michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

‘おばさん的’…その後

2023-04-04 23:02:29 | 社会・共生
 
‘おばさん的’ってこんなこと?

母は3日ほどショートステイに行ってくれてます。明日まで。こちらは月に一度の休養・涵養。といっても、自分の通院や、やることイロイロ。今回もアッという間におわっちゃう。......
 

gooブログからお知らせが。

一年前にこんなことつぶやいたんですねぇ。 ↑

 

ゴミ集積場の“食器”、その後。

『ワレモノ』に変わったんです。2度ほどありました。たぶん同じ方でしょう。

ガラスが割れたのか、それとも瀬戸物…??

キッチリと古新聞にくるんで、ポリ袋に入れ、

そして『ワレモノ』と明記してあるんですが。。

収集してくださる方は、勘や重さなどで、瞬時に判別なさるのでしょうか――?

 

 

 

 

 

 

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きのうの話で

2021-05-02 09:35:09 | 社会・共生

きのうの話、綴ってから頭の中をめぐっています。

 

 

あの‘支障が出たこと’について。

自分が恥ずかしい思いをしただけだったら、

自分の中でナントカ収めようとしたと思うんです。

そうじゃない。

自分のことだけでなく、

他の人も、もう二度とあんな事態に遭わないようにしないと、

と思った。

また、外部の方にご迷惑をおかけしてしまうことなので。

それだから思い切って訴えていけたんですよね。

 

 

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これは良さそう☆『あいサポート』

2015-01-16 06:49:56 | 社会・共生

ゆうゆうゆう」のメルマガで、こんな記事が。

   ↓

あいサポート運動

鳥取県が平成21年から始めた取組みで、障がいのある人も暮らしやすい地域社会の実現を目的にしたものです。
障がいのある人が困っているときに、ちょっとした手助けなどができる「あいサポーター」を増やす働きかけをしています。

 

講習は75分ほどとか。

  これは素晴らしい

 

障がいって、色々あるし、状態も様々。

それらに対応しようとハード面で何もかも整えようとすると、

かなり大がかりなことになる。

 そうじゃなく、

手助けが欲しい時に、その場にいる周りの人がチョット手助けしてくれたら

それで充分、ということが少なくないと思うのです。

 

私の周りには、いろんな障がい者がいて、親しくしており、

自然とお手伝いの仕方を身につけました。

 ○目の見えない人を誘導したり、食事の説明をする

 ○車椅子で段差や砂利道を行く

 ○リウマチで指がきかない人に靴下をはかせてあげる

などなど。

講習では、

もちろん聴覚障がいの人の対応の仕方も伝えてくれるとか。

 

   「この、あまり聴こえない人に伝わるようにするには――」

   という意識をもって話してくれるだけでも、

   かなり聴き取りやすくなるんです。

 

そんな心構えや技術など身につけた人が、町のあちこちに居てくれたら――。

ゆったり安心して外に出て行けるようになりますよね。

 

 

 

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ネット選挙、これ良いかも☆

2013-07-04 06:58:32 | 社会・共生

いよいよネット選挙とか。

これ、難聴者には良いかも。

 

たとえば選挙カーで大声で名前を連呼してても、ウチらには誰なのか全く聴き取れないもの。

講演会も街頭演説も、ああいうマイクとスピーカーを通したものは、

ほとんど聴き取れない。

 

声じゃなく、目で見える形で考えや方針、実践記録など表してもらえたら、全部分かりますから。

候補者が一人の人間として心に思った、そのまんま、ありのままを

正直に書き表してほしい。

動画で字幕入り、という形とかは、より伝わりやすいかもね。

 

そうして、

この人なら耳を傾けてくれるかも、と思われる候補者がいたら  (もし、いたらね 

直接、おばちゃんなりの意見や、弱者としての希望など、訴えたりもしてみたい。

   

