24日に、本の抜き書きしましたけど、
24日に、本の抜き書きしましたけど、
『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ』jam
――今の自分にピッタリの本でした。
2回読みました。
とっても良かった。
その中で、自分の心に特に響いたメッセージです。↓
無事に四十九日が済みました。
あちらで父は 母と再会して、どんな言葉をかけたでしょう。
「お前、遅かったな」とか? ちょっとニッコリして…。
紫蘭(シラン)、そこここでよく見かける花ですが、うつむき加減の上品な姿かたちや、美しい紫の色、とても惹かれます。
母が居た頃は、どうしても介助などで動き回ったり、わたしは不自然な姿勢でも 母にとって必要なことを、となることが多かったと思います。
母が階段を昇る時には、私は下側から母のお尻を押し上げたりとか。
下の世話の…、ま、こういう話は いっか。。
とにかく この頃は、すごくラク。ただ、運動不足を感じる。
近所の買い物や通院など、歩いていくのが辛くなったらタイヘン
そこで、長続きする運動をと、まずはNHKの“みんなの体操”をやることに。
‘毎日録画’にして、やったら消す。これで忘れることは無い。
“テレビ体操”よりも簡単で超軽い運動。それでも こういうのだって、伸び伸びと なめらかに 丁寧に と心がけると、結構 効果的だそう。
たとえば踵を上げるところは、チャンと上げて、ふらつかないようにバランスに気を入れる。重心の位置を考える等など。
見本、お手本になるくらいのつもりで一瞬一瞬の動作に気を入れて。
本気でやると気持ちが良い~
今んとこ、何週間か続いてますね。
そろそろ“テレビ体操”も取り入れようかしらん。
5/7にエコたわしのことつぶやいて、ちょっと見直してみました。
このblogにアップしたのは、
2013年6月3日のブログ記事一覧-michi のひとりごと (goo.ne.jp)
2015年1月6日のブログ記事一覧-michi のひとりごと (goo.ne.jp)
などなど。
じつは最近、心がつぶれそうになったり…
も、カンベンして…
なんてなることが よくあるんですが、
こういうの見ると、楽しかった気持ちが チョッピリ 蘇ってくるんです。
ある小さな滝へ通じる石段。苔にまとわれて。
しぶきがすごいんですよ。髪がしっとり濡れてくるほど。
イオンシャワーです。
“虎に翼”の穂高先生、とても素敵で、その人間性に惹かれます。そのモデルは渋沢栄一の初孫だそうですね。
先日、放映の冒頭、穂高先生の卒業生への祝辞に胸打たれました。
『長年にわたって染みついたものを変えるというのは容易ではない。
当たり前だと思っていた法律が、習慣・価値観が間違っていると分かっていても受け入れられない。 変えられないのが人間だ。
それでも それを我々は引きはがし、溶かし、少しずつでも新しく上塗りしていくしかない。』
それに続いて、
『君たちは、世の中を変えることが出来る若人だと、私は知っている。』だったかと。
そう。 世の中だけでなく、職場や地域など小さな組織や集団、すべてに当てはまるように思えてきました。
先人たちは、そうやって変えてきた。良くしてきてくれたんですね。
そして、これからも
変えていけるんですよね。
先日観た番組で、歴史家の礒田さんのお話が興味深かった。
もう小学生の頃からの歴史オタクで、「両親は もう 諦めてましたねー」と苦笑されてました。
それが、日本を代表する歴史学者になられたのですから――。
‘ 好き ’ というのは、本当に強い。
さっき聴いた森山直太朗さんの歌の中にも『大好きなものがあったら動き出せる~』みたいなのがあって、頷いている自分に気づきました。
ひと月前までは、大きな役割があった。母が最期まで できるだけ心おだやかに過ごせるように、自分のやれることをやっていく、という大事なお役目。
それが、消えた。無くなってしまった。
今は諸手続きに取り組んで、というか 追われて悪戦苦闘だったり。
