michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

母の想い出、VTRの再生のよう

2024-09-27 07:58:50 | 介護

待ち焦がれていた秋は、一気にやってきましたね。

朝のゴミ出しの時なんて「エッ!?」って思うほど涼しかったり。

こんな時には、母だったら「寒い…」って言うだろうな なんて、ことあるごとに母を想い出してしまいます。とにかく寒がりでした。

お天気の良い日に「これはチャンス☆」と散歩に連れ出しても、チョット風があると「寒い…」と言うんです。気温は決して低くないのに。

なんか、風とか寒さに過敏というか、こだわりがあるような気がしてましたね。

 

 

訪問看護の度に、足湯――というか、熱いのは苦手で、温かいお湯に足をつけて穏やかに洗うようにしてもらって、保湿剤を塗ってもらってました。(乾燥肌で、まるで粉ふき芋。着替えのときには、粉雪が舞うような状態でした)

その、足湯(?) の時に母は、いつもいつも毎回 同じ話をしてました。にこにこと、

「わたしは長女だったからー、いっつも畑で手伝わされた。親とおんなじに働いた。」

  これ私は、100回以上くらい聞かされましたね…。

看護師のAさんは毎回 根気良く聴いて、母に話を合わせてくださり 有難かった。

そして「畑でどんな野菜を作ってたんですか?」と問われても、それは覚えていない。「とにかく、親とおんなじに働いたー。」 それが言いたいらしい。

そんなことを自慢気に喋りたかったんですかね。

 

 

手相の話も好きで、母の手は生命線が長かった。それ、手を見せながら話すんです。

すると、Aさんは、自分の手を見せて「ほんとねー。私なんてこんな短い…」。

彼女は若くて美しい手。母はそれに毎回ビックリしてました。

するとAさん、母の皺クチャの手に触れて「これは、働き者の手。(自分の手を指して)こっちは怠け者の手

うまくフォローも出来ないまま、ちょっぴり満足気にほほ笑む母でした。

 

そんなようなのが、まるでVTR を再生するように、目の前にハッキリと浮かんでくるんです。見送ってから もう半年以上経つのにね。

 

 

 

 

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キャスター、適材適所(?)

2024-09-24 15:19:03 | 聴こえ

全くどーでもいい、ほんとに個人的な話ですが…。

何年か前に、8時の朝ドラを録画してた頃、それを再生すると、キッチリ8時からじゃなくって数十秒前から始まるんです。

すると、7時からのニュースの最後、キャスター4人くらい並んでて、いつもその中のTさんが何か面白いこと言って、皆さんワ~ッと笑ってらっしゃる。毎回まるでワンマンショー。

字幕は、数十秒遅れるので、まったく入らない(生番組の最後はそうなんです)。わたしはナニ言ってるのか全く分からない。。完全にあっちの世界みたいな.....

毎回毎回そんなこと味合わう羽目になるので、もうお昼の分を録画するようになりました。

 

そのTさんが、この頃お昼の列島ニュースに出ておられるらしい。各地の話題の紹介のあと、シャレた楽しいコメントを言っておられるみたい。

――ああ、こういう番組の方が合ってるんじゃない?、って思いました。

   全く完全に‘私からの観方’ですけどね。

 

 

 

 

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モチベーションを保つには――ゴミ箱など片付ける!?

2024-09-22 09:13:29 | お仕事

新プロジェクトX』 こういう番組って、私の生活とはかけ離れてることが多いんだけど、今回は“はやぶさ”の話なので、録画して観ました。

ロケットとか、最新の科学の話は、実感として あんまりピンと来ない。それでも、すごい☆。

そして、絶望の縁という状況になったとき、

「リーダーとして現場のモチベーションを維持し、鼓舞し、それを保つっていう事の難しさを想像するんですが」と問われて、

川口さんがおっしゃったことが心に響きました。

物が散らかってても、誰も汚いって思わない。それ、自分自身が参ってしまう。

だから、常にコーヒーが出るポットを用意。お湯を入れておくとか、ゴミ箱は片付けるとか。

アクティブであれ、と。

誰かが来た時に、プロジェクトがアクティブだ、って印象を残すというのは、そういう意味では自分のためなんですけどね。

「リーダー川口さん、自ら動いた――」と言われて、

自分が一番ガッカリしますから

 

素晴らしい そういうことなんですね。

そういうことだったら、私みたいな 耳の聴こえない おばさんでも やれるよね、って思いました。

 そんなような役割を やれたら良いな。

 

 

 