今朝の天声人語は、こう結んでありましたね。

『ポケットに一票がある。その一票を温めて投じれば、かすかな高揚もわく。民意と言えば漠然とするが、ほぐせば一人。小片が集まって鞠(まり)のように咲くアジサイに、どこか似ている。』

  

 

 

 

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「刑務所か」と怒るなんて…

2013-06-26 07:32:38 | 社会・共生

きのうのニュース、

『ブログ“炎上”の岩手県議、自殺か「ここは刑務所か」と病院対応を批判』

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130625/crm13062511180006-n1.htm

『自身が受診した岩手県立中央病院で「241番の方」と番号で呼び出されたことに腹を立て――  』

というんですね。 なんとも・・・。

本当に、これだけで腹を立てたんでしょうか。

いつも「県議」ということで「先生」とか呼ばれていたのでしょうね。

 

『病院の慣行や歴史を考えず』とありますが、

番号で呼ぶのは、患者側への心配り、という意味もあったのでは?

  「大勢の前で、自分の名前を呼ばれることには抵抗がある」、

という方も、中にはおられるのかも、って思ったんですが。

 

自分の場合でしたらね、時々通っている どの医院にも、

難聴と知らせてあるので、結構大きな声で(だと思います)名前を呼んでくださるんです。

たいてい、なんと言われたのか分からないけど、

他の人より大きな声なので、

そして、誰も立ち上がらなかったら、

「あ、たぶん私…」と気づいて寄って行き、

確認したりするわけです。

  「大きな声で呼んでくれるのは、ありがたいけれど、ちょっとね・・・」、

という人もおられるんじゃないかな、って思う。

 

いづれにしても、この県議さん、主観的・一方的な感じがして、

気の毒だった、というか、なんというか。。。

 

 それと、

インターネットを使うときには、よくよく注意しなければ、って痛感します。

 

 

 

 

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心しないと。数字のマジック

2013-05-12 16:25:05 | 社会・共生

「朝日新聞デジタル」の無料会員になってから、

「お知らせメール」が毎日届いてたんですが、もうストップしました。

だって、興味をもった記事を読もうとクリックすると、

「無料会員は、読める記事に制限があります」と出てきて、結局

見出し程度しか読めない。

 

ニュースだったらTVや、職場の新聞で、

また他のサイトで、いくらでも得ることができるんですもの。

 

 ただ、「天声人語」「社説」は、無料で読めるので

毎日ありがたく活用させてもらってます。

 

今朝の社説『待機児童解消―やるなら、今でしょ

これには惹きこまれた。

「保育園に預けられなかった待機児童の数え方を改め、やむをえず育児休業を延長したり、仕事をやめたりしたケースを含めた数字を公表したのだ。

 この結果、今年4月現在の待機児童数は285人。従来の数え方だと94人で、3倍に膨れたことになる。」

 

・・・こういうこと、時々見聞きするんですよね。

数字のマジック。惑わされないよう心しないと。

 

数字って、一見

事実を客観的に表しているようだけど、

実態そのものを必ずしも表しているとは言えないことがあるんですよね。

 

  こんな例って、他にもありそう――。

 

 

 

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おばあさんが、歩道の草むしりを

2013-05-11 07:07:18 | 社会・共生

こないだチラッと一瞬目にしただけの、ある光景が心に残ってるんです。

車一台と、バイクなら一応すれ違える程度の狭い道路。

歩道は付いている。

周りは田んぼで、歩道を歩く人はあまりいない。

その歩道にシルバーカーが止まってて、おばあさんがしゃがんでおられる。

ん…? と近づいてみると、

なんと、草むしりをしてくださってるんです。

なんとまぁ~。

 

私だったらね、

職場や住まいの周りの道にゴミが落ちてたりしたら、

何も考えずに、手が伸びて拾う自分がいる。

新しい職場や、住まいに移ったとき、

トイレや給湯室・通路など、汚れが気になると(前からいる人に ひと声かけて)美化作業をする。

そんな風にしていると、ふしぎと

気分は すぐに「そこの人」になっちゃうんですねぇ。

 

あのおばあさんも、

「歩道は、市の管轄で――」なんて これっぽっちも思ったりせず、

きっと「ウチ」の延長のように思っておられるんでしょうね。

 

  自分は、そこまではしたことないナ…、と

  ハッとさせられたんです。

 

 

 

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「お犬様騒動」も過程として必要だった?

