michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

‘六角レンチ’ が無いときは

2024-02-27 23:51:27 | 暮らし

母は、ポータブルトイレを使ったあと、その肘掛けに両手をおき、体重をかけて やっとのことで立ち上がる。よっこいしょ。

その大事なひじ掛けがグラついてきた。え?と見ると、ビスが緩み 飛び出してきてる。これは何とかしなければ☆

私が知っているようなビスではなく、穴が開いてて、そこに工具を入れて締めるらしい。 へぇー。ウチにはこんな工具は無い。

こういうのって、なんて言うんだっけ…。スパナ? と調べ始めて「レンチ」と分かり始めた。

「六角穴付きボルト回し」とか「六角レンチ」と言うらしい。

 

工具が無い場合の代替を調べて、やってみたけどうまくいかない。

けど、そこからヒントを得て、ピンセット(先がとがってないもの)で、輪ゴム(幅ひろめ)を挟み、そのまま その輪ゴムをぐるりと一周させ、そっと穴に入れてみたら、一応締められた☆

 

「六角レンチ」って、100円ショップにもあるらしい。早めに調達してシッカリ締めたい。

母が立ち上がろうとした時に ひじ掛けが外れたりしたら、大ごとになってしまう!

 

 

ふとしたことから、私の知らなかった分野の入り口がのぞけて、おもしろいな、って思いました。

 

 

 

 

 

 

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‘なし崩し的’ ってこんな意味だったのね

2024-02-25 05:53:10 | ふれあい

自分としてはガチガチになってるのを、どうにも

どーにも出来ずにいたのが

 ‘なし崩し的に’解消され始めた

と感じてます。

これが何とも言えない感覚。

 なんか、ふわふわ…っていうか。

 

 

『なし崩し的』って改めて調べてみると――

『「なし崩し」の意味は「物事を少しずつ完了させていく様子」を表す語で、「なし崩し的に」などの形で使います。 「なあなあで悪い方向にいく」というネガティブな意味は本来なく誤用です。』

「なし崩し」とは、借金を少しずつ返すこと物事を少しずつ変えていくことを意味する言葉です。この語は元々「借金をちょっとずつ返済する」ことを指していましたが、意味が広がり、現在では「少しずつ行う」「少しずつ行って既成事実化してしまう」という意味も持つようになりました

 

へぇ、そうだったんですね。

うん、今回、この言葉がピッタリ合うのかどうか…というとこですが、

とにかく、やんわりと自然な形で解消され始めた。

  とても とても 有り難い。

そんなあたりが、私がもっと身に付けたいところよね。

 

 

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頭が固くて自分がソンして

2024-02-23 05:38:51 | つぶやき

オリヅルランとか、ドンドン伸びて増えるんですよね。

この頃は、その生命力に励まされてました。

 

今日届いた2~3のメールなどで、心の重苦しさがふっと軽くなりかけてる。これ、ふしぎな感覚――。

柳とかは、風が吹いてきたら、揺れてしなって受け流す。改めてそんなことが思えてきました。

日常、あれこれ あっても「ま、いっか」とか? 「いろいろあるよね」とか?

自分も周りも疲れないし、軽く楽しくやってけるんじゃないかな。

 自分は昔から頭がカタすぎるよね。それで損したり。

 

好きだったYouTube動画。先日見たのは、ひどい悪趣味だった。それから見る気にならない。実際には何千回とかある中の、たった1回かもしれない、とは思うんだけどね。

またあるTV番組。内容は好きなものなんだけど、レギュラーの一人が、見ておれないような女装してるのが嫌悪感。そのために、その番組を見れない etc..

 

いろんな場面で、少々のことがあっても、「アハ~」で済ませられたら良いのかなぁ。。

 

 

 

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100歳。それってめでたいの?

2024-02-20 06:18:20 | 介護

いつだったか、車のフロントガラスが、こんな結晶に。

 

もう2月も後半。3月が来たら、母は100歳になる。

よく「99歳、すごいですね☆ 100歳までがんばりましょう~」

なんて言われる。

「お陰様でー」なんて応えながら、心の中では少々戸惑ってしまうんです。

超高齢って、めでたい? それって素晴らしいことなの?

