アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

大変な毎日

2005-08-14 00:33:46 | 介護






よそに預けるとこんなに痩せてしまう父でした。


施設に預けたからといって皆が痩せてしまう訳ではありません。
太っている人はさすが施設にはいませんが、がりがりに痩せている人は少しいます。
定期的な食事がうまく取れない父のようなタイプは栄養状態が悪化してしまうんでしょう。

拒否の強い父は食事も食べようとしません。
片目が悪いせいか片側の食事しか食べないし、1つの物しか食べないので、うちの家族は父のためにけっこう食事の工夫をしています。 
いままで、父の食事にこんなに気を使っていたとは気がつきませんでした。
食べさせるために多大な努力が施されていたわけです。

父を施設に預ける事によって、食事の量が減り、体力は落ちて抵抗力がなくなって死に至ることが見えてきました。

この老体でありながら、今までなんど生還してきた事か。
父が強靭な生命力を持っているんだと話し合っていましたが、
この16日間でのやせ衰えを見ると、家族やデイサービスの協力でいままでたくさん栄養を取ることができていたんだと思う。

~~~~~~~~~~~~

さて。
16日間のショートステイを終えて、4日が経ちました。

もう、大変です。

放尿とお漏らし。それに母がなかなか大変なんです。


夜寝る時は母が一緒に寝ているので、夜のトイレに付き合います。
でも、父は尿意を感じて1人で起きてトイレへ行けるけれど、几帳面な性格なので開けた扉はきちんと閉めるので帰り道がわからなくなって迷います。そこで母が登場しなければなりません。

あるときは、ジャージャー音が聞こえるのでおきてみたら、玄関で放尿。
チョコパンがシャワーに入っていて湯船を見たら、湯船の中に放尿あとあり。

あるときは、トイレに歩いていく途中にもう間に合わなくて、垂れ流しでトイレへ駆け込む。
そのとき、『 ここでしちゃおうか?』と玄関や廊下で放尿しようとしたらしい。
玄関で放尿しちゃうのは、間に合わないときらしい。

それが全部夜中だから、夜中に掃除を母がするわけだ。
朝起きて、神経質な私がクレンザーで掃除するわけだ。

母は、睡眠不足で寝たいらしい。
昨夜は父が夜寝ないでうろうろしているので
デパスを自分に2錠、父に1錠飲ませたという。

前回の失敗を母は覚えていないよう
だ。

結果は、おねしょの洪水。
おねしょマットをしていた分布団は濡れなかったけれど、
早朝より母は洗濯。
でも、布団は干さないし、濡れたおねしょパッドも洗わない。
布団もたたまない。掃除もしない、、、、
老人性うつ病だとケアマネージャたちからは指摘されているけれど、本来持っている性格でもある。

父が今ぼけてなお!部屋をかたづけているのは
50年間父がこの家の片づけをしていたと思われる。

今日は日曜日。

デパスのせいで、父は朝からおしゃべりが止まらず、
母は、デパスの大量投与で眠くて眠くてすぐ眠る。
『 朝から喋りっぱなしで少し静かにしてよ』という母のほうが
よく喋ってるように思える。

なんか、父の介護は母がして、母の介護は私がして、でも母の失敗をフォロして、あれこれあれこれ言われて、父の態度にもあきれて・・・なんか、疲れる。
でも、母のほうが疲れているはずだから、弱音は吐けない。
まだまだ、私は外出して自由させてもらっているし。

~~~~~~~

今日は遺産相続問題で私のいとこが来る。

何も相続に詳しくない母といとこがあたふたしている。
観ていられない。

母は権力振りまいて、父に来た遺産を放棄した。
親戚にも放棄させた。
そして、今日挨拶に来るいとこに、すべてあげた。

2000万円贈与されて、税金で1500万円、弁護士に300万円・・・・・・
こんなことだとわかっていれば相続してからこっそりあげればよかったんだ。
弁護士にだまされたっていっている。
その弁護士はやめたほうがいいって最初に私は言ったんだけど、若造の私の言う事は誰も聞いてくれないんだ。


