こないだ、通院の帰りのことです。
かいつまんで言うと――。
以前、あるお店で、理解に苦しむような対応(「聴こえません」と言ったにも関わらず…)
そのことを引きずりたい訳では決して無いけど、どうしてもそのお店には足が向かずにいた。
そんな自分ってイマイチだよね、って思ってました。
でも気持ちを切り替え、対策グッズを用意して行ってみたら、
私にとって嬉しい情報が2つも
やっぱり、思い切ってやってみることよね、
なんて、子どもの日記みたいな感じですが…
こないだ、通院の帰りのことです。
かいつまんで言うと――。
以前、あるお店で、理解に苦しむような対応(「聴こえません」と言ったにも関わらず…)
そのことを引きずりたい訳では決して無いけど、どうしてもそのお店には足が向かずにいた。
そんな自分ってイマイチだよね、って思ってました。
でも気持ちを切り替え、対策グッズを用意して行ってみたら、
私にとって嬉しい情報が2つも
やっぱり、思い切ってやってみることよね、
なんて、子どもの日記みたいな感じですが…
もう何年になるでしょう、NHK『みんなの手話』を欠かさず見て 勉強しています。
地域の手話サークルに 何か所か行きましたが、なかなか難しかったので、もっぱらTVです。同時に字幕が出るので分かりやすいんです。
きのうの放映(再放送)の中で、ろう文化のことが。
『聾の人は、外見の変化をストレートに言うんです。
「前より体形がふっくらしたね」「少し太った?」など。
ろう文化を知らない聴者は、びっくりすることもあるかもしれませんが、
これらの文化の違いを理解し、楽しんでいけるといいですね。』
と。
う、う~ん。。
私は――、そうは思わないかな。
私は これまでの人生の半分は聴こえていたので、両方の文化を知っています。
けど、もし「太った?」とか「ふけたねぇ」とか言われたら、やはりガクッときますよ。
様々な異文化や、感じ方・考え方の違いなど、多々ありますが、
その双方共 歩み寄る。理解し合う姿勢で、
自分からそちらの方へ心を寄せていくことじゃないかと思うんです(なかなか難しいこともありますが)。
「ろう文化では、こうなんですから」と、一方的に「こちらに合わせてね」、みたいな感じは…、
ま、楽しめる人は良いですけど、
私はどうもね。。
筆談なども――。
わたしは必要な話が聴こえなくて互いに困るから、筆談などお願いしますが、
こちらの方でもやれることはないかと、頭を巡らせます。
〇筆記用具を常に身に着けておいて、必要な時にすぐ差し出せるようにしておく。
〇病院や美容院で名前を呼ばれても聴こえないので、出来る限りの用意(グッズなど)をしておく。
などなど。
一方的にお願いするだけでは、あまりに申し訳ないので。
どうなんでしょうねー
気持ちは辛いけど…、さっき夜明け前、
その時間にTVをつけた。そしたら、神戸の公園から中継で、アナウンサーは井上二郎さんでした。
あっ、井上さん――
と思ったけれど、何も分からない。何と言ってるんだろう??
推測・想像するしかありませんでした。
この時間帯には、字幕が出ないことは充分に承知了承しています。けど、こんな大事なことは…。
場所は離れていても、同じ時刻に 心は共に 祈りたいのに
なんだか、聴こえない者は、置いてきぼりみたいで、寂しかった――。
*** ***
朝7時からのニュースでは、やはり中継、井上さんで、ちゃんと字幕が出ていて ありがたかった。
彼のメッセージは、重み、深みがあると、よく感じます。
井上二郎さん。Wikipediaによると、
『低音が印象的な、豊かな響きと語り口のナレーション』
とあります。ほんとうに。
ただ、彼の場合は、そういう‘話し方’ だけじゃないものを感じるんですよね。
また、
『長年ニュースの第一線で仕事をし、緊急報道の際「命を救うことば」をどう呼びかけられるか常に悩み考えてきた。行動に移してもらえる「人の心を動かすことば」とは「人間性」が問われることばだと、経験から結論している。伝えて動かすことばを磨いていきたいと思っている。』
うんー、さすが
私の場合、しっかりしたヘッドホンで ボリウム最大にすれば、音声としては ぼんやりと聴こえる。語調や声の高さなども。
何と言っているかは、字幕で。
今回、こういう風にして受けとめられたんだから、それで充分かも、という気がしてきました
時間は多少ズレてもね…
以前いた三重県では、雪がよく降りましたね。
前の補聴器支給から5年経った。それは右耳用。
福祉の補助は5年(以上)ごと です。
左耳のは 16年目に突入した。これは驚異的(?)。
もういつ壊れてもおかしくない。次の支給を申請しておかなきゃ。
ただ 私の場合、補聴器をしても、言葉は聴き取れないんです。何か言われてると分かるだけで(日本語か外国語かも分からないことが多い)、すぐに筆記用具を差し出して書いてもらいます。
語音明瞭度がすごく低くて10~20%。
この低さでは、もう補聴器を駆使しても、言葉を聴き取るのは困難、ということは定説として以前から認識しています。
上のリンクしたサイトによると、もうゼンゼン無理ですよと。
なんか…、もう諦めるしかないのよね
っていうか、肚決めせねば、と改めて。この耳でやっていくことよね
それでも、補聴器をしていれば、生活音――家電のお知らせ音とか、音は聴けるから、ありがたいと思わなくちゃね
すごい久しぶり
久しぶりなのに、こんな書き込みで申し訳ないんですが
思っきり愚痴って良いですか…?