本人は、もうだいぶ前から自分の年齢を聞かれても分からず、「知らんー」。

周りがワイワイ言うだけ。

 

一緒に暮らしてると この頃、母の色んな言動に ビックリ仰天の連続。ため息ついたり、情けなくなって泣きたくなったり。。

 

ふと、母は心の中でどんなこと思いながら暮らしてるんだろう、って思えてきました。

 

食事はソフト食。自分で食べる。

おかゆや雑炊(ミキサーにかけ、網で漉してます)の上に、ソフト食のおかずをきれいに載せてトッピングしたり。味の組み合わせはどうでも良いみたい。まるで おままごと。

お汁など、片手で まるで山男の酒盛りのような手つき。ほかのことでも、マナーもエチケットもあったもんじゃない。とにかく省エネ。ラクならそれが良いらしい。 とにかく 自分流。

 そんなですけどね、ちょっと別の角度から見てみると――。

 

最近 私が不調なのを察してか、ほんのちょっとしたことで「ありがとう」と言うんです。

例えば、トイレして ベッドに戻った時、自分では毛布と掛け布団、両方かけることが難しくなり、どちらか1枚しかかけられない。それ見つけたら私が掛けてあげる。すると にっこり「ありがとう」。

ポータブルトイレの中身を空けて 戻ってきたら「ありがとう~」。

飲み薬、いつものように次の1週間分 セットしてる間じゅう、人間観察のように じぃーっと見つめてて、終わると「ありがとー」。

 

もう、こんな小さな家の、洗面所とかまで行くにも床を見つめて真剣に、手すりに掴まり 一生けん命にならないと辿りつけない。そういうような状態になってるのに、家族にそんな声をかけてくれる。

 私は、今の母みたいになった頃、そんな風にできるかなぁ、なんて思った。

 

 

 

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やっと きまってきたよ、介助の方法

2024-02-17 23:15:54 | 介護

ずいぶんご無沙汰してしまった。

このところ、怒涛のような――って大げさでしょうけど、私の気持ちとしては、そんな感じ。

母のことでイッパイイッパイなのだから(特にこの頃)、その上に あれやこれや…。 も、カンベンしてくんないかな…なんてつぶやいてしまったけど(心の中で)、世の中そんなに甘くないですよね。

 

 

デイサービスからの帰宅時、家の前に階段10数段。母は杖をつき、手すりにつかまって昇る。最後の3段あたりで、もう力尽きてしまったことがあった。私は必死で抱きかかえて何とか家にたどり着いた。

そんなことが2度ほどあってから、私が母の後ろからお尻を押し上げるようにして昇るようになった。

手すりは、階段が尽きたところでお仕舞い。家のドアまでは2mほど。片手の杖だけでは歩けない。そこでどうしたら良いか、あれこれ考え、いろいろ試行錯誤してきました。

玄関内での、靴の脱ぎ履き。手すりに掴まっててもらって やってたけど、ちょっと危なっかしい。それも同様に考えました。

 

結局、最近は――、

シャワーチェアをドア前に置いておいて、そこに2秒ほど掴まっててもらう。その間にドアを開け、閉まってしまわないよう押さえつつ母を中に入れる。

※ 集合住宅なので、シャワーチェアを置く位置も考慮。他の方の邪魔にならぬよう、ギリギリのところに。

 

玄関の中に安定感のあるイスを置いておいて、そこに座らせ靴から室内履きに替える。(小さな すのこを利用)

 

そんな方法で落ち着いてきた。

このことは、これで一応いけそうーというのを見つけられると、ホッとして、そんなことが毎日の原動力の一つ。私を支えてくれる。

もうすぐ100才。徐々に体力おちてきてるし、来週どうなるか、来月は階段昇れるか…。

ま、その時はその時。それなりに考えるしかないよね。

 

 

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