『ためしてガッテン』、こないだは「関節リウマチ」がテーマでしたね。
私もリウマチの友人が複数いますので、
どんなことに困るのか、どんな風に痛むのか、など、
見たり聞いたりしています。
その痛みとかは実感できなくても、推測は出来る。
なので頼まれたことには、即 快く応えてきました。
「アッ、こんな場合も手助けが要るんだー」と
驚くようなことが しばしばありました。
そんな風なので、新しい治療法など出て来て、
我がことのように嬉しい。
さて、番組の最後に あるお便りが紹介され、
これがさらに心に残りました。
それは前回、リウマチがテーマの時に出演された方からのもの。
「出演させてもらって良かった。周りの理解が深まったので――。」
というものでした。
「たとえば、電車に乗っていて、立っているのも辛く、
吊り革につかまったりするけれど、身体はもう悲鳴を上げている。
それで、手すりにつかまりたくて声かけてお願いしても、
見た目には普通の人と変わらない身体なので、理解してもらえないことがある」、
というのです。
バスや電車ってたいてい『優先席』があって、
「身体障がい者・お年寄り・妊婦さん…」などと書いてあるけれど、
座りたいのは、そういう方々ばかりじゃないですよね。
他に、病み上がりの人・内臓の病気の人などなど、色々おられる。
私なんかも、身体障害者ではないけれど、
膝が、、これまで何度も
平地をゆっくり歩くのも辛いほど痛い時期があった。
『優先席』とか設けなくても、
「あの、立ってるの辛いんですが――」と声かけたら、
「あ、そうでしたか」とサッと席を譲るとか、
そんな関係に成り合えたら素敵な社会だな、って思うんです。
また、弱視の友人がいますが、
結構フツウに何でもやってのける。
よくよく聞いてみると、
「明るいと割りと見えるけれど、ほんのチョットうす暗くなると ほとんど見えなくなる。」
そして、
「視野が狭くて、まるで小さな穴から覗いているみたい」
というんですねぇ。
こういう見え方とか、
いろんな病気の辛さとか、
実感は出来ないけれど、
気持ちをそちらに向けて推測・想像することは出来る。
互いに思いやることが出来るようになったら、
ああ、
そうなったら、どんなに暮しやすくなることでしょう――。