こないだの『あしたも晴れ!人生レシピ』は、サブタイトル“人生後半戦!”。
ま、一応見てみようか…と録画。
やはり私とはゼンゼン違う状況の方々だったけど、参考になることも。
〇後悔しない。過去のどんなことも、それが今の自分を作っているんですよね。
なので過去の全てを丸ごと認めるんです。
〇自分という素材を楽しむ。おもしろがる。
だって、こんな自分は他にはいないんですもの
確かに――と頷いている自分がいました。
こないだの『あしたも晴れ!人生レシピ』は、サブタイトル“人生後半戦!”。
ま、一応見てみようか…と録画。
やはり私とはゼンゼン違う状況の方々だったけど、参考になることも。
〇後悔しない。過去のどんなことも、それが今の自分を作っているんですよね。
なので過去の全てを丸ごと認めるんです。
〇自分という素材を楽しむ。おもしろがる。
だって、こんな自分は他にはいないんですもの
確かに――と頷いている自分がいました。
まず、ロケが良い。北海道の美しい大自然。そして生き生きとした動物たち。私には これだけでも魅力いっぱい。
夕べは、命の選択とか…すごい重いテーマでした。
私は、若い頃に牛の飼育の経験が。
ある時、産まれてきた仔牛が病弱だった。それで、経営係さんに点滴など頼んだけど、
「あれはもうダメだ。治療してもムダだよ」と聞いてくれなかった。
それで せめてと、栄養剤をミルクに混ぜて哺乳瓶で飲ませてました。
毎回、私の膝の上で抱いて。 それでも、どんどん衰弱して――。
1週間ほどした頃、そうして抱いたまま、命がスーッと消えてしまった。
私は両手で抱いたまま牛舎で大泣きしてしまいました。
そのことをパートのおじいさん達に話したら、「そうか…」という表情。
「そんでも…看取ってやれたからなー」と言ってくれたのです。
それでまた泣いてしまったのですが――。
あの仔は、私が最期まで看てやれたよね。私に出来る精一杯のことをして。
そう思って自分の心をなんとか納得させました。
親しい同僚は「michiちゃんは、飼育係には向いてないかもね…」と言いました。
自分でもそう思った。
それでも、そうやって、
一人でも分かってくれる人、想いを分かち合える人がいてくれたりして、それで何とか飼育という仕事を続けられたと思います
『バニラな毎日』が毎回楽しみ。
わたしの知るかぎりでは、今 NHKのドラマの中で一番おもしろい。
きのうのは――。(ネタばれです)
「私、人を殺したんです…」「母を見殺しにしたんです…」と自責の念にかられている女性。
けど、よくよく聴いてみると、事実はどうか分からないこと。
何度も電話をかけてきたのは、何かあってSOSを求めてきたとばかり思ってたけど、
そうではなく、今どこに居るの?と、ただ心配してくれていただけなのかも。
そういう類のことって、わたしにも何度かありました。‘てっきり、きっと’、 ‘当然。こう考えるのが自然だもの’ etc..
