私がインターネットを始めたのは
、難聴になってしばらくの頃。
日々辛いと感じることが多く、
「他の難聴の方々の色んなお話を聴かせてもらいたい」
と思ったのが、一番の理由でした。
パソコンの前でモタモタしながらも
、その一念で、
難聴関係の掲示板に毎日参加していました。
そんな中で、私の発言に反応して、
ふつうなら「〇〇すれば良いじゃない。」と言うようなところを
「〇〇という選択肢はないのですか?」
と言ってもらったことがあったのです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_orange.gif)
ビックリしました。
私の人格を認めてくれている。
私が自分なりに
一生懸命考えたりやったりしていることを認めて、その上で、
「このことは知っているのかなぁ?
念のために確認しておこうかな」
と思えたことを提示して下さっているらしい。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0230.gif)
ネットだけの繋がりで、お顔も本名も知らないけれど、
すぐ横に優しく座っていてくれるような感じがして、
こころがフッと軽く弛んだようになったのを、
今でも折に触れて思い出します。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0195.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0237.gif)
又、ある話し合いの中で、Aさんが
「こういう人たちは、なんで◇▽せえへんのやろ。」
と言っていて、その場全体がそういう雰囲気になった時、
Bさんは
「どうしてしないのか、純粋に聴いてみたいと思うんやわー」
と穏やかに言ったんです。
これも心に残る一場面。
自分の意見や、
その社会では当然となっているようなことは一旦おいといて、
本人に、まっすぐ純粋に聴いてみたい、という姿勢。
――これだ
、と思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0237.gif)
人のことを言ったり、人にモノ言ったりするとき、
なるべく正確に言っていきたい、って思うんです。
(話題にもよりますが)
「◇□は、◆■だよ。」ではなく、
「私には、◇□は、◆■だと思えるんだけど…?」とかね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0231.gif)
「これ、〇〇して!」
と注意するように言う場面はよくあるけれど、
言われた側は、キメツケとか、一方的・威圧的な印象を受けたりする。
「〇〇してもらえたら助かる(嬉しい)んだけど、どうぉ?」
ということだとしたら、そのまんま伝える。
一緒にやっていて戸惑ったり困ったりすることがあったら、
どうしてそんな風にしているのか、こちらが分からないだけかも。
そこは、
「なにか…理由(事情)でもあるの?」っていう風に聴いていきたい。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0051.gif)
でも、
自分の実態は・・・、
そんな風にスッと聴いていけないことがよくあるんです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0163.gif)
自分のこれまでの体験では、
素直な気持ちになって、一応聴いてみたら、
(自分にとっては)思いも寄らない事実が分かったりして、
やっぱり聴いてみるもんだねぇ、と思ったことが何度もあります。
勝手にキメつけたりして申し訳なかったわねぇ…と。
もちろん、率直に思ったまんまを言ったら良い場合もあるでしょうし、
こういうのが正しい、みたいなのは無いでしょう。
それぞれの場合や状況などに応じて、ということでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0232.gif)
きのうは、相手の立場に立ってみたり、
もし自分が関係者だとしたら、と置き換えてみる、
ということの大切さが思えてきました。
人と接したりするときの、自分の姿勢を、
時々でも良いから 省みていきたいと思うんです。
これ、自戒をこめて書いてます――。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0190.gif)