話はそれてしまいましたが、父は今、玄関に座っています。
家に入れないんです。
でも、薬のせいで歌ってます。
 
~~~~~~~~~

お客さんのいとこが2時間ほど滞在して帰りました。
父も同席して話しをしました。
父のボケがここまで進んでいたかと驚きました。
わけの分からない自分のいいたいことを喋っていました。
全く、話の通じないおおぼけのおじいさんです。

今日来たいとこのお母さんは、父の姉です。
兄弟そろって陰険な意地悪な人たちです。
きょう、そのおばさんの性格を聞いたら父とそっくりでした。

意地悪でいやみばかり言われたそうです。

死ぬ間際の最後は、今の父に似ています。
夜中に杖で廊下を歩いていたそうです。
オムツは嫌がって、布の下着のうえに紙おむつをはいてしまいもれてしまうそうです。
ポータブルトイレも使用できず、その横に排便してその上を歩き回っていたそうです。
寒い夜中の排便のあと始末は大変だったそうで、しかし、おばあさんが新聞紙をポータブルトイレに突っ込んだりなんだり・・・
大変だった数ヶ月・・・・・・え?
数ヶ月だけ? 短いんですね。 それはしばしの辛抱でしたね。

うちはこの先どのくらい続くんだろう。
つい先日まで、このままずっと生きていて欲しいと願ったわけだけれど、それが、とことんたいへんで、父の生きている価値さえ考えている。 ここまで生き恥さらして、父は幸せだろうか?

その昔、私や姉を苦労して学校に行かせてくれた父だった。
私や姉ではなく、私だな・・・お金がめちゃくちゃかかった。

その父は、今、生き恥さらして年金を家族に残してくれている。
おかげで母は不自由なく生きている。
感謝だ。
その恩人を邪険にしてはなるまいが、はげしい仕打ちに退散したい意向だ。







一言コメント (全 3 )




みるき(milkie@gaiax)

たとえどんな形でも家族には生きていてほしいと思っていました。でも、それが正しいかどうかはこの異常事態になって初めて考えさせられることです。



ユウヒ(yu-hi@gaiax)

アルツの人の最期で男の人一人と女の人何人か強烈に印象に残っている人がいます。寝たきりで、話もできず、身体はおかしな形で硬直し、食事も経口摂取ではなく点滴や鼻からもしくは胃に直接でした。女の人のほうはその状態で何年は生かされていました。(寝たきりになる前は、もちろん歩き回ったり便で遊んだり激しかったそうです)家族がそれでも生きていてほしいと望み、よく面会にもこられていたからです。なぜこんな状態でも生かされているんだろうと悲しかったです。。



ユウヒ(yu-hi@gaiax)

私も脳の病気もちだからデパス服用したことあります。1錠でも効き目は強い薬だったな。


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迎えに行きました

2005-08-10 00:30:46 | 介護






免許を取って運転5回目の私の甥が
迎えに行ってくれました。

16日間預かってもらった老健へ父を迎えに行きました。

私と母のスーザンは電車で向かいました。
私の姉とその息子は車で向かいました。

同時に老健へ到着し、2階の皆が集合しているところへ行くと父は椅子に座らず歩いていました。

私たちの事がわかるのかと声を掛けずにいましたが、なんとなくこちらを見ているので、少しは見覚えがあると感じてくれたのかもしれません。

声をかけましたが、ぼ~っとしていて動じません。
『家に帰るよ』と言っても、喜びもせず意味がわからないようです。

『娘達が二人来たよ』と、母が言うと
『ずい分大きくなったな』と言っています。
おばさん様の娘ですから驚いたでしょう。

スタッフが父の荷物をもうまとめてありました。
『洗濯物は取りに来ますか?
それとも、送りましょうか』
と聞かれたけれど、どっちが得なのかすぐに判断できず
『取りにきます』と言ってしまった。
洗濯物くらい持って帰るのにな・・・
交通費は・・・往復1120円。ひえ~!
新宿まで無料シャトルを使って節約して三鷹から歩いたりすれば・・・・440円だ。

いつも預ける施設は、持ち物の確認が厳しくて
身に着けている下着から入れ歯から全て点検に点検を重ねる。
きょうは、あっさりとただ持って帰るだけだ。
各自の部屋のたんすは鍵を掛けてしまうので管理が行き届いているようだ。

2階のフロアはいつもの顔ぶれが揃っていた。
点滴をして歩き続けていた女性は廊下のベッドで眠っていた。
娘らしき60台の女性が顔を覗き込んで手をさすっていた。
先日は息子、今日は娘が面会だ。
大事にされているお年寄りだ。

先日歩き続けていた男性はやっぱり、廊下のベッドで眠っていた。
穏やかに眠っていた。
寝ているときは平和だ。
穏やかな顔で寝ていた。
かわいそうな脳。病気の脳のためにじっとしていられず家族から敬遠される。

薬屋さんだと言うおじさんは、立ってこちらを見ていた。
何か言いたいみたいだった。
聞いてあげる時間が無かった。
こんなに優しい顔をして優しくしゃべっておとなしいおじいさんは家に居てもいいんじゃないかと思った。

もしかして、、、
わたしは、老人介護に向いているのかもしれない。 絶対したくない仕事だと言いつつ、、、向いているらしい。
わたしはぜったい怒らないし。
お年寄りを尊敬できるし。
笑顔で接する事が出来る。
・・・・うう~~ん

