きのう、NHKで『玄侑宗久』さんを観ました。
<27日(日)午前10時から11時35分(95分)> | |
1月にNHKのBSハイビジョンで放送されプレミアム8「玄侑宗久 なりゆきを生きる」ですが、局のほうへの反響が大きく、異例の速さで「あなたのアンコール」という番組で再放送されることになりました。 |
ということです。
玄侑さんは、じっくり、ゆったりとした口調で、
とても誠実なお人柄が感じられました。
決して、
「こういう悩みの人は、こう考えたら良い」とか
「真理は、こうです」みたいなお話ではなく、
ご自身のこれまでの体験を振り返りながら、
「う~ん、そうですねぇ、あの時は、こういう思いがあったようですね――」と、
その心の奥深くにあったものを見つめ直す、という感じ。
改めて、わたし自身のことを、もっと素直に真剣に探っていきたくなりました。
昔、難聴になってきた頃のことを想い出しました。
つらく、苦しかったです。
聞こえづらいことよりも、周りの人の、理解しようとしない姿勢に悩んでいた。
自分でも、聴こえづらさを人にうまく伝えることができない。そのもどかしさ、不甲斐なさもあって
もうもやもやして、どん底でした。
でもその頃、心に残る人との出逢いが、いくつも。
たとえばAさんは、何気ない雰囲気でフラッと来て「みっちゃん、こんなの どうや~」と、
吉野弘さんの詩のコピーを手渡してくれました。
それは、『生命は』という詩。
なんともいえないものが広がってきて胸に染み渡り、
何度も何度も、繰り返しくり返し読んでいました。
別の日のこと、
あることがあって更衣室で一人で泣いていると
C子さんが入ってきてビックリして「どうしたのー!?」と聞いてくれた。
「やっぱり…、聞けるようになりたいの」と泣きながら言うと、
彼女は、黙ってギュッと抱きしめてくれました。
また、あるとき、Bさんに相談にのってもらっていたら、泣けてきてとまらなくなり、
話し続けられなってしまった。
そのとき、彼は「うん、、、聴いてるよ――― 」と言って、
また話せるようになるのをじっと待ってくれました。
しばらくしてから、思いのたけをぶちまけ、
「全部きいてもらえた」という充足感が得られたのです。
何人もの人たちの、その温かさ、
理解しようとしてくれている想いがシッカリ伝わってきて、それで、
「ああ、またやっていこう。それなりに生きていくんだ」と思えてきたんです。
彼ら、彼女らは、「こうしたら良いよ」とか「こんな風に考えてみたらいいじゃない」みたいなことは
ひと言も云わなかった。
そうじゃなく、それぞれの形でシッカリと伝えてくれて、
それが私の心に響いてきたんです。
アドバイスして欲しいんじゃないんですよね。