2013-05-10 08:10:51 | 社会・共生

 

コデマリ。「小手毬」という表記の方が好きだし、

よく似合うと思うんです。

 

                 

 

きのう、msnニュースで、中国の話題が。

人命が全くぞんざいに扱われているという、聞くに堪えないような話でした。

  傾向としては、貧しい人々、社会的な弱者といわれる人々が、

  とんでもないような扱いを受けているように伝えていました。

ああ。。。

 

でも、お年寄りが大切に尊ばれている、とか、

人情が厚いというような話も聞くし、

ひと言では言えない。色んな面があるのでしょうね。

所によっても違うでしょうし。

            

BS歴史観で、『シリーズあなたの常識大逆転!(1)「“お犬様”騒動 隠された真実」』

を観ました。

「人間よりも犬を大事にする法律で、世間を大混乱させたと言われる江戸幕府の将軍・徳川綱吉。実は世界的にも優秀な政治家だった?」

というんですねぇ。

本当は、『生きとし生けるもの全ての命を尊ぶ』福祉の国をつくろうとしていた、と。

  これにはビックリしました。

それに反した人に対して、考えられないような重い罪を課したのは、下っぱの役人だったようで、

将軍は、下々の民衆の実際の暮らしなどは、よく知らなかったとか。

・・・・・過程として、仕方ない状況だったのでしょうか。

 

 

中国の記事を読んだとき、

社会の気風や、国民の意識を改革していくためには、

一例として、

こんな綱吉みたいなトップが必要なのかしら、って思ったんです、過程として。

 

            

 

事例としてはゼンゼンちがうんですが、

自分やその周りで、過去にはずいぶん

行き過ぎた例とか、マチガイと思われるようなこともあった。

だけどそれも、「間違っていた」とするんじゃなくって、

それは後から思うことで、

その時の、その状況では、

精一杯のことだったのかも。

 

 

 

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『危険なエスカレーター歩き』

2013-04-11 08:45:27 | 社会・共生

 

 

先日久しぶりに都会へ出たとき

エスカレーターに何度か乗る機会があり、

そのとき、あらためて疑問に思ったことが。

名古屋でも横浜でも、スペースとしては2人並んで乗れても、

必ず一列。

大勢がエスカレーターの乗り口に溜まって

順に一人ずつ乗る、という格好になる。

もし二人ずつ乗れるようになれば、

あんなに滞ることは無いのです。

そうして、空いた片側を、急ぐ人が結構な勢いで行くのです。

こんな記事がありました。 ↓

 

転倒事故多発、恐怖のエスカレーター歩き

エスカレーターは歩く人のため片側を空けて――。都市部では定着した習慣だが、本来は「歩かない」のがルールだという。危険という指摘を受け、対策を始めた鉄道会社もある。

  ■本来は立って、ベルトつかむ

 東京・新宿駅、ホームから改札口に向かうエスカレーター。左側は乗るのを待つ人の列が…

   (朝日新聞デジタル。タイトルはリンクしましたが、全文読むには、有料会員でないと、とのこと。)

 

そうなんですよねー。

 

  『狭い日本 そんなに急いでどこへ行く

これ、道路の車の話だけじゃないと思うんですよ。

 

体力が有り余ってるような元気な御仁は、

階段を駆け上がってはいかがでしょう。

 健康増進の筋トレになるのでは?