~~~~~~~~~~~
たった一人の若いスタッフに見送られ、
『 なにか、お話しすることとかあるんでしょうか』
ときいたら
『 わたしは新人でわかりません』
ということで、とにかく、荷物を爺さんを受け取って
すぐ帰ることとなった。

外へ出て、
ジェンギンスのあまりの歩行困難に
姉が驚き、これじゃバスにも乗れないからと
車に乗って近くの三鷹駅まで乗って行く事になった。

じゃ、なぜ、車で来たかというと、まだ運転に慣れない20歳の息子の運転で一家を乗せるわけにはいかないのでとりあえず荷物だけでも運んでくれようとしたのだ。

全員新車に乗った。
ジェンギンスはなかなか乗ってくれなかったけど
姉が強引に乗せた。
ごく近くの三鷹駅までの道のりを検索するうち
『 このまま家まで行っちゃおうか? 途中で止まるほうが恐いよ』 と京王ボーイが言うので
『 いけいけ~』と私がはやしたてた。

カーナビの言うとおり進んで、
頑張った。

ジェンギンスは
『この辺は昔よく来たよ』などと言っていた。
『おい、大丈夫かよ』と途中車の運転を心配していた。 こわごわ運転して、こわごわ乗っている私達の様子が伝わったようだ。

