえました。
~~~~~~~~~~~~~~~
さて、きょうは月曜日。
朝7時に 朝食のにぎり寿司を2人前作って
昼食の卵サンド・メンチカツサンド
(朝から揚げ物してる偉い私)
チリドッグサンド を3人前作って
母のお昼定食を用意して
お湯わかして、水筒に冷たいお茶入れて、
烏龍茶作って
メリーの御飯と注射・・
美味しい紅茶を入れて、果物を切って・・
朝の戦争ですが、
今までは母が起きてこなかったから
母の朝食は全てが終わってから
用意していました。 でも最近起床してくるので
忙しさの戦争に、母の朝食までが加わりました。
牛乳あたためて、ヨーグルトを用意して、
今日は葡萄パンを人肌にあたためて
そして、9時に全てが終わり、株タイム。
株やりながら、フラダンスを練習して、スチールギターを
練習して、かたずけ物はいっさいしなくて、
そんなことをしてたら午後1時で、あわてて階下へ
昼食をだしに下りていった。
母は、通帳を探しています。
『 通帳を探すのは呆けた証拠だとわかっているけれど
絶対に無い。
いくら探してもないし、キャッシュカードもない』
わたしが探したら、枕の下から通帳は出てきました。
カードが無いとうるさいので、
『カードなんか盗まれたって大丈夫なんだ』と言っても
お金をおろされているかも知れないというので
銀行までひとっ走りしてきました。
お金はおろされていないし、カードは落とし物には無かった。
カード紛失の手続はまだしないで帰宅しました。
母は、気が気じゃなかったらしく、テレビも見ないで
私が用意していったお昼を食べていました。
安心した様子でしたが
『 わたしは、すっかり覚えれなくなってしまった。
もう。脳みそが駄目になってきた。
ぜんぜん覚えていないことがある・・』
って、落ち込み始めました。
こうなると、かわいそうなのです。
強気でうるさい口を叩いている時は
こちらも、何いってんの~!と言えますが
こんなに、物忘れを嘆かれると
気の毒の固まりです。
そしたらさ、ちょうどテレビで
東京タワー のドラマをやってて
もこみちのマー君が
『 おかんは、死ぬまでここにおればいい。
ずっとここで一緒に暮らせばいい 』
って、悲しい台詞を言ってるし・・
どんな状態になったら母を施設に入れようかと
私が考えていた所に
“ 死ぬまで一緒にくらそう ”なんて台詞を聞いたら
胸が熱くなる思いでして、
わたしも母にそんなことを言って
安心させてあげたいものだと思い、
こんど機会があったら
“死ぬまでここにおればいい
ずっとここで一緒に暮らせばいい” と言ってあげよう。
夕方2回目のメリー散歩に母が出ていったので、追いかけて一緒に
散歩をしました。
何で付いてきたの?二人で行くこと無いじゃない って
言われました。
===========
夕べの話に戻ります。
母がいつものように買い物をして帰宅。
カシューナッツを買ってきて言いました。
「 マクドウウェルの便が堅いっていうから
たべさせてあげてちょうだい 」
わたしは、大音響で映画を見ているマクドの部屋に行き
便が堅いのか?と尋ねました。
そんな話は聞いたこともないそうです。
母は、「じゃあ、夢だったんだ 」と言い。
年をとると夢と現実の区別が付かなくなることを
演説してくれました。
そこま講義できるくらいなら
呆けないでくれ!とマクドと話しあいました。
今は、まだまだ大丈夫な母です。
父の16年間のアルツハイマー人生の一日目にも
到達していないくらい初期段階です。
早々に病院受診して
へたな向精神薬を投与されて
精神病になってしまう老人が
多いんじゃないかと
私は、思ってます。
認知症による物忘れだと
診断がついたなら
自然にまかせてノビノビと
生きていた方が
幸せだと思う。
私が認知症になったら
家族に多大なる迷惑がかかります。
施設に入るお金もないし
リフォームして閉じこめておくしかない。
張り紙をして
「 みるき~さん、自覚は無いでしょうが
あなたは認知症になりました。
家族は仕事で留守です。
危険なので、この部屋から出ないように
鍵を掛けました。
外に出ようとしないで、ここで待っていてください」
このようにお願いします。
ご迷惑をおかけして
申し訳ございません。
わたしは、マクドウウェルと映画をみていました・・・
チョコパンが言いました
『 卵をいつまで茹でてんの? 』
『 ギャー! 忘れてた、30分も茹でてしまった!』
わたしはマクドウウェルに言いました
『私は物忘れをするようになってしまいました。
もうこれからは、よろしくお願いします。』
マクドウウェルが、にやけた顔で言いました。
『 もう、もう・・・
若年性じゃないし』
わたしは、棒高跳びを越えられた時のように
ほえました。
~~~~~~~~~~~~~~~
さて、きょうは月曜日。
朝7時に 朝食のにぎり寿司を2人前作って
昼食の卵サンド・メンチカツサンド
