michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

ひよこにとって、「自由」とは?        〔動物〕 

2012-06-07 06:32:47 | Weblog

最近、おもしろいブログを拝見してます。

ひよこ育成日記』っていうんです。

きのう6/6の記事では、

ひよこの周りを囲っていたガードを取り払って、広々とさせた、という。

『単純に考えると「狭いとこより広々としてた方がいいだろ」と思うのですが、どうもそれだけではないらしいです。

ヒヨコの時期に、お互いが触れ合うくらいの密度で育つことで、大きくなってからもストレスの少ない鶏になるのだとか。』

ひよこ目線の写真があって、とても実感できる。

 

私は、鶏飼いは お手伝い程度の経験しかないんですが、

牛は何年か携わってて、なんとなく想い出してしまいました。

その頃 乳牛たちは、スタンチョンという器具で、一頭一頭 繋がれていたんです。

寝起きは、自由に出来るし、餌や水は欲しいときに摂れるけど、

歩き回ることは出来ない。

今どきの金属製の連動式ではなく、一頭ずつで木製。

それが古くて時々壊れることがあった。

牛にとっては、自由に解放され、どこへでも行けるチャンス

 

ところが、そんな状態でも逃げ出さないことが多かったんですよ。

牛は、スタンチョンが壊れて開きっぱなしになっていることを 

ちゃんと知っているにも拘わらず。

 

これってなんなんでしょうねぇ~。

『広い自由』が良いとは限らないということかしら。

周りに仲間がいて落ち着くとか、安定・安心とかの方を選んだ、ということ?

 

  ひよこの話から、ちょっと飛躍しすぎたかしら――。 

  それにしても この『ひよこブログ』、これからも

   ひよこ目線の観察・飼育に期待したいですね。

 

 

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こころを感じるスーパーです     〔地域〕

2012-06-06 06:08:46 | Weblog

スーパーへ行く、というとき、

私にとって、この辺りでは2店ある。

A店は、近いので便利だけれど、

なるべくB店に行きたい。

なぜかというとBの方が、店員さんが『感じが良い』のです。

さらに、いくらか『お安い』。

そのB店が、最近さらに良くなった。

 

レジがいくつかあって、その一つは、

カートを押していって、カウンターにカゴを

どっこいしょと降ろさなくて良いつくりになったのです。

やってみたら、

カウンターが低くて、ちょうどカートより低い高さになっているので

押していって差し込むような格好に。

これは、特に高齢の方や体の不自由な方には喜ばれるでしょうね。

こんなこと、思いつきもしませんでしたが、

真剣に考えてくれる方がおられたんですね~。

これまでにも増して、誠意を感じます。

 

 

さらにもう一つ。

陳列棚の手前に、大きな拡大鏡がいくつかあって、

それぞれに大きめの札が付いている。

  なになに?

『小さい字の見えにくい方へ。

 どうぞお使いください。使用後はレジへお返しください。』

  アッ、これはありがたい。

さっそく使わせてもらいました。

 

  そうなんですよねー。

  商品の説明は小さい字で書いてあることがよくあって、

  私はその度にメガネを出してました。

  カード型の、透明の拡大レンズを使っていた頃は、

  お買い物済んだ後、カゴから取り出すのを忘れてて

  お騒がせしちゃったり・・・。

 

今回、レジでその拡大鏡を返却し、支払いも済ませたあと、

次のお客も居なかったので、レジの方に

「これ、便利ですねぇ~。助かります 」と言ったら、

「あ、ありがとうございます 」と

笑顔で返して下さったのも嬉しかった。

                         

 

 

 

 

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『ほたる草』って3種類もあるんですね !!       〔自然〕

2012-06-05 06:37:50 | Weblog

ほたる草。ほとんどまっすぐ下向いてる。

ちょっと調べてみたら、

『ほたる草』っていったら、3種類の草花があるんですってね。 ↓

 http://www.hosp.mie-u.ac.jp/doctorblog/2010/07/201007/

写真の「ほたるふくろ」、「露草」それに「ほたるさいこ」、

そのどれもが別名『ほたる草』ですって。

  なんとまぁ~

 