とにかく、無事到着。
姉達にもお迎えしてもらって
私は幸せを感じた。
昔一家4人で暮らした仲間が揃ったんだ。

今考えたんだけど、私は今年で丁度
両親と暮らした年月と
家を出ていた年月が同じなのだ。
しかし、いままた両親と暮らしているから
・・・だから、長い事結局両親と暮らすわけだ。

~~~~~~~
父は、

たいそうに痩せた。
たいそうに足が弱った。
たいそうに声が出ない。
たいそうに鼻が詰まっている。

呆けは、変わらない。
相変わらず夕方不機嫌で
夕飯の片付けをしている私に
『 もういいよ、家は旅館じゃないいんだぞ』
といって、帰れ!という意地悪を言っていた。
そして、奥へ行って母に
『泊まるって言ってるぞ!旅館じゃないんだ!』
とほざいていた。
わたしは泊まるなんていっていないのに
父の頭の中では、悪い創造がいっぱい出来上がっているんだな。

父もそう長くは生きないと思われる・・
どんな事を言われても、
全然気にしない。












 


一言コメント (全 4 )




ユウヒ(yu-hi@gaiax)

そうそう、みるきさんは、介護の仕事とてもむいていると思います。私を含め、私の知っている現場の職員よりもよい介護理論みたいなものを持っているなと敬服しています



ユウヒ(yu-hi@gaiax)

アルツは確かに人格がすごく変わりますね。どうなるかは人それぞれ。施設に預けると、痴呆が進むのは集団生活しているのでどんなに頑張っても、完全に個別化された対応ができないからかなぁ・・・。



みるき(milkie@gaiax)

ここまで人格が変わり、人間として生きていけなくなってきて、どうしたらいいものかと思います。 


お客さん(GUEST) そう長くは生きないと思いながらも、暴言にはつらく、つい



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老健の様子

2005-08-09 00:22:08 | 介護






昼食後はレクリエーションの時間。

私は、老健の施設も特養も父以外の痴呆老人も
見たことが無い。
今回、3時間ほど老健に滞在してみてきた事を
書いてみる。

この日は日曜日。
たくさんの面会が居るのかと思ったけれど
痴呆フロアはこの日二組の面会しか居なかった。

他のフロアは結構面会名簿に名前が記入してあった。
・・・という事は、話の通じない痴呆老人は、家族に面会もされないっていう事か。

私が到着したのは昼食後の2時頃。
丁度みんなが一つに集まってレクリエーションが始まるときだった。

出席をとって、名前を呼ばれるとみんな返事をしていた。 寝ている人もおこされて返事をする。
気合だ!
『 今日は西暦何年ですか?』などと難しい質問をするので
おとしよりから
『そんな難しい事はわかんないわよ』と声も飛ぶ。
今日が何日か、わかる人は誰も居なかった。
大きなカレンダーが壁一面に張ってあるけれど
それを見てもわかる人は居なかった。

痴呆老人30名定員のこのフロアは
ほとんどが女性だ。
男性は7人くらいだろうか。

一人の男性は椅子にじっと座っていられずレクには参加できず、ずっと歩いていた。
一人のお年寄りの女性は、歩く事もできないほど足腰が弱って衰弱しているのに点滴をしながら歩いていた。
多分息子さん(60歳くらいかな。。)が付き添って歩いていた。ずっとずっとあるいたり、倒れこんだり、座っても、すぐ歩きたがる。もう歩くのは無理なほど弱っているのに歩きたいんだ。
歩いていて突然立てなくなってガクッと倒れるから付き添うのも大変。
その女性は、部屋で睡眠をとらず、廊下に布団を敷いて生活しているのだ。

スタッフは、結構たくさん居た。
ゲームの面倒をみているのが4人くらい。
そばで、セッセと記録しているのが一人。
一人一人の記録をつけていく作業は大変だ。
記録も大事だが、老人への声掛けも大事だ。
あとナースステーションみたいなところに、一人存在。

まえに、見学に来た時も、ここに暇そうに不機嫌そうに滞在しているこのスタッフはどなただろう?
そんなに暇なら、ぼ~~っとしているお年寄りに話し掛けてくれるといいのに。

時々相談員の男性スタッフが忙しそうに回っているけれど、彼にはハリがあるので来てくれるととたんにフロアが生き生きする。
日曜なのに、休みなしのしごとだなぁ。

お医者様も時々、お年よりを見回っていた。
特に脈を診るわけでもなく、ぐるぐると笑顔で歩いていた。 お年寄りに声を掛けてくれるといいのにな。

お年寄り達は、言われるとおり席を移動したり
おやつを食べたり、お茶を飲んだり、素直に行動している。
家の父も、言われるとおりだまって従っていた。

おしゃべりが好きな父は誰とも話さず、疑問も解決されずだまって座っていた。

わたしは、学校に行って机に座って強制的に勉強する事や,強制的にトイレに行かせられることや 
ずっと、いいこで椅子の座っている事はもう嫌だ。
もう、そんな生活はいやだ。
歳を取ったら自由に気ままに暮らしたい。
だるいときは横になりたい。

80,90になってこんな収容所みたいな生活は辛いと思う。
ずっと靴を履いた生活。
だからといって、家にいても自分では生活できる脳を持っていないのだからこまる。
本人に記憶は無くても、その場その場は遠慮した生活をおくっているのだから可愛そうだ。

お年よりは、みんなだまって座っていた。
でも、誰かに話しかけられると返事をして結構喋りだす人だいるので驚いた。

一人の女性は、まったく正常に見えるし、普通に話をするし、他人の世話をしていた。
どうして、このフロアにいるんだろう。

一人の女性は多分若年性アルツだ、顔つきがアルツ独特になっていた。ずっと喋らないので喋れないと思っていたら↑女性に話しかけられて長く喋っていたし、封筒のシール貼りも上手に出来ていた。