 

 

 

 

 

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三十一文字に籠められた想い

2013-03-10 09:53:48 | 社会・共生

また あの日 が巡ってきます。

このところTVでは連日、その特集。

原発関連では、

「私たちニンゲンは、原子力で電気を造るなんて、まだそんな力量は無いんだ――」

という思いを新たにします。

また、津波の映像では、

あの日もそんな映像を見て、

「エッ、エッ、うそ~!! 」と心で叫んでいたのを

きのうのことのように想い出す。

「これ、映画ではない、CGなんかじゃない、現実のことなんだよね!?」って。

なんという自然の猛威・・・。

 

               

2日ほど前、

ハートネットで、『震災を詠む2013~鎮魂と希望と 三十一文字の記録~

という番組が、という予告。

短歌が好きな私だけれど、この番組はちょっと観る気になれないナ…、って思ったり、

ちょっとフクザツな気持ちだったけれど、

結局、録画して観てみました。

涙なしには観れなかったけど、やっぱり良かった。

特に心に残った短歌は、この2首。

 

   被災地で 

   すれ違いし老女(ひと)

   大声で

   皆 居ねぐなっだ

   おらあ負けねど

            中津川シゲ子

 

――そんな風に大声で言うことで、自分を自分で奮い立たせておられるような、

そんな力強さを感じます。

 

 

 

   人生の

   終点のごと

   津波痕(あと)

   始点と決めて

   歩き出した日

             今野 梢

 

これも、自分で「決めて」、つまり決意、決心した。

そうして歩き出すんですね。   

 

 

 

 

 

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「違い」を「違い」として理解し合っていきたいです

2013-02-22 06:59:41 | 社会・共生

ゆうべの『クロ現』は、

学校給食でのアレルギー事故」がテーマ。

先日の死亡事故についての詳しいことが分かるにつれて、驚きの連続!

 

学校としては、色々考え、対策をとってきたんですね。

ところが、お代わりの時にうっかり、粉チーズ入りのチヂミを一切れあげてしまった。

入っていたのは1gにも満たない量だったとか。

それに身体が激しく反応してしまった…。

 

さらに、「エピペン」という、自分で注射できる薬を持っていたのに、

持病の喘息発作と思ってしまって、

その子は先生に「打たなくていい」と言った。

先生も、エピペンなんて打ったことは無かったとか(練習の体験も無かった)。

そうして、お昼すぎには、かけがえのない命が。。。

 

お役所や学校としては、『食育』として、

できる限りアレルギーの子どもも、一緒の給食を食べるのが望ましいとして

対策を練って、実際に進めてきた、その結果が、こういうとても残念なことに。。

全国では他にも、事故がたくさん起きているのだそうです。

 

             

番組の後半では、それとは別の考え方で取り組んでいる実例が。

あるアレルギーの女の子は、お弁当を持ってくる。

給食のメニューとかなり似ていて、ちがう材料で工夫されています。

クラスメイトは、そのことで、互いに話を交わして、理解し合っている。

一人一人が、(アレルギーの)牛乳にその子が触れたりしないように気をつけたり。

違いを違いとして認め合って、

そのことで却って、心からつながり、絆を深め合っているんです。

 

こういったことは、「障がい」などにも通じるんじゃないでしょうか。

「みんな一緒に」「仲良く、共に」というのも良いけれど、

「違い」を「違い」として認め、心を寄せ合って話し合い、

ムリなくそれぞれにとって最も良い形で暮らしていったり。

 

 

自分の体験ではね、

以前、親しい同僚とよく話をしていて、

私の聴こえづらい暮らしがどんな状態なのか聞いてくれて、

「へぇ、、どんな世界なのかしら…」と言って、

想いを寄せてくれているのが実感できたんです。

そういうのは、本当に嬉しくて、

わたしの心の中で、何年も

暖かい囲炉裏のように燃え続けているんです。

 

 

 

 

 