でも、蛍が入りそうなのはやっぱり写真の「ほたるふくろ」ですけどね。

  想像するだけでワクワクしちゃう――

 

中はどうなってるのか撮ってみたけど(ケータイを下からのぞかせて)、

思っきりボケてしまった。

でも、他のサイトでも、中の様子がわかる写真はあまり無いようなので、

一応アップ。↓

『接写モード』にしても、距離だけじゃないようですねぇ(これまでの経験で)。

他のいろんな要素を考慮しないといけないみたいで、

奥が深そう。 

 

 

 お隣りでは、花々のおしゃべりが にぎやか。 

 

 

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梨と柿と苺と、、、    〔自然〕

2012-06-04 06:17:48 | Weblog

田んぼに合鴨の雛が入っているときいて、

散策がてら行ってみましたが、居ませんでした。

『お家』にいたのかもね。

代わりに、というか 大きなカラスが2羽も田んぼに入っていた。

こんなのにつつかれたりしたら、

雛ちゃんたち、たまったもんじゃない。

 なにか手を打たなくちゃね。。

 

         

 

道すがら花など目にとまる度に

立ち止まり 見入ってしまいます。

何の花だったかしら…?

近づいてみると、

とても清らか――。

 

 

 

柿の花って、ガクとそっくりね。

 

 

 

  梨は まだピンポン玉より一回り小さい。

 

 写真って、だいたい明るい時をねらって撮ってきたけど、

こういう雰囲気も捨てがたいわねぇ。(空は曇ってました)

なにかひっそりと、マイペースで着実に育っているよう。

  応援してますよ~

 

 

 苺の花。 かなり『接写』です。

こんな小さな花から、大きく立派で美味しい苺が生まれるなんて――。

 

 

 

今日もいっぱい楽しませてもらったね。

『トトロの道』も誘ってくれてるようだけど、

  う~ん、、また今度ね 

 

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『境』ってどこにあるの?    〔つぶやき〕

2012-06-03 07:28:31 | Weblog

今朝の新聞の一面で、

「宗教と環境―自然との共生―」

という記事が目に飛び込んできました。

「仏教、神道の宗教者らが、東日本大震災を経験した今、それぞれの教えの持つ知恵をもとに自然とどう向き合い、何をなすべきかを討論した。」

  これは素晴らしい。

 

仏教と神教は、まったく別もの、という意識で、

自分の中でも なにか線を引き、境をつくっていたような気がします。

 

自然との共生、

――地球の一隅に住まわせてもらっている者として

地球に優しい暮らしをすすめていくのは、誰にとっても当たり前、

当然のことのように思えてきます。

 

 

そもそも宗教って、、

どこからが宗教になるんでしょう?

 

たとえば私は無宗教ですが、

半日くらいでも どこか出かけて帰宅したとき、

父の遺影に手を合わせ「ありがとう お父さん、見守っててくれて。

お陰で無事に帰ってこれました。」と感謝しますよ。

 

大樹が芽吹いた、紅葉したなど自然の営みを目の当たりにすると、

なにか大いなるものの存在を感じ、胸うちふるえてきたり。

自然崇拝というのは大昔から続いてきたんですよね。

 

 

ちょっと飛躍しますが、

きのう「大英博物館」の特集があって、チラチラみてました。

とても価値の高い大きな博物館で、さぞや入場料は…と思っていたら、

無料とか   っていうか、

募金箱があるだけだそうですね。

「全て みんなの遺産」という考え方だそう。

 

  こんな境の無い考え方、とても共感します。

 

 

 

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咲いたよ~♪ 当たり前?    〔自然〕

2012-06-02 06:44:39 | Weblog

 

去年の12月にもらったベコニア。(ほとんど真上から撮ってます)

2月頃からちっちゃな蕾がどんどん現れ、

春になってまた咲いてきた。

一輪ずつ枯れては、また別のが咲いて、

このごろ常時こんな感じ。

 

              

 

お隣りのオリヅルラン。

こちらは去年の7月に子株だけ残したもの。

冬には成長わずかだったけど、暖かくなってくるとみるみる、グングン。

長く伸びるし、株の真ん中から新しい葉が次々生まれてきた。

そうして、

春の初め頃からランナーが伸びだして(写真の左の方へ)