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介護して自分に残ったものは

2024-09-18 08:40:36 | 介護

介護生活。私にとっても 母にとっても まるで激動の8年間でした。

始めの頃の まだ軽かった頃はそれなりに。重くなってからは それなりに。

「ありえない!!」と何度つぶやいたことか。そんなこと言ったって、現に目の前に展開されているのに。

 それなのに、いつものベッドで穏やかに見送ってからは――、

お母さんて、いっつもこんな話してたよね…とか、ご飯食べるとき こんなことしてたね…、なんて後から後から想い出されてくるんです。

母の小さな手記や つぶやきメモを整理してると、切なくなってきたり。

お母さんなりに一生けん命に考え、やってきたのよね。

私は、その時点では精一杯やってきたつもりだけど、もう少し何とかできなかったのかな。母の気持ちを理解し、それに添って、

…なんて、あれこれ思いが巡ってきます。反省しきり。けど、後悔しても始まらない。済んだことは、済んだこと、と割り切らないとね。

とにかく、母の希望通り、家で最期まで過ごしてもらえた。それだけは やれたよね。 専門家にも見守ってもらいながら、樹が枯れていくように自然に。 

 

 

TV で、介護や子育て、また主婦として精一杯やってきた方が、「私の人生なんだったんだろう…なんにも残らない…」みたいなことを言ってらした。驚きました。その人その人で視点や価値観など違うということでしょうか。

介護、子育て、主婦としての様々なこと、どれ一つとっても重要なこと。家族など支えたり、自分自身も大きく成長したり、充実し深まったりしたのでは?

少なくとも私は、色んな面で育ててもらった。鍛えてもらった。気づかせてもらった。味合わせてもらった。

そんな8年間だったと思ってます。

  も、わたしにはタイヘンすぎ…なんて

   何度も心の中で弱音を吐いたりしたけどね。。

 

 

 

 

 

 

 

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敬老の日…もうお祝いは来ないよね…

2024-09-16 09:09:18 | 介護

今日は敬老の日。

例年だと、お花がいくつも届いたりした。

去年なんか さらに、お国から、市から、〇〇から、と続々『百歳のお祝い』が届き、当人は、少し戸惑ったようにも見えたっけ。

 

 

その母はもう旅立ってしまったので、今年からは何もない。。

 いっちゃったもんね…と改めて。

日々何を見るにつけても、母を想い出します。

訪問看護の記録を整理していると、いつもあるシーンが浮かぶ。

その看護師、Aさんのことを、母は大好きだった。(名前はともかく、お顔を見るとすぐ思い出して笑顔がでてきた。)

バイタルチェックや、遊び感覚での軽い体操、頭の活性化にと思い出話など、常に母の体調や気分に合わせ工夫してやってくださいました。

Aさんが母に「じゃ、今日はこれで。また来週来ても良いですか?」と帰りかけると、母はベッドに横になったまま、にこやかに こう言いました。

「あいそなしで すんませんでした――」

お茶もお出しせず、何もお構いもしませんで――と。(楽しくおしゃべりの相手をしてくださる お客さまのように思ってたんでしょうか。)

 アハハ~

また3人の笑顔が広がったことです。

 

 こんな何気ない、どーでも良いようなことが、私の中では大切な想い出になってます。

 

 

 

 

 

 

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エアコンの扱い――母の場合

2024-09-09 15:39:00 | 介護

去年購入したサーキュレーター。ちょっとしたすき間にも収納できるし、充電式で、コンセントもコードも気にせず どこででも使える。持ち運びも軽くて助かります。

さて、このサーキュレーターを付けて、あと 消し忘れることがあるので、リボンを付けました。よく電気屋さんでやってますよね。リボンが風にそよいで、見た目にも涼し気。そしてOFF にするとペタンと下がるので消えてることを目で確認できる。

電気って、灯油などと違って、使っても目には見えない。けど、せっせと働いてくれてて、OFF にするまでは、電気をドンドン ドンドン使ってることを忘れないでおきたいと思います。

 

 

母は、エアコンや温風ヒーターの ‘タイマーでON / OFF ’とか、理解できないようでした。

温度設定しておけば、その温度にほぼ保ってくれる、ということも。

なので、「暑い、暑い」とエアコン付けて、やれやれ涼しくなった――と思っても、

ふと気づくとすごい暑くなってる。見るとリモコンで消しちゃってある! 聞くと「だって、もう涼しくなったから」と言う。 あの、、扇風機と違うのよぉ~。 

窓もドアも閉めてあるので、熱気ムンムン。これ、もし 一人で暮らしていたら…と思うとゾッとしたものです。

 