ガリガリのしわしわの女性は、ソファに座っている父に歌集を渡して『コレを持って行っていいわよ。
足りなくなったらお役所からまたもらってくるから』 
と親切に話しかけてくる。
お医者様をみて『アノ人はおいしゃさんだよ』と教えてくれた。
その、女性がトイレに連れて行かれる姿を見て驚いた。 腰が曲がっていた。
ホッチキスくらい曲がっていた。

この施設は、全員をマメにトイレに連れて行く。
オムツはしているだろうが
一人一人声を掛けて連れて行く。
意識無く歩き続ける女性もトイレに連れて行く。
すばらしいと思った。
さすが老健だと思った。

おやつ後じっと座ってだまっていた女性達も
封筒シール貼りの仕事が与えられるとちゃんとやっていた。
仕事が終わった時
『たすかりました。ありがとうございます』と言うスタッフの言葉も貴重だった。

昼食、レクリエーション、おやつ、作業、お茶、夕飯・・・こうして一日を毎日過ごしているんだろうか。
いい施設だと思った。

母は、もうずっとここに預かってもらおうか・・・と言い出した。

家の父が夜中にトイレに起きて迷子になる一件も
センサーによって問題なく解決しているようだし、
いままで、ショートステイで問題行動だったことがここではなんでもないようだ。

たしかに、男性老人はよく怒っている。
いつも誰かしら怒っている。
男ってワガママなのでしょうか。
ここに居るとうちの父はおとなしくて優等生に見える。

それに、どの老人も足腰が弱く、元気に普通に歩いている人がいない。
うちの父がトイレから帰って来たときをみたら
普通に歩いているので目を見張った。
それに、言語もはっきりしているし、会話も普通の人と同じように喋るので問題ない。

やっぱり、わからない。
父の症状がわからない。
記憶が無いだけで他の痴呆老人とはちょっと違う。

でも、これから痴呆が進んで歩行と言語と会話が不自由になるんだな。

続く



一言コメント (全 3 )




ユウヒ(yu-hi@gaiax)

うん。本当は住み慣れた自宅がいい。だから、在宅介護に重点を置く介護保険制度があります。老健は特に施設(病院を含む)から自宅へ戻れるように建てられた中間施設と呼ばれていました。現実は、特養化していて痴呆が重度になると少し預けるがもう少し、もう暫くと延長して施設に滞在することになる人が多いようですね。


みるき(milkie@gaiax)

自宅介護が人間的に一番だと思います。 でも、本当に家族はおいこまれます。大変すぎます。

お客さん(GUEST) はじめまして。じゃみらと申します。私の母も若年性アルツハイマーと診断されて7年です。現在言葉は全く意味不明。こちらの言うことも全く理解できません。足腰も随分弱くなりました。うちもできるだけ自宅介護でと思っています。お互いに頑張りすぎにのんびりやっていきましょう。

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老健面会

2005-08-06 00:18:04 | 介護





封筒にシールを張る作業中。
たくさん説明して貼ってもらう。
ドノ人も、作業を頼むとがんばってやっている。

私は昨日無事にハワイから帰国した。
老健で父を預かってくれたお陰で
安心して出かけることが出来た。

面会に私と母のスーザンと孫のチョコパンの
3人で出かけた。

2時に到着すると、レクリエーションが始まるところだった。
ゲームをしていた。
個人的な面会はさておいて見学した。

チョコパンが近くで付き添った。

曜日あてゲームや新聞の引っ張りっこや
タオルの引っ張りっこ、お手玉の早取り、
じゃんけんゲーム:::いろいろ楽しませてもらって居るようだ。

ジェンギンスは
新聞紙を切ってはいけないといって、ちぎらずにいた。
タオル取りゲームでは、向かいのおじさんが負けるを
嫌がったので譲っていた。

とにかく、いい子で座っていた。
私達が近寄ると、
『こんなところに来てはいけない』と言っていた。
皆は誰も来ていないのだから、うちだけ家族が
うろうろしていてはいけない事だ・・・としっかりした事を言っていた。

皆が椅子に座ってゲームをする間
車椅子ですごく怒っているおじいさんがいた。

スタッフの若い女性は
真剣に怒っていた。
『 足上げて!! 足上げて!!』
車椅子から降りるために足を上げないおじいさんの足を思いっきりどかした。
おじいさんは、痛いことをされて怒って女性をたたいた。蹴った。
女性は怒った。『いい加減にしてよ!なによ!さっきから!』
スタッフの怒る気持ちもわかるが、おじいさんがああいう態度になる気持ちもわかった。

私はその女性スタッフに言いたかった。

『 あなたは痴呆介護の仕事は辞めなさい 』

おじいさんは、一人で歩きながら
怒っていた。

わたしは、おじいさんに優しくしてあげた。
優しく笑ってあげた、ずっと、笑ってあげた。
おじいさんは、いい人になって行った。

他のスタッフはおじいさんの顔色を伺っていた。
恐い顔をして観察していた。

おじいさんは、何を言って居るかわからないけれど
時々鳥の鳴き声をだすので
わたしとチョコパンは一緒に鳥の声をだして
会話した。
おじさんの名前を聞いたら
『 かずお 』だって言っていた。

呆けるっていう事は、あわれです。
立派に生きてきた今までの人生を
ダイナシにします。
そして、家族に捨てられるのです。
現役を去ったら、過去の栄光も関係なく
介護に適さないスタッフに邪険にされたりするのです。

かわいそうで見ていられません。

家族のために頑張って生きてきた栄光を
尊敬できるのは家族しかいません。
施設に入ったら、単なる痴呆老人でしかなくなるのです。

かわいそうで見ていられません。