きのう計ったら75cm。

(上の写真とつなげて見てください、頭の中で 

まだまだ伸びて鹿の角みたいに さらに枝分かれしてくるんですよね。

 

 

そして先月末から咲き始めた。

一日で咲き終え、翌朝にはまた別の花が。

直径3cmにも満たない小さな花が愛おしい。

 

            

お花にとっては「その季節になって咲いてきたのよ」と、

当たり前の自然なことかもしれないけれど、

私は、心がほっくりしてくるんです。

  撮らずにおれないし、

   どうしても書きたくなっちゃう。 

 

 

 

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余計なお世話です    〔つぶやき〕

2012-06-01 06:36:49 | Weblog

いまパソコンでメールを開いたら、このgooブログからお知らせが届いていました。

この1週間のアクセス数です。

「先週より〇〇%減」とのこと。

   はぁ? こんなのいりませんよー

すぐ「受け取らない」の設定に。

あたしゃ元々、自分のこころに思えてきたことなど しゃべって書きとめたかっただけ。

そう、『つぶやき』、自分の『日記』です。

そういう通知が毎週届いたら、気になっちゃって、

「読者数が減らないようにしなきゃ」と、そっちの方向にいってしまいそう。

           

以前から、あるSNSに参加している。

というか、一応登録してある。

そのお知らせも、だんだん『御親切』になってきて

「お友達のAさんが、**情報をチェックしました」などということも知らせてくる。

   え?そういうのって、それぞれ好みや状況など違うでしょ~。

Aさんが何を見ようと、ほとんど関心は無いね。

           

また別のSNSへのお誘いを、Bさんからもらって

  せっかくのお誘いだし、

  ま、ちょっと見てみようかしらね

と、登録したけど、

なぜか、どうやっても最終確認のメールが来ないので、登録完了にはなっていない。

 つまり、まだ開けられない。見れない。

どうしても参加したいわけじゃぁなし、と思っていたところ、

その段階であるにも拘わらず、

「BさんがCさんとお友だちになりました」と通知が来た。

   それがどうしたっていうの?

 

             

私は愛子さんみたいに 憤怒 にはならないけれど、

「よけいなお世話です」と言いたくなっちゃいました。

 

  私って、やっぱ

   へそ曲がりかしらん…? 

 

 

 

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想いをお花に託して    〔ふれあい〕

2012-05-31 06:33:25 | Weblog

きのう、来客あり。ウチにお客って久しぶり。

ちょうどバラの時期で、何本か入手(朝露に濡れているのを採らせてもらった)、

プレゼント出来ました。

持ち帰ってもらうには、牛乳パックが手ごろなんですよね。

そのままではナンなので、きれいな包装紙を巻いて貼って、

そこにバラを挿して水を入れ、

イージーバックにすっぽり入れて。

 

さらに、ポトスが気に入ってくれたようなので、

   

先端を一つ切ってあげた。

一番勢いがあり、形も良い部分を選んで。

お渡ししながら、

私の想い、「これからもよろしくね 」という気持ちを籠めて託しました。

 

私も、これまで何人もの方から、いろんな球根やら鉢植えやら戴き、

それを育て、眺めては、

「これは、いついつ、あの方に戴いたのよねぇ」と想い出して、

ずうっと心で繋がっている。

 

  お花(植物)って、幸福の使者ですね。

 

 

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『安全設計、自動で便利』 …ほんとに そうぉ?    〔本〕

2012-05-29 06:14:36 | Weblog

こないだ図書館で借りたのは、この2冊です。

  『おふくろの夜回り』 三浦哲郎 著

  『我が老後 これでおしまい』 佐藤愛子 著

どちらもなかなか面白かったです。

 

愛子さんの本は、もう少し若い頃、いっとき もう読み漁り、

すご~く怒る人だなぁ、とビックリしつつ、爽快になったりしていた。

最近、あるサイトで愛子さんの紹介文として

憤怒の作家、と呼ばれている。」というのがあって、

うんうん、と納得しちゃいました。

それが、この本によると最近は「怒る気もしなくなってきた」とのこと。

それでも、

ガスコンロに怒った話は とても共感おぼえました。

 