ある手続き。
ここ数ヶ月前からナンダカンダあったのですが…、
Web で出来ると分かり、
あら~、と思ってやってみました。
一つ一つ、キッチリ読んで記入、じっくりと進めていくと、
最後の最後に「電話(音声)で、暗証番号を伝えるので」と
電話で聴き取ることが必要なら、最初に伝えておいてほしかった~
日常こんなことばっかり、とまた思ってしまいました。
聴こえて電話など出来て当然、という社会なのでしょうね…。
わたしが、
もう、いい加減に慣れて平気になったら良いんですけどね。。
ここでグチらせてもらったので
美味しいチョコ食べて、コーヒー飲んで
紙の申し込みの方に切り替えます。
どうも、失礼しました――。
(こんな風に吐き出せる場があって、良かった )
皆さん、どうもありがとうございました。
やれやれ…
このところ複数の懸念事項がドカドカッと。。
も、体までヘンになりそうだったのが、やっと一応解消したり、なんとかメドが立ってきたり。
スティックコーヒーの こんなメッセージで支えてもらったりしてきました。
こういう視点や姿勢がわたしには足りない、未熟なんですよね…。
メンタルが弱いっていうんですかね?
聴覚障害 というのにプラス、こういうのがあるので タイヘンになる。
時々「生きづらい…」となってしまう。
きのうの『首都圏情報ネタドリ!』とっても良かったです。↓
働きたいけど働けない 精神障害者が直面する壁とは 広島では精神障害者を多数雇用する企業も…秘けつは? | NHK
重度知的障害の女性が活躍する仕事 川崎 “あるシステム”が決め手に 職場全体にメリットも | NHK
素晴らしい
まさに先進的~。
番組が終わって、「双方向」という言葉が浮かんできました。
企業など→ ←当事者 それぞれ遠慮・気兼ねなく 率直に状況など出し合い、聴き合えること。
それができる空気や仕組みなどがあること。
(そこに専門家がアドバイスなどしてくれたら完璧)
例えば、補聴器をつけてもチャンと聴きとれるわけではない。(特に私は語韻明瞭度がとても低いので)
軽度~中度の頃は、‘グッと集中して五感フル回転+勘を働かせて’
何とかして聴き取ろうと努力していた。
そんなこと、聴こえる人には分からない。言っても伝わらない。
よく、「我がままだ」「自己主張が強い」などと捉えられたり。
その無理解、理解しようとする姿勢の無さに、もう、クタクタ…となっていました。
文字変換アプリが出てきてからは、‘一応’文字にはしてくれるが、
誤変換・誤認識が もう頻繁。
それでも相手は「アプリが文字にしてくれてる」と、フツウにペラペラ喋ってくる…。
一緒にその画面を見てくれたら良いんですけどね――。
変換が間違っていたら、そこだけ筆談。その単語だけ書いてくれたら…。
よくミーティングに要約筆記をしてもらいましたが、
まるで傍聴でした。
話に必死についていこうとするだけで終わった。
自分の意見なんか まず出せない。 主体的に参加したとはとても言えない。
それでも「michi さん、参加できたね」と笑顔で言われても 気持ちは複雑でしたね。 参加した形だけですから。
『双方向』。
お互いに気持ちを寄せ合う姿勢で。出し合い、聴き合う。
なんとか、こんな感じにもっていきたいものです。
いつもの通院の帰り。ちょっと遠回りして公園へ。
‘小さな秋’を味わって。
NHKネットニュースで、興味深いものが。
デフリンピック関連で、音声を文字表示するもの。
初めにある、〔競技で生じる音を、文字にしてモニターに映し出す〕
これ、良いな~って思いました。臨場感が出るんですよね。
(ドキュメンタリーやドラマでも、例えば「‘バンッ’と乱暴に戸を閉めた」とか
「足音が近づいてきて」とか分かると、ありがたい。)
二つ目の、〔音声の会話を文字に変換
透明なディスプレイ上に文字で映し出される〕
これ、前にも何かで見たことあり、
