michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

ありがとう♡『らんまん』

2023-09-30 05:46:43 | TV

とうとう終わりがきてしまいましたね。‘らんまん’。

毎回、とても楽しみでした。録画しておいて、「今なら見れる」という時にじっくり味あわせてもらいました。

「雑草という草は無い」「名も無い花なんて無い」どんな小さく地味な草花も、その一つ一つを心から愛し、名前をつけ、大切にしたんですね。

 

最後に、万太郎さんが、こちらに向かって「おまん だれじゃー」とほほ笑みながら見つめてくれて、なんか、ドキッとしました。

こんな未熟な自分も、一人の人として大切にしてくれてるような――。

そのまんまで それなりにやってったら良いんだよ、って語りかけてくれてるような――。

 

 

 

次の朝ドラは、雰囲気ガラッと変わるみたいですね。見ようかどうしよか…ってとこ。

 

前に、飛行機のがありましたね。始まった頃、 ‘夢’ ‘飛行機’ ‘皆の熱い想いを受けて挑戦 ! ’ なんて辺りで、わたしとはかけ離れてる感じで やめてしまった。

けどその後は、ずいぶん違う方向に展開してったようで、やっぱり見たら良かったかな、って思ったり。

 

ずっと前に、なかにし礼さんの――、そうそう『てるてる家族』、あれ良かったなぁ~。懐かしい曲が続々流れて。

この耳には かすかに ぼんやりとしか聴こえなくて、聴いててもメロディも思い出せなかった曲もあったけど、その曲の雰囲気だけは想い出したりして、しみじみと浸ってましたね。

 

 

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長生き=おめでたい…?

2023-09-29 12:10:03 | つぶやき

(朝、書いたものの、なんか…って感じで気になって、

ちょっと手を加えたりしました。)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

以前(10年以上前)お参りした神社に、こんな可愛いのが。 ↓

まったく共感。おんなじ願いです。

 

 

『敬老の日(今年は9/18)』『老人の日(9/15)』ということで、お祝いが続々。 母は 今年度100歳になる、ということで。

とても有り難い。ありがたいんだけど、当人は「エッ、わたし100才!?」と、少々戸惑い気味の様子。

表彰状や 高価な飾り物など、ピンとこないらしい。

お花や、美味しいものは、とても喜んでたけど。

 

「今年度100歳になる」なんて説明したって、わからない。

それに、‘長生き’ が どうして ‘おめでたい’ のか 分からないということらしい。

 

ちょっと前から、よく周りの方が「100歳までがんばりましょうね~」なんて言ってくださる。本人は、ちょっと微妙な表情で「そうねぇ」。 実は私も、そういうのって よくわからないんです。がんばって長く生きるの?

母は前に「長生きしたって、、別に…」と言ったことがある。

生きていて、今こうして生活していて、辛いとか、そういうのは無い筈。(たぶん)

自分のやれることは、進んで自分から出来るだけやろうとする。

暮らしの中の ささやかなプチハッピーは、折々に感じている様子。

けど、‘長生き=長寿‘ ……そうなのかなぁ?と考えてみました。

 

よく母の妹(80代、90代)からの手紙で「姉さんのように いつまでも元気でおられるように がんばります」なんて言われます。

目標の一つのような?

 

目標といえば、祖母は享年101歳でした。母はよく「わたしのお母さんは(数えで)102歳まで元気だった」と言ってます。

祖母は晩年、寝たきりでしたが、‘気’はシャンとしてました。お見舞いに来た叔母のためにリンゴを剥いたりしていたそうです。いそいそと。 自分は食べられないけど。

市長さんが自筆の色紙を持って 100歳のお祝いに来てくださった時には、丁寧にお礼を伝えた。市長さんが帰られると、色紙を眺めて「字ぃが曲がっとぉ !」と言ったそうです。

叔父や叔母は「市長さんも、明治女には かなわんなぁ~」と笑ったとか♪

 

そういうのを思い出すと、う~ん、なんか良いよねー、って思うんですけどね。

 

「〇〇歳、おめでとう」「100歳までがんばりましょうね」とか言ってもらったら、

「ありがとうございます そうですね~」と素直に、その温かいお気持ちを受け取ったら良いんじゃない?って思えて来ました。

 

 

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気にし過ぎ? 聴こえなくったって?

2023-09-16 06:04:12 | 聴こえ

ずいぶん間が空いてしまいました。

日々、あれこれイロイロあって…。

今日は、自分の日記をつけたい――ちょっと つぶやきながら心の中を整理したい感じかな。

 

 

母の介護認定の更新時期。役所から認定の方が見える。(もちろん筆談をお願いする)

その場にケアマネさんが「私も同席しましょうか?」と。

ちょっと考えて、こうお答えした。

「あの、、人が増えると、どうしても聴こえる方同士で話して、私は聴こえなくて分からないという状況に。そういうことが多いんですよね。。」

それで、ケアマネさんは同席しないことになった。

このこと、これで良かったのかな…とチョット気になってる。

私は聴こえないことを気にしすぎるのかな、って。

 

ふつうのおしゃべりなら、他の人がペラペラ話してても「楽しそうねぇ♪」って感じなんだけど、
福祉関係の話し合いの場では、
「何の話かしら? なんてことない話なら良いけど。。
毎日介護するのは、私な訳で。
私、聴こえないけど良いのでしょうか?って、そんな風に訊いた方が良いかな……」
とあれこれ考えてしまうことが、これまで何度か。

これまで、そういうことが何度もあって、心がゴチャゴチャした。

 なので、この先もきっと、と思ってしまう。

けど、過去は過去。今後のことは、わからない。 そう認識してる。認識してるつもりだけど、、過去の数々が忘れられなくて、積み重なってしまってる。

 

          

NHKの『パパとしずかちゃん』、すっごく良かった。

町の人たちとの話し合いで、パパ(聴こえない)が町の人たちと話し合う様子は、通訳が居なくても、互いに気持ちがあれば通じ合える。そんなことをあの番組では言いたかったのでしょう。

 う、うんー、、

ま、パパとは違って私は喋ることは出来るとか、状況は違うけど

  あんな風には出来ないナ、わたしは。

 

        

聴こえなくてもナントカなった経験も多々ある。

また、「なんとなく、こういうようなことかな…」程度に分かってそれなりの反応を示し、その場はそれなりに収まった。ということも数知れない。

けど「あんな感じで良かったんだろうか…」と、チョット後に残ることも。

 

こんなこと書いたり考えたりしてると、生活していくことが しんどくなりがち。 生活するというのは、この社会の中で、人と触れ合ってやってくことだから。

人によっては「細かいこと、気~にしない~♪」とサバサバとやれちゃうみたいね。

 はぁ、、この話、どう締めたら良いのかな。。

 

 

 

 

 

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