お台所のコンロが壊れて、新しく買ったら、

最新のタイプで、「安全設計・自動で便利 」という。

期待を籠めて使い始めてみたら、

 火が点かない。

娘さんを呼ぶと、説明書を読み、

鍋を置かないと点かないようになっていると云う。

海苔をあぶる時はどうするの」と憤慨。

 

ご飯は、これまでガスコンロで火を調節しながら(愛子流のこだわりがあるそうな)、

ふっくら美味しく炊いていたのが、

「ごはん」というボタンを押して自動になると云う。

やってみたら

勝手に炊き上げて、勝手に火を消しているのだ。こんもりどころかべったり水平にご飯が詰まっている

もう、火山の噴火のように激怒なさった。

 

こういう話が山ほど続く。

も、書かずにはおれない、といったご様子。

そして、こう結んである。

「(こんなものに取り囲まれていると)人間は劣化します。デリケートな感性を失い、努力を捨て、緊張を摩滅させ、ささやかな創意工夫の喜びも、労働の汗の爽快さも知らず(知ろうとせず)怠け者になります。」

           

そう、そういうこと、私も常々感じていて、とても共感します。

私の最近の体験では――、

ある文章をワープロソフトで入力。さぁと添付ファイルで送るのに、

その時は共用のパソコンでやっていた。

その段階で部分的に手直ししたら、「自動的に」日本語の文法としておかしいところは

赤いアンダーラインが付いてしまう。

でも、実際には、その部分は それで良いんですよ。アンダーラインなんか消したい。

どこかでその設定をナシに出来る筈と思ったんですが、すぐには分からず。。

 (別のパソコンでやってみたら良かった、と気づいたのは、

  なんとかカントカ やり終えたあとのことでした。 )

 

日本語としておかしいかどうかなんて、自分で勉強したら良い。

ずっと前に使っていたパソコンでは、そんな「お知らせ」があっても、

一旦消してまた打ち直したら、「お知らせ」は もう出なかった。

そんな程度にしてほしい。

 

何でも「自動」で「便利」、

――ちょっと考えものだと思うんです。

 

 

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『まさかこんなことが起こるとは』という観方    〔TV〕

2012-05-28 06:16:18 | Weblog

ゆうべのNスペは、『オウム真理教 17年目の真実』後編。

「~オウムvs警察」でした。

地下鉄サリン事件の前までに、かなり捜査が進んでいて、

あと一歩のところまで来ていたのですね。

それなのに、なぜ・・・。

 

番組によると、いくつものポイントがあるけれど、

私が耳(字幕なので、目)をうたがったのは

警察関係者 何人かの証言で、

「当時まだ日本にはサリンは存在しておらず(無い、とされていて)、

取り締まる法律が無かったのです」

それと、

「まさか宗教団体で製造するなどと…」

というもの。

 

後者は、『想定外でした』という言葉と同じようなものを感じました。

でも、どちらも(原発事故も、サリン事件も)現実・実際に起きたのですよね。

 

前者は、よく『前例が無い』と云うのに共通するものを感じます。

             

それで思い出したのが、職場での、ある体験。

とても困るトラブルがあって、

だいぶ考えました。

  誰の身に起きても困ること。

  これまで、皆んな おとなしく やり過ごしていたのかしら?

  もうこれからは、繰り返さないよう考えてもらいたい――。

と思って、担当者に伝えたのです。

そうしたら、彼は言いました

「今までそんなことは無かったんだよ、(だから、対処する必要など無い)」

と自信たっぷり。

そんな筈は無い、と思い、私はめげずに言った。

「それは、あなたは知らなかった、というだけのことでは?」と。

すると、彼は一瞬ひるんでいましたが。

             

わたしは、誰を責めたり批判したりなんか出来ないし、そういうことをしたいわけじゃない。

人は誰しも、どうしても

  『自分の側からの観方』 だけになりがちなのですよね。

そんなことを心しておきたいと

改めて思えてきました。

 

 