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見た目には分からない病気や障がいを受けとめ合えたら

2012-12-14 08:13:32 | 社会・共生

『ためしてガッテン』、こないだは「関節リウマチ」がテーマでしたね。

私もリウマチの友人が複数いますので、

どんなことに困るのか、どんな風に痛むのか、など、

見たり聞いたりしています。

その痛みとかは実感できなくても、推測は出来る。

なので頼まれたことには、即 快く応えてきました。

「アッ、こんな場合も手助けが要るんだー」と

驚くようなことが しばしばありました。

 

そんな風なので、新しい治療法など出て来て、

我がことのように嬉しい。

 

 

さて、番組の最後に あるお便りが紹介され、

これがさらに心に残りました。

それは前回、リウマチがテーマの時に出演された方からのもの。

 「出演させてもらって良かった。周りの理解が深まったので――。」

というものでした。

「たとえば、電車に乗っていて、立っているのも辛く、

吊り革につかまったりするけれど、身体はもう悲鳴を上げている。

それで、手すりにつかまりたくて声かけてお願いしても、

見た目には普通の人と変わらない身体なので、理解してもらえないことがある」

というのです。

 

バスや電車ってたいてい『優先席』があって、

「身体障がい者・お年寄り・妊婦さん…」などと書いてあるけれど、

座りたいのは、そういう方々ばかりじゃないですよね。

他に、病み上がりの人・内臓の病気の人などなど、色々おられる。

  私なんかも、身体障害者ではないけれど、

  膝が、、これまで何度も

  平地をゆっくり歩くのも辛いほど痛い時期があった。

 

『優先席』とか設けなくても、

「あの、立ってるの辛いんですが――」と声かけたら、

「あ、そうでしたか」とサッと席を譲るとか、

そんな関係に成り合えたら素敵な社会だな、って思うんです。

 

また、弱視の友人がいますが、

結構フツウに何でもやってのける。

よくよく聞いてみると、

「明るいと割りと見えるけれど、ほんのチョットうす暗くなると ほとんど見えなくなる。」

そして、

「視野が狭くて、まるで小さな穴から覗いているみたい」

というんですねぇ。

 

こういう見え方とか、

いろんな病気の辛さとか、

実感は出来ないけれど、

気持ちをそちらに向けて推測・想像することは出来る。

  互いに思いやることが出来るようになったら、

   ああ、

  そうなったら、どんなに暮しやすくなることでしょう――。

     

 

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「リース」に乗せて心がゆきかいます

2012-12-13 16:18:58 | 社会・共生

地球のステージ』では様々な活動をされている。

その一つ、『あみーず』。

これは、震災の心理社会的ケアとしての手芸教室です。

ところは宮城県名取市。

11名のお母さんたちが週一回集まって

現在の生活の悩みやこれからの生活の不安、

震災前の ゆりあげ の思い出など

たくさんのことを語り合いながら、様々な手芸作品に取り組んで過ごしています。」

   (『地球のステージ』会誌より)

 

 心置きなく なんでも話せて、互いに聞き合って、

励みになったり、心の支えになったりしているとか。

 

  私も手芸の楽しさをよく味わってて、心が充実してくるし、

  こういうの、とってもよく分かります。

 

彼女たちの手による作品の一つが、「クリスマス リース」。

とっても素敵で、丁寧に作ってあります。

HPには「完売御礼!」とありました。

良かったですねぇ。

 

  どうか、お一人お一人の暮らしが、心が 一日も早く安定し

  美しく活気ある町が取り戻せますように、

  心からお祈りしております。

 

 

そしてこちらは、出来上がった作品を戴いて、

愛する人にプレゼント。

それに乗せて こちらの気持ちを 届けていく。

  心が行きかい、響きあっていきます。

 

 

こちら、ちょうどメチャクチャ忙しい時期で、

聴こえなくても「ゆっくり言ってください」とか言いづらく、

ほとんど勘を働かせて推測したり。

わたしには仕事の量などよりも、そのことがタイヘン。

  つかれる。。

でも、そんな中、

「あみーず」のような活動に、ほんのチョッピリ関われたこととかが、

私の心の支えになったりしてるんです。

 