そうして後悔しきり…。
けど、そうではないことが判明して「なぁ~んだ」となったことが何度もありましたね。
この番組は、心理方面の専門家が考証してくださってるらしい。そういう‘思い方‘、‘心’ のあれこれ。
とっても興味があります。
できれば もうちょっと ラクに生きていけたら…、って思うし。
時々『あしたも晴れ!』を見てます。(50代以降が対象の番組ですって)
きのうは‘一人暮らしを楽しむ’。
ゲストは、なんとかシンノスケ という人。 ん?と思って調べてみたら、ピーターでした。(こういう芸能方面には 全く疎いわたしです…)
で、番組の前半見て、はぁ、、、と録画を止めてしまった。
もう90歳の方、衣食住すべて模範生。素晴らしいのひと言
身体も 心も 健康そのもの。
わたしには ほど遠い存在だわ――。
こういうんじゃなくって、
食事とか住まいとか、趣味・交流とか、それぞれに「こういう風にしている人もいます」、「又こんな方も」みたいな感じだったら、
(ああ、こういうの、ちょっとマネしてみようかな、少しでも…)
となったかも。
ちょっとしたヒントとか、参考とか。
でもね、
こんな風に情報を受けとってしまう自分って、どうなの?とも思いますけどね。
ま、後半も見てみましょうかね。
お正月
喪中ですから、お祝いごとはナシ。
心しずかに、新しい年の幕開けを味わったりしてます。
これは以前の写真(職場の) ↑
ここ半年くらい?テレビ体操を毎日やってます。
今日は、“新春 テレビ体操”。
――すごく良かった。楽しかった♪
いつもお手本のお兄さん・お姉さん方は、すごく上手くて、全くグラついたりしないし、腕が後ろの方まで回せたり。どの動作もシャキッとしてる。
体育大学の方々と聞いたことがあって、さすが☆って感じなんですが、今日は、体操選手みたいな、見事な演技
こんなこと素晴らしく出来る方々だったんですねぇ~。
今日の伴奏は、ピアノ3台でした。どんな演奏だったのかしら――。
‘テレビ体操’放映は、毎日。
10分のうち半分は、曜日ごとに違う色んなオリジナル、 又は ‘みんなの体操’と、
あと半分は、第一か第二かのどちらか。
飽きないし、体も「いつも新鮮で良いねぇ」と言ってるような。
おばさんだって、
今年も毎日、がんばっ…いえ、がんばらない
味わいながらその気で、
画面の若い方々と一緒にやっていきますよ
大河ドラマ「光る君へ」コンサート 〜沼ル音楽会〜 大河ドラマコンサート
の様子が、12/8に放映されましたね。
とてもとても良かった
えっ、こんな音楽が流れてたの!?
わァ~
素晴らしい~
最後にテーマ曲の演奏も。
うーん
私は、耳を覆うヘッドホンで ボリウム最大にしても、
微かにぼんやりと聴こえる程度。
けど、こうして演奏している映像を観ると、想像・推測出来る。
頭の中でステキな曲が響いて広がって満ちてくる。
こういう番組はとっても有難いです。
他の番組も、テーマ曲や劇中曲を演奏している映像が あったらな…
なんて。
ある番組が気になってる。
あまりにもひどい いじめに、胸がつぶれそうだった。
そのことが先生に伝えられ、解決の方向へ…ま、そうなっては いったんだけど、
被害を受けた生徒に届いた謝罪のメールのどれもが、
「ごめんな」とか、あまりにも軽い!?
その生徒は、部屋中荒らして暴れた。まるで獣のような声で吠えながら。
よく、いじめる側は、
いじめられる人がどんなに心を痛めつけられているか、絶望しているか、
分かっていない、と言いますね。
そういう辺りを表していたのかしら。
人の気持ちを察して推測することが出来ない。
う、うーん。。
ま、とにかくあの生徒さん、自死を決行しなくて本当に良かった。
ドラマの形だったけど、ほとんどドキュメンタリーだったとは驚きました。
今度の朝ドラ、栄養士は良いけど ギャルですか。。わたしは あんまり…。
毎回見ていくというのは、どうしようかな。
『ちゅらさん』は、何かしながら時々チラッと見てます。
きのうは、こんな1シーンが目に入ってきて、オッと思いました。
(うろ覚えでスミマセン)
主人公が教育係(?) をしてる、その新人さんが「笑顔で患者さんに接するようにと指導されても、そうしたら良いのは分かるけど、そんな風に出来ない人もいるんです。。」