「これ、これ、こういうのがどこにでもあったら――」って切望します。
対面で、間に透明なディスプレイがあり、相手の顔や表情など見ながら
話された内容を文字で読める。
役所やお店のレジなど、こんな風に出来たら…って
もう、切望します。
(筆談も良いですが、書く時は、下向いて紙を見つめておられるわけで、
表情など分かりにくい。
しかも、書いてもらった後、その紙などを こちら向きにさせてもらわないと、
乱視で老眼の私は読みにくいことが多いんです。。)
NHKの『アニマルドック』興味深かったです。
象のビックリするような能力の話とか。
その中で、人には聴こえない低周波の声で‘会話’していると。
声って振動。足から地面に伝わって
仲間の象は足からそれを感じ取ると。
かなり遠くても。
そりゃすごい☆
そんなことから自分の体験を思い出した。
('22.9.24に書いたものです) ↓
あるイベントで、バルーンアートが。
作る過程は見事で見るのも楽しく、私は子どもたちに交じって並び、小さなバルーンの ‘ リンゴ ’ をもらって、とっても嬉しかった。
イベントの間、その一個のリンゴを両手の間に入れて大事に持ってました。
すると、司会の方がマイクで話し出し、リンゴが細かく振動するのに気づいた。
さらに、男性の司会者と、女性の司会者では、振動の具合がちがうんです。
これにはビックリでした。
音声って、ホント 振動なんですね。それが空気を伝って風船に届いた。
また別のある集まりで。 みんなで季節の歌を。
私はなんとなくテーブルに手をついていたら、振動が。
隣りのテーブルの上にキーボードがあり、伴奏してるんです。
その振動が、床に伝わり、隣の私のテーブルに伝わり、私の手まで来たんですね。
***** ***** *****
この耳は なんとなく ぼんやりと聴こえる程度で、簡単なよく知っている曲でも、いつも前奏が終わった歌い出しのタイミングは分からないことが多い。
それが、分かったんです。今、歌い出すんだ、って。 リズムもちゃんと掴めた
なんだか楽しくなってきました。
それら、私がふつうに聴こえていたら、そういうような振動に気づいたかどうか。
ま、「難聴になって良かった」とまでは思いませんが、
それなりの味わいとか 気づきなど、いくつかありましたね。
(蓑虫クン)
投票してきました。
自分の名前を明示して、聴こえないけど 投票の仕方とか分かる、ということをサッと伝えられるよう、準備して行った。にも拘わらず、
やっぱりモタモタ。。(後ろの方をちょっと待たせてしまった)
係の方に、聴こえないと言ってるのに 声で言われたり。
けどまぁ 結局は チャンと投票できたし、いいんじゃない~?って感じ。
ま、こんなもんでしょ、って。
咄嗟にキチンと対応できないこともある。人ってだいたいそんなもの、よくあること、って。
色んなことで自分は、時々失敗します。‘うっかり’ とか ‘勘違い’ とか。
そんなとき「あ”~自分 アホだー!!」なんて必要以上に落ち込むことはないんじゃない?って、もう一人の自分が言ってるような気がしてきました。
お互い様、もちつもたれつ。
そんなゆる~い社会が良いかもね、って思ったり――。
母は、超高齢の人の暮らし方・生き方を記したような本が好きで、本棚にたくさん並んでます。 読み込んで抜き書きしたりして、お手本にしてたようです。
私は 素直じゃないからか、生き方を指南するような教科書的なものって あんまり好きじゃない。
私は以前からターシャ・テューダの 特に庭に心惹かれてます。もちろん彼女の生き方も。 本は読みあさりました。
母の本棚にも何冊かあり、最近また読み返してます。ターシャは、茶目っ気とかユーモアがあるんですよね。
例えば、ターシャの家には TVも ラジオも無く、新聞もとらなかった。ただ、古新聞は要る時があるので、家族が来る時に、持ってきてくれた。
それを鳥かごの中に敷く時に、わざと政治家の顔を上にして敷くんだそう☆
