いわゆる障がい者といわれる友人が 何人かいます。
その中でも大切な友、Tさんは盲(進行性)だった。
見えなくても積極的に、何でもやってしまう。
その前向きな生き方には ハッとさせられることが、しばしば。
なにか一役、お役に立てたら嬉しい、という感じのようでした。
でも口数は少なく、はばらない。 なんとなく、ほのぼのとしたお人柄。
それが1年くらい前でしょうか、手術で視えるようになったと嬉しい知らせが。
本人はもちろん、周りじゅうで歓び合ったことでした。
そのTさんが永眠されたという。 まだ70代の前半。
せっかく視えるようになったのに……と思った。けど、
長い期間でなくても、視える世界を取り戻せて本当に良かった、
と思いました。
Tさんへ
突然の報せを受け、ビックリしました。残念でたまりません。
あなたに教えてもらったことは、たくさんあり、お礼の気持ちをお伝えして
お別れしたいと思いました。
○扇子のこと
ある合宿での休憩時間に私が扇子を使っていると、隣りにいたTさん、
「なんか、ゆらゆらしてるなァ」。 私が「扇子であおいでるのよー」と言うと
「あぁ、そうか~♪」。
それでよく分かりました。目が見えないんじゃない。
ゆらゆら視えるんだ――。
そして例えば、自分の左側の方が明るいと、そちらに窓があるらしいと分かる。
人が前に居ると ぼぅっと視えて、人がいるのが分かる。
そういう世界…。
その頃、私は聴こえづらい状態をうまく言い表せないし、
聴こえない、とにかく聴くのがタイヘン…、という感じでした。
それが、お陰で少しずつ、
それなりに、自分なりにやっていくんだ、となってきました。
○お花見のこと
ある時、4人くらいでお花見に行こう!となった時、
ふと「Tさんは、どうかしら?」と思って声かけてみたら、
即答で「あ、行きます。」って答えてくれましたね。
見えない人にとってのお花見? どうなるかしら…という心配は全く無用でした。
ウチらおばさん連中がはしゃぐ中に、それなりに溶け込み楽しんでくれたようでしたね。
まさに 五感で味わって――。
散り始めた花びらを帽子で受けとめ、ワイワイ言いながら味見。
すると、桜の種類で花びらの味が違うことが判明☆
また、そこは大きな公園で桜以外にも様々な種類の樹があって、名前のプレートが。
それで「○○の樹だって」と伝えると、
「あ、触らせてください」と言うので幹に誘導すると、
両手で触って「ああ、うん、これこれ…」というように確かめていましたね。
あのお花見の味わいは、何年経っても忘れられません。
○オキザリス~母とのつながり
私が十数年前にここに移ってきて しばらくした頃、母から手紙が。
私が娘時代に点字ボランティアをしようと勉強していた、その点字の用紙が
たくさん出て来たと。 それで小包で送ってもらった。
そしてTさんに問い合わせると、「下さい」ということで送りました。
それから半年くらい経った頃でしょうか、Tさんからオキザリスの球根が小箱にいっぱい
送られてきたんです。嬉しくて、母にも半分送りました。「あのTさんからよ」って。
とても可憐な花が咲いて、母と「ウチの、咲きましたよ~♪」「あら、こちらはまだ蕾よ」など
faxし合うのも楽しかったです。
そんなことをTさんに出逢ったときに伝えると、満足そうな表情をしてくれましたね。
その後、母のは毎年花をたくさん咲かせ、
今年もきれいに咲きましたと、嬉しそうな報告が。
これからも母を元気づけてくれそうですよ、Tさん。
生きていく上で大事なことを、さりげなく自然な感じで いっぱい
いっぱい教えてもらいました。本当にありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠り下さい。