 

 

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「全日本おばちゃん党」ですって☆

2012-12-07 16:15:56 | 社会・共生

メルマガ『ガンジー村通信』の「でんでんむしのつぶやき」、

今回は分かりやすく面白かった。 

 

先日、web版毎日新聞が面白い特集をしていました。それによると大阪の中年女性を中心にフェイスブックで「党員」を募り、「全日本おばちゃん党」を結成したというのです。(↓)

http://mainichi.jp/feature/news/20121205ddm013040013000c.html 

そして作り上げたのが、以下8項目の「全日本おばちゃん党 ハッサク」。

(その1)うちの子もよその子も戦争には出さん!


(その2)税金はあるとこから取ってや。けど、ちゃんと使うなら、ケチらへ
     んわ。


(その3)地震や津波で大変な人には、生活立て直すために予算使ってな。ほ
     かのことに使ったら許さへんで!


(その4)将来にわたって始末できない核のごみはいらん。放射能を子どもに
     浴びさせたくないからや。


(その5)子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、
     しっかり作ってや。


(その6)働くもんを大切にしいや! 働きたい人にはあんじょう(いい具合
     に)してやって。


(その7)力の弱いもん、声が小さいもんが大切にされる社会がええねん。


(その8)だからおばちゃんの目を政治に生かしてや!



 これぞ生活の中枢を担う「おばちゃん」の願いです。維新の会の「船中八策」
を捩ってユーモアのオブラートで包んだ対極の「ハッサク」です。政治用語や
新聞用語を使わない「口語体」のハッサク。そうなんです。政治を難しくし、
庶民から縁遠いものにしているのは「文語体」なのかもしれません。

 「9条護憲」などと言わなくても、「うちの子もよその子も戦争には出さん
!」、これで話は通ずるのです。「9条護憲」は、いつもそういう言葉を使い
考えている一部の人にしか通じないのかもしれません。文章を書く立場になれ
ば、つい定義の決まっている言葉が便利で使ってしまうのですが、すべての人
にかかわる政治には、なるべく口語体に近い言葉を使って欲しいと思います。
候補者の演説が空虚なのも、手垢のついた文語体を発しているからで、口語体
でしゃべる候補者の言葉には、同意するにせよ反発するにせよ、耳は傾けるも
のです。

 

う~ん、そうだそうだ

『ハッサク』の一つ一つを見て頷きながら、膝を叩いてしまった。

 

さらに、この人も応援してくれてます。あの、湯浅誠さん。 ↓

http://mainichi.jp/feature/news/20121205ddm013040017000c.html

上から目線で生活者の視点がない「オッサン政治」へのブレーキとして、おばちゃん党には期待しています。』

『仮想敵を作ってたたくことで支持を集めるパターンが標準化しましたが、これでは日本の難題は解決できません。』

これらは私も前から感じていました。

 

市民、特におばちゃんの力を発揮して、

  どの人も暮しやすい日本にしていきたいねん。

 

 

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光をみました。『叱責や罰で いじめはなくならない』

2012-11-20 14:47:28 | 社会・共生

あるブログを見て、ぜひご紹介したくなりました。

吉田 道昌さんの 『野の学舎』です。

その11/18の記事。

タイトルは、「カウンセリングの力<松本文男先生の講演>」。

 

松本さんというのは、日本人間科学研究所所長をされているそうですね。

 

吉田さんのブログでは、

あるいじめの例が紹介され(その内容はあまりに酷いもので…)

それ以降の引用紹介をさせて戴きます。

 

私は感銘を受け、これに 光を 見ました。

 

               

手紙を読んだ松本氏の対応は速かった。

 先生は、自分の講演会を取りやめ、その中学校へ行き、校長に話し、校長と共に加害者の生徒の家に家庭訪問して、いじめをしてきた12人の子ら全員の4日間の合宿を決行したのだった。そしてその費用は、親や学校に負担をかけなかった。

