michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

その「すみません」の中身

2020-07-23 22:47:31 | バリアフリー

 

ずっと前に出会った小さな訪問者、アマガエル君。

じぃーっとしてました。

 

前回の『Net119』の、その後。

帰宅して、自分の設定など確認したりしているうちに、

解決法が分かり、やっと登録が出来ました。

michi だって、こういうことも本気になって、本腰入れれば、

やれることもあるのね、

なんて思いました。

(いつもなら、スマホやパソコンのことなど、「も、タイヘンすぎ…」と

逃げ腰になることが多いんです。)

         

 

さて、前回の『聴こえなくてすみません、は要らない?』の件。

ちょっと考えてみました。

私の場合、ゼンゼン聴こえないんじゃない。

両耳補聴器を着ければ、ボリュームはアップして

なんーとなく、ぼんやり聴こえる。

 

語韻明瞭度は1~2割。

10文字の言葉があったら、聴き取れるのは1文字くらい。

たぶん、こうかな?というのが1~3文字くらい。

あとは、「なんか言ってる」というのが分かるだけ。

 

そこで、口の形や動きを見て、

状況から推測し、表情やちょっとした仕草、視線や目の表情などなど、

あらゆる手掛かりを見つけて、グッと集中して総合的に推測・判断する。

これら、無意識のうちに。

 

こういう時に声かけられるのは、Aのことか、Bか、Cか。

この場合は、たぶんCじゃないかな、と勘を働かせる。

 

分からないときは、勘が悪くて「ごめんなさい」とか

時間が長くなってくると、グッと集中し続けているのが疲れてきて、

もたなくなってくる。気力というか。

そんなことで「すみません」になってくるようです。

 

やっぱり、その辺り、自分を鍛えることなのかな。。

 

あと、マスクされてると、ほぼ全滅で、分かりません。

フェイスシールドなら、少しは分かる。

特に店員さんや医療・福祉の関係者など、直接対面する方は、

マスクしないでくれたら有難いんだけどね。。

 

 

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聴こえなくて「すみません」は要らない?

2020-07-21 16:56:00 | バリアフリー

この写真は、数年前の7月。

職場の入り口で、ふ化したばかりのセミ君が、乾かしていたのに遭遇。

乾ききるまで15分くらいだったか、じーっと観察させてもらいました。

も、どきどき、ワクワク。

無事に羽が伸びてくると、ホッとしました。

    

 

さて、

先日、消防の出張所へ行ってきました。

ウチらは「119通報」が必要になっても電話が出来ない。

そこで、

スマホでポンとタッチすれば

GPSでこちらの位置を特定、駆け付けて下さる仕組みができたそう。

その登録がなかなか出来ないので、行って教えて頂いた。

(それでも、なぜか出来なかった。

 こちらのスマホの設定の関係らしいということなのですが・・・。)

 

担当の方は、とても丁寧に対処してくださって恐縮してしまうほどで、

誠意を感じてお礼を伝えると、

「いえ、私たちも、(障がいをもった)皆さんからスムーズに通報してもらえるようになった方が、良いのです」

みたいなことを言ってくださったのです。

ハッとして、なにか感じるものがありました――。

 

 

ふだん、お店で買い物する時など、

レジで何か声かけられて「耳が聴こえないのです。書いてもらえますか?」

とメモを差し出しても、スルーされることが多くて、

書くほどのことではない、ってことなのだろうと推測する。

 

書いて頂けた時には、

「聴こえなくて済みません。お手数おかけします。ありがとうございます」

という気持ちになって、そんなことをひと言伝えたりもする。

ただ、

「済みません」は要らないのかな、とも思う。

 

  実際どうなんでしょう――。

 

 

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アタマの中に、どんな風を吹かす?

2020-07-01 16:35:29 | つぶやき

9年前の7月は、こんなの撮ってたのね。

この頃は、この子たちの成長が楽しみだった。

その生命力にずいぶん励まされたねー。  ↓

 

(このblogの写真は、過去のものだったり、撮ったばかりのものだったり、です)

 

きのうのつぶやきの続きです。

数独を始めた頃、そして再開した頃、

自分の頭の中が、‘数独バージョン(?)’ になっていくのを感じました。

それ用に活動していくんです。

 

また、ある時期、短歌に はまった時期があって

「あー、これ歌にしたいナ」となって作り始めると、

仕事してても何してても、それを考えてしまう。

「う~ん、もうちょっとピッタリの表現ないかな」とか。

(それで、今は作ることをお休みして、人さまの作った作品を味合わせてもらってます)

 

どうも私のアタマは(他の方も?)その時の風にそよいで、その方向にいっちゃうっていうか――。

 

と考えていくと――、

例えば、「プチハッピー、見ぃつけた」 みたいなアタマになったら、良いのかな。

そういう習慣になっちゃったら、アンテナがすぐそういう方にピッて反応して、

「あ、これこれ、こういうの」って、

‘ 小さな幸せ、こんなの良いナ ’  って。

   そんな風になりたいなぁ。

 

 

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