これ笑っちゃいました♪
私も、好戦的な独裁者の写真とか上にして、そういう使い方をしようかしらん。
いまTVをつけると選挙の話でもちきり。各候補者の話を聞いてると、すっぐに日本がスバラシイ国になりそうですけどね。 はぁ。。
ある番組では、字幕がつかずに、手話だけでした。その候補者、ずうっと下向いて原稿読んでる。これではウチら 何も分からないんです。なんーにも…。
(ま、ネットで検索したりして出来る限り調べますけどね。)
投票のとき、どうしようかな。
前回は「聴こえません」と言ったら、別コーナーへ連れてかれた。訳ありの人ということでしょう。名前など書かされました。。
事実はといえば、ただ最初の「〇〇さんですか?」というのが聴こえない、それだけで、投票の仕方とか、何度もやってるし、分かるのよー。
コロナとインフルの予防接種してもらいました。かかりつけの病院で。
ふだんの診察の時は、聴こえないことに配慮してくださる。
電子カルテに明記してあるので。
ところが、予防接種の時には、診察券⇒電子カルテ とならないので、よく もたついてしまうんです。
待合室で呼ばれてもわからない。(バッグに『聴こえません』ストラップをつけていても)
また接種の時に、ひと言も聴こえなくて、急いでバックからメモ帳を取り出したり。
今回は、接種の時に、最初からメモ帳を差し出した。
そしたら、看護師さんの方で、筆談アプリを用意してくださってたのです。
筆談アプリ――私も持ってるけど、誤変換・誤認識がとても多いのよね…、
と思っていたら、その看護師さんは、
とてもゆっくり ハッキリ話して、
しかも画面を見て正しく変換されているか確認してくださったのです☆
話す度に。
それで、助かりました。
とてもありがたかった。
全くどーでもいい、ほんとに個人的な話ですが…。
何年か前に、8時の朝ドラを録画してた頃、それを再生すると、キッチリ8時からじゃなくって数十秒前から始まるんです。
すると、7時からのニュースの最後、キャスター4人くらい並んでて、いつもその中のTさんが何か面白いこと言って、皆さんワ~ッと笑ってらっしゃる。毎回まるでワンマンショー。
字幕は、数十秒遅れるので、まったく入らない(生番組の最後はそうなんです)。わたしはナニ言ってるのか全く分からない。。完全にあっちの世界みたいな.....
毎回毎回そんなこと味合わう羽目になるので、もうお昼の分を録画するようになりました。
そのTさんが、この頃お昼の列島ニュースに出ておられるらしい。各地の話題の紹介のあと、シャレた楽しいコメントを言っておられるみたい。
――ああ、こういう番組の方が合ってるんじゃない?、って思いました。
全く完全に‘私からの観方’ですけどね。
時々 Eテレ『人生レシピ』を観てます。きのうは「大人の心に響く絵本の魅力」。
ゲストは、矢部太郎さんでした。大河ドラマに出演されてる姿も好感もてるし、
『大家さんと僕』、続く『――それから』は、夢中になって繰り返し読みました。
この矢部さんの話し方がとても印象に残った。
自分の感じたあたりや思いなど、そのまま伝えようと、身振り手振りを加えて、ご自分の言葉で精一杯語る。
そんな矢部さんの周りの人たちは、もうニコニコ。その場が温かく親密な雰囲気に。
ますます矢部さんが大好きになりました。
ふと、その正反対のこと思い出してしまった。数年前のコンビニでの一コマ。
レジで、支払いのことについて訊いた、そのお返事が聴き取れない。
「耳が聴こえないので書いてもらえませんか?」とメモを差し出した。それにもかかわらず書かずに口で返答。マスクの中なので、口の動きもわからない。眉一つ動かさず表情も読めない。Yes No も全く分からない。。
「返事したよ」という感じでした。
私はあの状況を、どう理解したら良いのか、未だに分からないでいます。
7/24 に、薬局のことつぶやきましたね。
その薬局、初めの頃はイロイロありました。