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信じきってしまうことの怖さ    〔社会〕

2012-05-27 06:01:14 | Weblog

まったく恐ろしい番組でした。

ゆうべのNスペ『オウム真理教 17年目の真実』。

それによると、「社会の人々の救済」という名目だったが、

実際には次々と・・・。

そのように暴走し始めた最初の事件は、、

 

修行をしていて興奮状態に陥ってしまった ある信者Aのことを

麻原に報告すると、

「水をかけて冷やしてやりなさい」。

その指示で信者Bは、Aを お風呂で湯船の水に顔を押し付け、

ぐったりと仰向けに倒れたその顔の上から、シャワーをかけ続けた。

Aは反応しなくなり、

Bは「あれ?大丈夫かな?」と一瞬思ったけれど、

「尊師さまが おっしゃったのだから」と、かけ続け、

Aは死んでしまう。

 

そして麻原含め幹部で相談して隠蔽。ドラム缶に入れ燃やしてしまう……。

 

  ああ、

  絶対視し、盲信してしまうことの恐ろしさ。

 

調査していくと、

麻原は、自分のつくりたい帝国を創ろうとしていただけだった。

 

           

  これは、なにも特別な状況での話だけじゃない。

  再現ドラマの中で、記者も言っていましたね、

  「企業など集団の中で、おかしいと感じたとき、

   それにあらがうことが出来るかどうか」。

  ――そう、自分の身がどうなるか不安などあったとしても

  「これって、ちょっとおかしくない?」と声を出すことが出来るかどうか。

 

 

 

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あぁ、♪『蔵王讃歌』、映像があってはじめて    〔歌〕

2012-05-25 07:36:17 | Weblog

5月の声を聞いた頃から、

混声合唱『蔵王讃歌』が想い出されてたんです。

それは組曲『蔵王』の第一曲目。

 

  万緑満てる 蔵王~ 蔵王

 

命の息吹がほとばしり出るように、力強く始まるんですよね。

(上にリンクしたところで、各曲名を見るだけで

 わたしの中に蘇り、次々と歌が流れていきます)

 

私は、まだ聴こえていた頃、コーラスをしていました。

ヘタながら色んな歌を歌って、楽しかったけれど、

それは純粋なものとはいえず、、

暮らしの中でイロイロある中で、歌で癒してもらっている、という状況でしたが。

 

組曲『蔵王』は9曲から成り、『蔵王讃歌』はじめ何曲か歌いました。

そのお手本として、ある有名大学の合唱団が全曲歌い上げるカセットテープがあった。

 それはそれは素晴らしく、震えてくるほど感動的な歌声でした。

テープを、それこそ擦り切れそうになるまで繰り返し聴いては

 涙を流し――。

 

さっき検索してみたら、あったあった、You Tube に、いくつも。

ところが、最初に聴いたのは、蚊の鳴くほどの音量。

   画面は、たぶん楽譜の表紙。。

もう一つは、合唱の声と、蔵王の写真。 ↓

http://www.youtube.com/watch?v=EPBO2OLz07A&feature=endscreen&NR=1

   映像は、とってもきれいだけど・・・。

 

めげずに、次のを聴いてみると、歌っている場面が出てきて、

皆さんの口の動きや、指揮者の動きで、

記憶をたよりに、

微かに聴こえる歌声と重ねて辿っていける。 ↓

http://www.youtube.com/watch?v=LEOjA-glQe8

  感動が 蘇ってきた。

  蔵王讃歌の音楽の世界に入り込めた。

 

 

いま、なんだか指が震えてます。

感動と同時に、

  私の耳では、

  歌っている映像が無いと、

  口の動きや指揮など見えないと、ダメなんだね。

 

泣いたりしたってしょうがない。

微かにでも聴こえて有り難いと、

   そんな風に思っていきたい。

 

 

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シランが咲いて、またギモンが    〔自然〕

2012-05-24 06:55:05 | Weblog

 

紫蘭(シラン)、

今年も咲いてくれました。

ちょっとした木立の両脇に、一叢(ひとむら)ずつ、同じくらいの大きさの群れ。

それが、いつも咲く時期がちょっとズレるんです。

毎年、まず樹の東側が咲き始めて

満開になってきた頃、

やっと西側が咲き始める。

日当たりや風通しが、そんなに違うようには思えないし、

土も同じ筈――。

花は、その与えられた条件の下で精一杯咲いてるだけなのでしょうけどね。

  なんでかしらねぇ。

首をかしげる私を、神サマ(?)は

  アンタ、毎年考えてて、まだ分からへんのぉ? ふふっ。

なんて見ておられるような気が・・・。

 