~~~~~~~~~~~~

ジェンギンスは、おとなしく椅子に座ってゲームをしたあと、おやつをいただいて、母とトイレに行き、椅子に座っていた。
夕方が近くなり、家に帰りたいようなことを言っていた。
『 用事を済ませてくるから』 と言って去った。

どうやら、センサーで立ち上がりを感知しているので
夜中のトイレ誘導は成功しているようだ。
問題も特に無いようだ。
夜は11時ころ寝て居るらしい。

よかった。

あと3日で迎えに行く。

家に帰って怒らなくて言い子でいてくれるなら
ずっと、家にいて欲しい。
この家で最後を迎えて欲しい。

父は痩せた。
たんの絡んだ咳が出ていた。

10日前にいたおじいさんおばあさんは
そのまま居た。

前に怒っていたおじいさんは
おとなしかった。

脳の病気・・・
ダイヘンだと思った。










一言コメント (全 3 )




みるき(milkie@gaiax)

ただいま。ここの老健が緊急に父を預かってくれた事に大変感謝しています。


お客さん(GUEST) kazeです。お帰りなさい。ジェンキンスさん無事そこにいられてよかったですね。このまま症状が進まなければいいのですが。



ジュニタ(jyunita@gaiax)

お帰りなさい。老健での話、身に詰まされ切なくなります。明日はわが身・・・



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。