それがナントカ終わり、四十九日が済んだら、
家の片付け、整理。これ、大仕事…。
全部整理できたら、どんなにスッキリすることでしょう。でも、そこまで出来なくても、大まかに大体片付いてきたら、平行して――、
アクリル毛糸で、エコたわしを編みたいんです。そういうの、好き。
ひと頃 熱中しましたねぇ。
あちこちで編み方を調べ、自分なりにアレンジしたりして、毎晩 夢中になって編んでた。
より使いやすく、より 見た目に心地良くとか 目指して。
(エコたわしって、「カラフルに♪」というのが多いようですが、私は同系色で2色くらいが好き。目立たず、そこに有ってその空間にしっとり馴染んでるようなのがいいかな。)
それを、身近な人にプレゼント、というか、
もらってもらって(人によっては、有難迷惑だったかも?)感想とか、そういう交流が楽しかった。
そんなことから、仕事など やっていく原動力を生み出していけたっけ。
ああ、じっくり落ち着いて、好きなだけ編みたい。
そんなことが描けてきたら、
ちょっぴり元気が出てきたような――。
こちらも伊賀上野城。桜、たくさんあって、これは ほとんど白に近い清楚な桜でしたね。 ↓
ある番組で、ふと、五木ひろしの『♪誰にも ふるさとが ある~♪』という歌を聴きました。とても良い歌だと思った。
ただ、「私のふるさとって、どこかしら…?」と思いました。
私は家の都合で、何度も引っ越した。
兵庫県の同じ市の中で、家族で何度も何度も。
自分の生まれた家を知らない。知っているのは「〇〇町の家」という名前だけ。
4~5番目あたりの家の光景は、記憶があるけど、おぼろげ。そのどちらなのかは…。
その後、父は奮闘してやっと家を建ててくれた。あこがれのマイホーム。
なのに、
父の転勤のため、それは2年で終わってしまった。
そして、東京の狭いアパートにひしめき合って暮らすことになりました。
10代の多感な時代、8年間。それぞれの敷布団の端を重ねないと敷けなかった。
そんな生活でしたが、母は生活力を発揮し、工夫を重ねてくれました。
たった2つの部屋を、少しでも広く使おうと、家具を移動して何度も模様替え。
部屋の上部。天井までの空間に棚をぐるりと取り付けて、ギッシリと物を納め、目隠しにきれいなカーテンを下げた。(全てミシンで縫って)
ある夏には、猫の額ほどの庭にテーブルを出し、蚊帳を吊って、勉強できるようにしてくれましたね。
私のふるさとって、どこ??って時々思うんですが、
母は、私たち子どものことを愛してくれて、今いる ‘ここ’ を 心のふるさとにしようと努力してくれたのかな、って思ったりします。
いや、それとも単に、好きで 趣味的なものだったかも?
その後、横浜に越して、子どもたちは それぞれ独立。
母を見送って この家を見渡すと 随所に、母らしいチョットした工夫が見られるんです――。
何年か前の5/1の写真を見ていたら、こんなのが。
伊賀上野城の公園いっぱい、新緑シャワーでした。 ↓
星野富弘さんが天国へ旅立たれてしまった。
(こちらの記事の方が良いかも。星野富弘さん)
すごいショック…。とても残念でなりません。
富弘さんは、最初の本を出された頃から惹きつけられていました。
出された本や詩画集、その頃は たぶん全て読み、カレンダーは毎年いただいた。
初期の頃は、奇跡というくらい とてもとてもご立派な方で、自分とは遠くかけ離れているけど、憧れのような存在でした。
それが、時と共に、柔らかく丸くなられた感じで、ユーモアがあったりして、より身近な存在に。ウチらにも少し近づいてくださったみたいな。
つい めげそうになる弱い私の、心を支えてくださいました。
終わったカレンダーは、とても捨てられなくて とってあります。
あれをまた飾って、毎日 眺めて心の支えにさせてもらおうかしら。
富弘さん、本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。
どうぞ天国で
のびのびと 走り回ってください。