 

(下の写真、左が満開の東側、

 右の方にちょっと見えてるのは、やっと咲き始めた西側です)

 

 

 

 

 

 

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金環日食☆

2012-05-21 07:55:14 | Weblog

「曇り」という予報で、期待はしてなかったんですが、

晴れてくれました。

 

みんな外に出てきて、大騒ぎ。

専用のメガネをちょっと貸してもらって観たら、

ホントにリングでした。

(ただ、乱視の私には、リングがいくつもダブッてる状態で…)

 

 

木漏れ日は、どうかな。

  (7:30)

分かりにくいですが、

現場で目でみると、

明らかにフツウと違うんです。 ヘン☆

 

 

食事係りの人が大きな「穴あき お玉」を持ってきた。

 

それで透かすと、

鯉のぼりの模様みたい☆

 

 

 

木漏れ日はどうなったかな。

7:36

 

 

そして、すぐに元通りに。

(左のは、私の影) 7:37

 

 

おじさん、おばさんたちのコーフンは消え、

それぞれの日常に戻ったのでした。

 

 

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『言葉』って深い☆おもしろいですね   〔お仕事〕

2012-05-20 07:03:21 | Weblog

ずっと前に、難聴関係の掲示板に参加していた頃、

ある聾の方の文章が なんか…「?」って感じでした。

まるで日本語を勉強中の外国人みたい。

語順や、『て・に・を・は』などがヘンなんです。

その方は通常、手話で話をされていて、文章を「書く」ということは

あまりされてないらしい。

『すみません――』と自信無げな その方には、

『大丈夫、ちゃんと解かりますよ♪』と、応援したい気持ちを

コメントで送らせてもらいましたが。

           

仕事で、手書きのものを入力する機会が多い。

いろ~んなことがあって結構おもしろいんですよ。

例えば、こないだは『おしょうゆう』と書いてあって、

しばらく考えてやっと解かった。

  『お醤油』のことね

そういえば、口で言うときは、『ここで、おしょうゆうを 少しね』

なんて言いますもんね。

 

目や手は、『めぇ』『てぇ』って言ったり。

  (ここは関西だからでしょうか?)

 

そういう類のことって、時々あるのでメモしておこうかしらん、

  楽しいから。

          

さて、誰かが書いた文章をワープロ入力する時には、もちろん、原稿通り。

  これ、入力者としての大原則。

誰が見ても明らかな誤りのみ訂正する。

(パソコンって賢くて、打ってると すぐ分かるようになってますもんね。

 ハッキリしなければ、私はすぐに辞書で調べる習慣がついてるし。)

 

ただ、著者が敢えて漢字の使い方など 普通と違う書き方をすることも

よくあること。

この乏しいアタマでは…、

その辺り、しばし考えてしまう。

で、付箋やメモをつけて確認するんですが、

こういうことに案外エネルギーが要ることも。

  も、こういうの 通り過ぎちゃおよー、

という思いが チラッと浮かんだりもするけれど、

パソコンを使って入力しているからこそ 誤りに気づくことがよくある、そのチャンスを

自分の段階で逃してしまっては・・・という気持ちも涌いてくる。

(こういう場合も、「湧」か「沸」か、入力中ならすぐ画面に出て来て

『どれを選びますか』とパソコンは訊いてくれますよね)

 

文章を書いてくれる人も 色んな人がいて、

  明らかに、国語の勉強、小学校からやってなかったネ 

って感じの方(私も作文は苦手でした)じゃなくって、

知識教養を持っておられる方の場合、

敢えて そうしてあるのか、それとも…とチョット考えてしまうことがよくある。

そういう方面でも 私は 鍛えてもらってるんです。

 

  言葉ってホンット おもしろいねぇ、すごく深いわねぇ――

     そんなこと感じるこのごろです。

 

 

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