アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母 目の手術

2010-04-13 16:20:00 | 母の介護
母の目の手術はもう何回目だかわからないくらいです。

御茶ノ水博士に特別料金を支払って特別室に入院して両目の眼嶮下垂手術をしたのが始まりです。

そこからどんどん悪化して

2回目も御茶ノ水博士に外来で整形手術をしてもらいました。
(わたしもやって欲しい・・眉毛の下の皮を切ってあげるの)

3回目は、もう御茶ノ水博士と縁を切ることを約束して、近所の大学病院で眼嶮下垂手術をしました。

今度は、目玉が悪化してきて、痛みや不快を訴えて目を開けられません

4回目は、左目の目玉の表面にある皮のたるみを取る手術をしました

5回目は、まぶたの筋肉を持ち上げる手術をしました

6回目は、今度でしょうか、右目の目玉の表面にある皮のたるみをとって、
     結膜に発生した石をできる限りとって、まぶたもあげる手術を
     しました。

手術の予定時間を大幅に超えて、先生はお昼を食べる時間もなく診察と手術に追われています。
日帰りの手術ですが、点滴をしながら、血圧を測りながらで、途中、血圧が200を越えて、術後の血圧も180くらいです。

術後は痛みを訴えました。


手術を4階手術室前で待っていると
いつも同じ光景に出くわします。

それは、死体が運ばれていくのです。

黒い服の葬儀屋さんが白い布で覆われた死体を霊安室に運びます。
その後ろを、入院の荷物を持った家族が追いかけます。

父の時味わった光景です。

今までの光景では泣いていた家族はいなかった。
始めて出くわした時は、おばあさん1人が付き添っていた。

私の父の時は、私とチョコパンとマクドウウェルの3人で付き添った。
霊安室でのお焼香とか、わたしはそんなものがあるなんてちっとも知らなくて、
病院の皆さんが、お焼香して下さって経験したことのない親族のお辞儀をすることとなった。 父を病院から見送った時、見送って下さった病院の皆様に、挨拶までするという経験を急にしたのだ。
大人になった気分だった。

さて、母は
本来入院してするべき手術を外来で済ませ、血液サラサラのため出血もおおく、
先生が何かあったときのためにと先生の携帯の電話番号を私にメモしてくれた。

 せんせい、今夜電話してもいいですか 

そして、母のトイレが終わるのを立って待っていたとき
珍しい光景に出くわした。

20台の男性が両手をへその前でぐるぐると布で巻いて歩いていた。
手を怪我したのかなぁと、わたしはじ==っと見て、彼が通り過ぎたとき見つけた!
腰紐だ。腰に縄を巻いて刑事がしっかり逃げないようにガードしていた。
つまり、両手は手錠がかけられていたのだ。
容疑者だ。犯人だな。怪我でもしたんだろうか・・、ちがうな、病院でつかまったんだな。

暇にしているといろいろな光景に出会うものだ。
世間に出るのは大事なことだ。

で、母は昔の人だから、
パジャマを着て寝込んでいます。
精神的に病人です。

暮れに退院した時も寝込んでいた。

いまの時代は、退院したらその日から活動するもんです。

~~~
さっき、知り合いのソウカガッカイが来た。

なにかの反対運動にサインしてくれといった。
母がいる時に一度きたらしいが、母は
「 どんなものにもサインはしてはいけないからできない」と断ったそうです。

母は偉い
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2 コメント

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Unknown (イタチ)
2010-04-15 21:38:51
私の母は目をレーザ治療したけど完治してません、よ。目は大事ですね。まだまだ見たいものがたくさんあります。なので遠近両用メガネを作りました(^-^)v
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Unknown (みるき~)
2010-04-16 02:32:48
★ 最近、遠くも近くも見えませんよ。
 老眼めがねは、まだ作りませんが、ときどき、母の老眼鏡をかけて見たりします。 お手手のしわとしわが、よく見えます。
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