――そうなのよねー、と思わず膝をたたいてしまった。
顔がこわばって笑えない時期とかあるよね。
他にも、
〇人と日常的に接して おしゃべりとか話をした方が良い。
〇運動が大切。毎日30分歩くこと。
〇前向きに考えること。 〇一歩踏み出す。
などなど…。
良いとわかってても出来ない人もいるのよー。
って開き直るわけじゃないけど。
うんー、少なくとも、私はそういう人を目の前にしたら、
「いま、そうなんだー」とひとまず そのまんま受けとめられる人でありたいって思いました。
昔は、畑やってました。面白い野菜によく出逢うんですよね。あらまぁ~って
曲がったりするのも、それなりの原因や理由などあって、そのようになるんでしょうねー。
『がばい ばあちゃん』が「曲がったキュウリも刻んで塩でもんだら同じこと☆」って言ってましたね。あれ、名言
もうすぐオリンピック、って、何度もTVで言ってる。そうねぇー。
わたしはスポーツ全体に、するのも観るのもあんまり…。
特に聴こえなくなってからは、そういうTV放映から遠ざかってる。
ほとんど生放送なので、字幕が映像からかなり遅れる。も、ワケわからなくなっちゃったり。。
ただ、アスリートの取り組みや、気づき、生き方・人間としての成長などには大いに関心がある。良い刺激として頂いたり、感化されたり。チームとしての響き合いなど、大いに感動します。
なので、“総集編”などは必ず視聴します。
あと、前々回くらいから「障害のある人も無い人も、共に楽しめる」というような番組。生――といっても、数分前に収録したものに字幕を付けて、急いで修正してくれるという。
これが すごくありがたい
その競技の具体的な説明など、映像と同時に字幕が出ると、とてもとても分かりやすい。興味が湧いてくるというものです。
制作スタッフの方々、大変でしょうけど、是非ぜひ そういった番組を増やして頂きたいですね。
ある年の7月。職場の入り口で蝉が脱皮。乾くのをじっと待っていました。
「わぁ……」と目が釘付け。
同僚と、20分くらい見つめて見守ってました。
それにしても、人がもう頻繁に出入りする引き戸のすぐ横ですよ
きのうの『こころの時代~宗教と政治 ‘他者’とどう向き合うか』の続きです。
ある先生が、(わが敬愛する)中村哲さんの事例を話してくださった。
中村さんはクリスチャン。活動のアフガニスタンは、イスラム教。
現地の人が「宗教が違うのに、なぜ援助してくれるんですか?」
と訊いたそうです。
すると、中村さんは、
「山に登るのに、登り口がいくつもあるようなものです。
どこから登るにしても、みな頂上を目指して登りますよね?」
とおっしゃったとか。(大まかに)
どの宗教も、皆それぞれの幸福を目指しているはず。
ルートが違うからと排除などしない、ということなんですね。
ますます中村さんに惹かれてしまう私でした。
Eテレの『こころの時代』ってたまに視聴するくらいですが、先日視聴したのは とっても良かったです。
“フランクル それでも人生には意味がある 豊かさの中の「空虚」”
「空虚感」それは「過剰自己観察」からくる。
常に鏡の前に立って自分の姿を映したり、自分の気分や体調について必要以上に観察したり、暇さえあれば自分の過去の出来事や現在の悩みに思いをはせているような状態。
――これ、私 よくよく わかります。
視点を自己の内側から外へ「人生が自分に何をしてくれるかではなく、自分が人生のために何ができるかを考えよ」と説く。
あなたが人生に絶望しようとも人生があなたに絶望することはない。誰かや何かのためにできることがきっとあります。その時があなたを待っている。
心ひかれ、深く知りたくなってネット検索してみました。
フランクルの名言の一つ ↓
自分を忘れたとき、本当の自分を発見する。本当の自分を表現するとき、自分はいなくなる。
――う、う~ん、私ここまでたどり着けるかなぁ。
母がいた頃は、自分が居る意味がハッキリあった。母がおしまいまで なるべく心おだやかに過ごせるよう、私なりにやれることをやっていく。
そういうのが2か月半前になくなってしまった。
もちろん、手続き諸々(も、タイヘン!!)、家の片付け(これ大仕事☆)などなどあるけれど、そういうのがひとまず済んだら・・・?