冬は、温風ヒーター。外から帰ってきた時は「寒い、寒い」と母はON にしてから、温度設定をパパパッと3度くらい上げてしまう「すごーく寒いんだもの」。。薪をドンドンくべるような感覚が残ってるんでしょうか…。

 

 

私が小さい頃は、豆炭の掘りごたつでした。朝、コタツに足を入れても温かさは…無い。 そこへ母が「ほら、熱いよ、熱いよ、足どけて~」と言いながら 熾した豆炭をいそいそと入れてくれるんです。母は、まるで太陽でした。

 

 

 

 

 

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8年前のつぶやき それから成長してないわネ

2024-09-06 07:20:00 | ふれあい

数年前、「お母さんの一人暮らしはもうムリなのよ…」という家族の悲痛な声に、ここ横浜に来て同居始めました。どうなるか分からない。けど、とにかくやってみなければ、と。試行錯誤、手探りの連続でした。

その頃って、どんなこと思ったりしてたっけ、と4月から読み返してると、5/25にこんなことつぶやいてた。 ↓

2016年5月25日のブログ記事一覧-michi のひとりごと (goo.ne.jp)

  タイトル  “共感してほしいんでしょうけど…”

 

確かにねぇ。

こういうのって、今でも継続、練習中だわね。

自分自身も、人との関係も。

(まだ修得できてない。成長してないネ、自分)

 う~ん...

人の心って難しい。っていうか、取り組み甲斐がある、とも言えるか――。

 

 

 

 

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デイ、お母さんも取り組んだよね

2024-09-04 07:47:42 | 介護

書類の整理を進めてます。

その棚が空いてきて、整理済みのバインダーがどんどん増えてく。

こういうのって、成果が目に見えるのでやりがいがある。

ふだん色んなこと「なんか、しんど…」と、なかなか腰が上がらない私でさえ。

 

デイサービスの連絡帳。日々の記録を見ていくと、様々なことがあったのが思い出されてきました。

母の言動に恥ずかしくなったり、申し訳なくなったり。本当に色んなことがあったっけ。

 

 

デイ。母にとって最初は慣れにくいようだったので、週一回、半日にして、お昼に私がカラの車椅子を押して迎えに行った。

少ぅしずつデイに馴染んできて、他の利用者さんとも打ち解けて談笑するようになり、職員の方とも、気軽な口ぶりで話すようになったらしい。(毎回同じことを言ったりしたようですが…)

最終的には、週に4回、行ってくれるように。

 

それでも、毎回、どこへ行くのか分からないと言う。

‘デイサービス’なんてカタカナ言葉じゃダメで、‘日帰りの〇〇〇’と言って、毎回詳しく説明。写真を見せても「どんなとこ~?」。

「家で寝ときたい」と言い始めたらテコでも動かない。ラクなのは分かるけど、家に居たら、寝て食べてトイレ行って…の繰り返しだけで一日終わってしまうでしょ?すぐに寝たきりになっちゃうよーと思い、

本腰いれて説得し、なんとかカントカ誘っていく。

たいていは「…分かんないけど、まぁ、行ってみるわねー」と言って起き上がってくれるのでした。 ほっ。。

 

デイに行けば軽い運動も、母に合わせてやってくれる。遊び感覚でやれるよう職員の方もすごく取り組んで下さったし、母もそれなりに楽しくがんばった(?)ようです。

他の利用者さんたちは、母をそれなりに受け入れて、あたたかく接して下さいました。例えば、お風呂を嫌がったりしたら、優しく誘って下さったり。

周り中の色んな方々のお陰で、母も私も直接間接に励ましてもらい、支えて頂いて、 どうにか100歳まで在宅で――母の希望通りに過ごせたのです。

(結局、母はその間、一度も入院も手術もしないで過ごせた。)

 

 

家の前に階段が10数段。これがなんとも。。

ある時、途中で力尽きてしまって、もう一歩も上れなくなった。ど、どうしよう…と思いながら 必死で抱え上げるような状態で、とにかく家に入れた。

それからは、階段を上がる母の後ろで 私が母のお尻を押し上げるような恰好で 上がるようにしました。

それでも母にとっては大仕事。一生けん命。も、全力です。

下りる時だって、シッカリ手すりに掴まり、杖をついて、慎重に一歩ずつ。

そんな母の姿が、なんだか尊いように見えて、

わたしも精一杯それに応えていきたい、と純粋に思えたものです。

(実際にはイラついて自己嫌悪になったり、途方にくれたり、――それはもうナンダカンダありましたけどね。

 

 

 

 

 

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