(朝から揚げ物してる偉い私)
チリドッグサンド を3人前作って
母のお昼定食を用意して
お湯わかして、水筒に冷たいお茶入れて、
烏龍茶作って
メリーの御飯と注射・・
美味しい紅茶を入れて、果物を切って・・
朝の戦争ですが、
今までは母が起きてこなかったから
母の朝食は全てが終わってから
用意していました。 でも最近起床してくるので
忙しさの戦争に、母の朝食までが加わりました。
牛乳あたためて、ヨーグルトを用意して、
今日は葡萄パンを人肌にあたためて
そして、9時に全てが終わり、株タイム。
株やりながら、フラダンスを練習して、スチールギターを
練習して、かたずけ物はいっさいしなくて、
そんなことをしてたら午後1時で、あわてて階下へ
昼食をだしに下りていった。
母は、通帳を探しています。
『 通帳を探すのは呆けた証拠だとわかっているけれど
絶対に無い。
いくら探してもないし、キャッシュカードもない』
わたしが探したら、枕の下から通帳は出てきました。
カードが無いとうるさいので、
『カードなんか盗まれたって大丈夫なんだ』と言っても
お金をおろされているかも知れないというので
銀行までひとっ走りしてきました。
お金はおろされていないし、カードは落とし物には無かった。
カード紛失の手続はまだしないで帰宅しました。
母は、気が気じゃなかったらしく、テレビも見ないで
私が用意していったお昼を食べていました。
安心した様子でしたが
『 わたしは、すっかり覚えれなくなってしまった。
もう。脳みそが駄目になってきた。
ぜんぜん覚えていないことがある・・』
って、落ち込み始めました。
こうなると、かわいそうなのです。
強気でうるさい口を叩いている時は
こちらも、何いってんの~!と言えますが
こんなに、物忘れを嘆かれると
気の毒の固まりです。
そしたらさ、ちょうどテレビで
東京タワー のドラマをやってて
もこみちのマー君が
『 おかんは、死ぬまでここにおればいい。
ずっとここで一緒に暮らせばいい 』
って、悲しい台詞を言ってるし・・
どんな状態になったら母を施設に入れようかと
私が考えていた所に
“ 死ぬまで一緒にくらそう ”なんて台詞を聞いたら
胸が熱くなる思いでして、
わたしも母にそんなことを言って
安心させてあげたいものだと思い、
こんど機会があったら
“死ぬまでここにおればいい
ずっとここで一緒に暮らせばいい” と言ってあげよう。
夕方2回目のメリー散歩に母が出ていったので、追いかけて一緒に
散歩をしました。
何で付いてきたの?二人で行くこと無いじゃない って
言われました。
===========
夕べの話に戻ります。
母がいつものように買い物をして帰宅。
カシューナッツを買ってきて言いました。
「 マクドウウェルの便が堅いっていうから
たべさせてあげてちょうだい 」
わたしは、大音響で映画を見ているマクドの部屋に行き
便が堅いのか?と尋ねました。
そんな話は聞いたこともないそうです。
母は、「じゃあ、夢だったんだ 」と言い。
年をとると夢と現実の区別が付かなくなることを
演説してくれました。
そこま講義できるくらいなら
呆けないでくれ!とマクドと話しあいました。
今は、まだまだ大丈夫な母です。
父の16年間のアルツハイマー人生の一日目にも
到達していないくらい初期段階です。
早々に病院受診して
へたな向精神薬を投与されて
精神病になってしまう老人が
多いんじゃないかと
私は、思ってます。
認知症による物忘れだと
診断がついたなら
自然にまかせてノビノビと
生きていた方が
幸せだと思う。
私が認知症になったら
家族に多大なる迷惑がかかります。
施設に入るお金もないし
リフォームして閉じこめておくしかない。
張り紙をして
「 みるき~さん、自覚は無いでしょうが
あなたは認知症になりました。
家族は仕事で留守です。
危険なので、この部屋から出ないように
鍵を掛けました。
外に出ようとしないで、ここで待っていてください」
このようにお願いします。
ご迷惑をおかけして
申し訳ございません。
今日は、ある治療院の定休日だったのですが、私は、もうすぐ辞めてしまう先生への御挨拶にと出向いてしまいました。
もう、本当に酷い物忘れです。ラッキーな事に先生はいらして、治療までもしていただけたのですけどね。私も家族にお願いをしておかないといけないとこの日記を拝見してそう思いました。30分のゆで卵よりも事態は私の方が酷いです。フゥ~~。私が認知症発症したら、家族は崩壊です・・アァ~~。やはり、その前にアチコチの算段が必要ですよね。
死ぬまでここに居て良いよって言えたら、良いのですが。苦しい自己の脳みそです。
生まれてくることは調節できるんだけど、
死ぬことは計り知れないことだから、
これから先、どうなっていくんでしょうね。
もう、若年性じゃない年齢だから、未来への希望もなにも、あったもんじゃありません。