 12人の生徒たちは胸のうちを吐き出した。学校教師の行なう差別に対する怒り、親の暴力、それらを生徒たちは悲痛などなり声で松本先生にぶつけた。それは初日の夜を徹してつづき、二日目も子どもたちは叫び続けた。三日目、一方的に聞いていた松本先生はサイコドラマを行なう。一人がいじめられっこになり、ほかの子らは今までやってきたいじめを再現する。そこでいじめられる側の怖さを感じさせるのだ。午後は、空の椅子を置いてそれに向かっていじめる言葉を生徒に吐き出させ、つづけて空の椅子にその子が座って先のいじめの言葉に応える。エンプティーチェアという方法だそうだ。それを繰り返していくと、いじめられる側の椅子に座った生徒が言葉が無くなり泣き出した。いじめられる立場に身を置く体験をとおして、彼らはいじめられることの恐ろしさ、みじめさ、悲しみを感じたのだった。そして4日目になって、生徒たちにパーソナリティのチェンジが現れてくる。これから自分はどうすべきか、何をすべきか、自分の生き方を生徒たちは考え始めたのだ。

 女性が読んだ本はそういう内容だった。

 松本氏は講演の中でこう語った。人間は経験的存在であり、いじめっこは、わが身にそれを経験しなければ変わらない。指導と呼ぶ説諭や、叱責や、罰で人は変わらない。いじめっ子の精神も変えていかない限りいじめはなくならない。

 ここから松本先生は、脳の仕組みについて語り始めた。自己実現欲求をつかさどる前頭連合野、命を保つ自律神経をつかさどる扁桃体と、専門的な話が進む。カウンセリングがなぜ人を変え、生きる意欲を生み出すか、教師も親も学ばなければならない脳科学の世界だった。

 人は人によって変わる。その人の置かれている状況が、自由を束縛し、精神の抑圧と競争の世界であれば、緊張が脳を萎縮させ、心身症を引き起こす。いじめっ子も抑圧と競争の世界から生まれ、いじめられる子の精神を破壊する。精神を破壊され、脳が萎縮している人に、理性とか知性とか言ってもそれは不可能なのだ。

 人は、自分の感情を確実に受け止められたとき、理性、知性の働きが動き出す、そうしていかに生きるべきか、生きる方法を見つけ出す。理性、知性が働かないような、抑圧された状態に置かれた人の置かれている環境を変えないで、その人の理性や知性に訴えても、理性や知性は活発にはならない。学校でも企業でも、あまりにも心身症を誘発する状況が多すぎる。おおらかさ、温かさ、いいかげんさ、それが人間には必要である。

 松本先生は、この36年間で診てきた、心身に障害を持つ人のデータを公表している。

不登校 1025 うち完治1001

心身症 588 うち完治560

暴力行為・いじめっ子 285 うち完治278

無気力・いじめられっ子・逃避 265 うち完治240

情緒不安定(過敏症) 175 うち完治169

小児ぜんそく 168 うち完治157

夜尿症 149 うち完治129

学校かん黙 95 うち完治92

窃盗癖 83 うち完治73

自殺未遂 54 うち完治53  

以下省略

 この講演会は、安曇野市教職員組合が主催団体だった。組合員である教員の熱心な依頼に松本先生は応えて、講演を引き受けたとのことであった。後援は、安曇野市PTA連合会である。

 

                  

特に、

『 いじめっこは、わが身にそれを経験しなければ変わらない。指導と呼ぶ説諭や、叱責や、罰で人は変わらない。いじめっ子の精神も変えていかない限りいじめはなくならない。 』

『理性、知性が働かないような、抑圧された状態に置かれた人の置かれている環境を変えないで、その人の理性や知性に訴えても、理性や知性は活発にはならない。 』

という部分がズンと胸に響いてきました。

社会の一員として、真剣に取り組まなければ、と思います。

 

 

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