アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母との生活が再開

2013-09-06 12:34:00 | 介護
2013年9月3日火曜日に母は36日ぶりにショートステイから帰ってきました。

10年前くらいに父を2週間預けると、ボーッとして明らかに変化して帰ってきましたが、母の場合変化はありません。
そればかりか、歩くのが早くなっています。

8月末には、外出で葛西臨海水族園に車で行ったそうです。
運転手さんが『 疲れなかった? 』と聞くと
母は    『 全然つかれないわ、わたしは、ほら 歩くのが平気だから 』

・・・なんちゃってことを言っています。
人一倍歩けないから私は外出が心配なのに、歩きには自信たっぷりの母を見て驚きました。

そして言うのです
『 でかけたら、ほかの年寄りは歩けない人ばっかりで、どうしょうもなかったわ』
・・・母は、元気で歩けると思っているんだから困ります。

だから、私の留守中ショートに行くことにすごく反対していました。
『 みるき~がいないのに、わたしが家にいなくてどうするの!! 』
自分は買い物に行って自分のことは自分でできると、何回も主張されました。

明日が何日で、デイがあるのかないのかもわからないし、朝起きると私のメモがなかったら何も行動できないくせに・・・!

自分を理解できないことがボケなんだな。

~~~~~~~~~~~~~~

母が帰宅して、また大変な毎日になりました。
8月の避難中は、どんなに幸せだったことかと思います。

あ~~喉が痛い。 7月までは頭痛だったのに、8月からは喉咳タンです。
喉にもしかしたらカビが生えたかもしれません。


ある日は、 『 お茶の風味がなんにもない!! ほうじ茶にしなさいよ 』
ある日は、 『 何このお茶! あんた、お茶を足したでしょ。 濃すぎるわよ』

わたしは 『 うすいって言ったり、濃いって言ったり 』 と軽く言ったら

母   『ちょこぱんは、こんな言い方しないね、 ちょこぱんは、こん風に言わないね』

ってチョコパンにたすけをもとめています。

母は、わたしのことが嫌いみたいです。
ケアマネにもよくそういうようなことを話しています。

こんなに、人生を犠牲にして同居しているのに苦しい話です。



 伸びた髪をカットします

 カット終わり

 

昼のそ〜麺もうまく食べれません。
歯で噛み切ることができなかったり、ながいそ〜麺をめんつゆにうまく付けることができなかったり・・・

見てるだけで疲れてしまった。

コメント (6)

帰国しました

2013-09-01 14:20:00 | 介護
8月中一ヶ月オランダで過ごし、昨日8月31日に日本に帰ってきました。


日本のことはすっかり気にしていなかったので、
電気のスイッチの場所や、電話の場所や、電話操作のしかたや、いろいろすっかり忘れています。

偏頭痛の発作はなく大変良かったです。
大変な咳こみはおさまり、胸からあふれる変な咳とタンだけあります。
あとは、だるくてだるくて、、、、

不眠症だから時差をいいことに全然寝てません。
8月30日午前7時(オランダ時間) から 9月1日午前8時(日本時間)までねむれなかったのはいったい何時間おきていたんだろうか・・・
とちゅう、うとうと30分ずつくらい何回かはしましたが。


今日が日曜日でよかった。

預けてある鳥とハムスターを迎えに行く元気はありません。
母は火曜日に迎えに行きます。
母が居なくてホットしてます。

母の介護がどんなに自分にとって辛いことかとおもいます。

でも、元気でいる母を見てあげれないなんていけないことだから、頑張らなければいけないんだろうなとおもいます。


ああ。ストレスのおおい日本に帰ってきてしまった。


★ 支払ってあるのに数年分支払い記録が抜けている国民年金のこと
★ 悪徳不動産屋に脅されていること
・・・・

困っているのはそれだけだ。
解決したいのに誰にも解決できないのだ。


さて、早く元気になってくれないとこまります。
私の体がです


コメント (6)

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。