なんとなく心に靄か霧がたちこめているような…空しさ…のようなものが私の中に漂ってて、この番組タイトルに目がいったようです。
録画して良かった。 繰り返し見てます。
ある小さな滝へ通じる石段。苔にまとわれて。
しぶきがすごいんですよ。髪がしっとり濡れてくるほど。
イオンシャワーです。
“虎に翼”の穂高先生、とても素敵で、その人間性に惹かれます。そのモデルは渋沢栄一の初孫だそうですね。
先日、放映の冒頭、穂高先生の卒業生への祝辞に胸打たれました。
『長年にわたって染みついたものを変えるというのは容易ではない。
当たり前だと思っていた法律が、習慣・価値観が間違っていると分かっていても受け入れられない。 変えられないのが人間だ。
それでも それを我々は引きはがし、溶かし、少しずつでも新しく上塗りしていくしかない。』
それに続いて、
『君たちは、世の中を変えることが出来る若人だと、私は知っている。』だったかと。
そう。 世の中だけでなく、職場や地域など小さな組織や集団、すべてに当てはまるように思えてきました。
先人たちは、そうやって変えてきた。良くしてきてくれたんですね。
そして、これからも
変えていけるんですよね。
ああ終わっちゃった、八海サマ。じゃなかった、ミワさん なりすます。
も、毎回うわ、うわ~って感じ。すっごく良かった。
ミワさん、いつの間にか グンと成長してましたね。足取りもシッカリと 前向いて歩いてた。
家もステキでした。全体に茶系というか、昭和の雰囲気に満ちていてしっとり落ち着いている。
あこがれ…です。
ドラマとはいえ、八海さんのように完璧に大人対応が出来る人って いるんだろか、と思った。どんな時も 優しく包み込むような。全てありのまま受けとめてくれるような。
堤真一さんには、以前から(「三丁目の夕日」とか)好感もってましたが、ますます――ファンになりそう。
お母さんとの対面は感動的でしたね。‘嘘も方便’という言葉があるけれど、八海さんのは、心からの優しいウソでした。そしてお母さん、かなり うわ手でしたね。
ミワさんは、映画オタクで、そのことで周りとうまくやれなかったけれど、結局は オタクが各場面で大いに発揮されて、意外な展開に。
(色んなこと、現実的にもそんな風にいけるといいナ。)
こないだの『ダーウィンが来た』、とっても良かったです。
わずかな すき間から たくましく生えてる草花の話。 ‘ど根性‘です。
もう一度観たいと思ってるんですが、特に最後の締めが良かった。
「何かしら ひとつの いい生き方の正解が あるわけではない。けれども みんなが それぞれの方法で 自分なりに生きていく。
みんなと 同じ生き方をしなくても、自分は ここで生きていくんだ――」
番組の中では<草花は、置かれたその場の状況によって、生き方を変えてしまう程の たくましさがある。生態を変えてまで生き残り、花を咲かせたり>といったことを紹介していました。
これは私たちへの力強い応援メッセージ。というか、実際に見せてもらったわけで、言葉だけじゃない。単なるなぐさめではないんですよね。
『置かれた場所で咲きなさい』は素晴らしい言葉、と思ってたけど、それ以上の、ですね。
『らんまん』の最終回の ラストシーンも良かった。
万太郎さんが、いつも草花に向かって「おまん、だれじゃー」と親しみを込めて声かけるように、カメラに言ってくれるので、まるで私に向かって言ってくれるようでした。そして にっこりとほほ笑んでくださった。
君のこと、シッカリ観てるよ、そばにいるよ、と言ってくれてるみたいに。
いつもなら「もしかして 新種かえー?」とつながるんですよね。
一般常識的な とか、必死にフツウの生き方に自分を引っ張ってかなくっても良いのかな って。常に前向きにとか頑張ったりしなくても、いい。
私なりの生き方でも良いのかな、って思えたんです。
ドラマ(映画も) 好きです。今は『ミワさんなりすます』。
録画してた21日の分を観てたら、「えっ!」という場面で突然切れて、
緊急の警報システム。<北>のミサイルだった。
このタイミング、あんまりです…。
早送りしてったけど、最後まで警報でしたね。。
まあ、それはさておき――。
この主人公 ミワさん、ずっと社会の中で生きてくのがしんどい。
そこに共感するんです。
要領が良くないっていうのかな、不器用っていうか。
どうしても いじいじと考えてしまって、気が重くなる。
思いをストレートに言えない。自分の中でつぶやくだけ。
私の日常でも、「こんな風に考えない人もいるんだろな。
気にしないで、軽く陽気にやってけたら良いのよねぇ。」
とか思うけど、ナカナカ..
そして、その時にスッと言えば良いのに、なぜか言えないことが多いです。
ミワさんは、「なりすましなんて やってて良いワケない。」と思いながらも
モヤモヤしながら、ずーっとやり続けてる。
画面を観ながら、応援したくなるんです。