母のお薬手帳の表紙に『耳が聴こえず名前を呼ばれても聴こえません』
私のお薬手帳の表紙には『筆談などお願いします』と、それぞれ大きく書いて処方箋と一緒にお渡ししていました。
それでも薬剤師さんは何人もおられて毎回違う方だし、声で名前を呼ばれる。誰も立ち上がらなければ、わたしかな?…と寄ってって「もしかしてmichiでしょうか?」と訊く。
そして、やっぱり説明を口で言われ、「あの、筆談を――」とお願いするんです。
毎月行くたびにそんな感じで互いにモタモタ、スムーズにいかないって感じ…。
それで考えて、お薬手帳の今回使うページに、付箋で「ひと言も聴こえません」など書いた。(付箋なので、すぐページを移動させられる)
そんなことでやっと理解して頂けるようになり、毎回もう、理想的な配慮をしていただけるようになったんです。
書くのは話すよりも時間がかかるので、
予め、私に話すことを裏紙に書き連ねておいて、それから私を手招きなどで呼んでくださるんです。
これは、本当にありがたい 感謝しかないです
NHKの『トリセツ』夕べは難聴がテーマでしたね。
私なんか、もう手遅れだよね…って思いつつ、一応視聴しました。
なんかもう裏付けされてしまった感じ。。
認知症や うつ など、リスクが何倍とか。
‘有毛細胞’の子どもたちの熱演、可愛くて分かりやすかったです。ありがとね~。
以前何かの番組で見たのは、実際の顕微鏡の映像。整然と並んだ有毛細胞は、草原のようで、音が来ると、草が風にそよぐようでした。
数年前に測定した私の聴力は、70~80db台。ハッキリ重度ですね。
そういえば、昔は、葉ずれの音なども聴こえてたよね、って思い出しました。
今は重度用補聴器を両耳につけても、ささやくように「こそこそ…」「ぼそぼそ…」と聴こえたり、それも聴こえなかったり。
語音明瞭度がとても低いので、聴こえても、日本語か英語かフランス語かも分からないような状態。
なので、TVで外国の人が話していると、日本語を覚えて話してるのか、吹き替えなのか、母国語なのか、分からない。内容は字幕で分かるけど。
日常的に人と話をすることが大事、とよく聞きます。耳のためにも、認知症予防などのためにも。 それ分かってるけど、現実ムズカシイ。。
地域のケアセンターでは、サークルがいくつもあるけれど、どれも聴こえなくては難しい。
町内会のカフェ(?)で、自由におしゃべりする集まりに行ってみたことが。 「あ、初めての人だ」というので、2人ほど話しかけてくださり、聴こえないので…と差し出したメモに筆談してくださった。
それは有難かったけれど、私のことを引き出そうとあれこれ聞いてくださり、ニコニコと活気あるひと時ではあったけれど…、申し訳ないけど、あまりもう行きたい感じには……。
‘とにかくワイワイおしゃべりし合いたい’、というのは、私の中には無いようなんですね。
今のままでは、スムーズに認知症になりそうな…。いや、うつ に? 既に傾向はある。。
引きこもりではなく、用事があれば出かけますけど、なるべく家から出たくない、おっくうなのよね…という状態。
自分のこと否定せずに 肯定していくのが 大事だそうですけどね。
数日前に転んだ痛みがまだ、軽くはなった程度で、家の片付けなど進まない。
それで、以前購読した月刊誌を読み返してます。
心療内科医の海原純子さんの記事にチェックがしてあった。
『幸せ度を高めるために』ということで『3:1の法則』
「嫌な気持ちがひとつ浮かんだら、ほっとすることを3つ見つける。
ネガティブな気持ちが生まれたら、無理に否定しなくても、ポジティブなことを3つ見つければいい。 ‘コーヒーがおいしい’ ‘空がきれい’ ‘猫をなでる’ など、小さなことでよいのです」と。
――ああ、そういうのだったら やれるわね、ってチョッピリ安心しました。
思ったこと、そのまんま おしゃべり出来るこの場、この小さなblogがあって良かった――。