きのう、‘夢が無い’という言葉が浮かんで、続いて昔の歌が頭の中を流れてきました。
‘夢のないあなたに この歌を届けよう
愛することの喜びを知る
きのう、‘夢が無い’という言葉が浮かんで、続いて昔の歌が頭の中を流れてきました。
‘夢のないあなたに この歌を届けよう
愛することの喜びを知る
今回の朝ドラ。‘夢を追って’ とか ‘飛行機’とか、私にはあまりピンとこないまま、
一応 見続けてる。
話は展開してきて、――あんまり言わない方が良いですかね、とにかく主人公の心が美しすぎて――。
どこか遠い話のような…。
もう観るのやめようかナ。
夢が無い。こんな自分って、どうなのかしら。
もうトシだし、とは言いたくないし。
それって、言い訳でしょ。
現状、介護生活でドタバタの日々だし。
と言うのもどうかと思うけど。
以前から 願うことといったら、
何事も無く 心穏やかに過ごせるような、恙ない生活。
こんなことで良いのかい。
こんな自分もそれなりに認めてあげて、
ひとまず、マルにしても良いのかな…。
母の人生の締めくくり(?)の時期。
少しでも心安らかに過ごせるよう、
自分にもできるようなお世話をさせてもらってる。
そんな、
貴重な日々、とも思うけど。
ニュースなど見ていると、気がふさいできたりするので、
『ホッとひと息 明るいニュース』というサイトも見ています。
そんな中で、オッと目を引く情報が。(最後の部分です↓)
*** *** ***
「夫の死後に、知られざる本性や裏切りを知ってしまったら、許せない気持ちが芽生えて当然です。しかも、相手が亡くなっているので、責めることすらできないのですから、やり場がない。気持ちは未解決なまま放置していると、何度も思い出して忘れられなくなります。これを“ツァイガルニク効果”といいます」
とは、精神科医の樺沢紫苑さんだ。人間は解決した事柄よりも、途中で挫折したり中断した事柄の方が記憶に残ってしまうのだという。この記憶にとらわれてしまうと、うつにもなりかねない。
「こういったケースでは、夫宛てに手紙を書くのがおすすめ。最初は恨みつらみ、悪口で構いません。でも最後は必ず、夫のいいところや楽しい思い出を書き出し、“ありがとう”という感謝の言葉で締めくくります。心に思っていなくても構いません。とにかく、夫のためではなく、自分のためだと思ってポジティブなことを文字にするのです。このアウトプットにより、気持ちは整理され、落ちついていくはずです」(樺沢さん)
過去と他人は変えられない。自分の心は自分の力で癒し、前向きに歩んでいこう。
私の場合は、こういうことは無いけれど、
ちょっとモヤモヤしてることが。
うんと応用して参考にさせてもらいましょう。
人の暮らしって、日常的に なんだかんだ あって、
モヤモヤしたりして、
健気になんとか 自分を癒したり 一応 立ち直ったりして――。
そんなことの繰り返し なのかな。。
ちらほらと、ハロウィンの話題が聞かれるようになりましたね。
こういうのに夢中になっちゃう。とにかく大好き という方々には申し訳ないのですが、私はあんまり…。古い人間だからなのでしょう、「あれって元々外国の風習が、ずい分変わってきちゃったでしょ」という気分。
かぼちゃのイラストなんかも、ユーモラスというか、楽しい感じのなら好きですけど。
子どもたちが数人で それぞれ好きな扮装をして近所の家々を回り、お菓子をもらってお互いニッコリ、なんてのは
ほのぼのしてて良いな、って思いますけどね。
この時ばかりは「わたし、お姫様よ~」なんて、ひらひらのついたピンクのドレスを着たりしてね。
仲本工事さんが交通事故…。
同じ横浜市内だそうで、驚きました。
早く回復されますよう。
当時の詳しい状況は分かりませんが
そこは横断禁止の場所にもかかわらず、そういう事故がたびたび起きていたとか。
また、その車を運転していたのも高齢者だったそうで――。
まったく別の話です。
7~8年前くらいまで、母は横断歩道では無いところを、小走りで手をあげて渡っていました。
ちょっと離れた場所には押しボタン式信号があるのですが、信号が変わるのに、とても時間がかかるからと。
当時すでに80~90代。危ないからやめて!と言っても聞きませんでした。
本人はそれほど危なっかしいとは 感じなかったのでしょう。いつまでも若い時のままのように思っていたようです。
こういうようなことって、誰にもあるようで、私も気をつけなくちゃ、って思いました。
朝ドラ『舞いあがれ』の舞ちゃん、
自分の気持ちをちゃんーと言えるようになった。とっても大事なことですね。
見違えるように元気になって大阪に戻り
ギュッと抱きしめたお父さんの腕が、なんと健康的で逞しいこと! そこに目が釘付けになっちゃった!
高橋克典さん、以前から好感もってたんですが、ますます~
こちらは お熱があがりそうです。
――心と体って、ホント直結してるんですね。
これはドラマですが、身近にそういう例は いくつも。
中学生の時のことですが(はるか昔、大昔ですねぇ)、
いつもは朝食を食べて登校するのに、その日は時間が無くて食べてなかった。
朝礼。校庭で整列して立ったまま校長先生の話。
「長いなぁ…」と思ってるうちに、なんだか目の前の周りから暗くなってきて、視野がどんどん狭くなってきた。
「え?あれれ??」と思ってるうちに、なんとなく倒れそうに。
と、校長の話が終わってきた。
「ああ、良かった。助かった」と安心すると、暗くなってたのはスーッと開けてきたのです。
貧血で倒れる寸前だったようですね。
心と体の密接な関係を実感したことでした。
ったく、一喜一憂の日々です。
介護食のレトルト、信頼しているメーカーのがなかなか入手できずにいたのが、通販でなら買えることが分かり、注文するとすぐに届いた。
13種類のセットを2セット。(若い方は「ゲットした」と表現するんでしょうね。)
これだけあれば、ちょっと安心。
( ‘ 安心 ’ っていうのも、大事なことですよね。心のゆとり。)
いい感じでいたんだけど、別のことで…。
気を入れて用意したのに…。
も、ガッカリを通り越して、一時は何をする気力も絞り出せなかった。
けど、そうも言ってられないので、必要なことだけは頑張ってる。
広告やそういう説明って、良いことばかり言ってると心得ている。つもり。
それでも――。あまりの違いに愕然。。
だいたい そういうものかしら。。
あの人は、うまくやれてると 自己満足してるのかなぁ。
自分が仕事するなら、微力でも誠意をもって、できれば三方良しを志してやっていきたい。それでこそ 自分の心も充実すると思いますけどね。
誰からも、「良い仕事してますね」と言われた方が良いんじゃない?
って、、
今の現実、まずは自分の心を立て直し、仕切り直ししなきゃね。
母の食事に苦労(?)してます。
いつも、これなら という介護食を用意するけど、ダメなものが よくあるんです。
舌の先にチョット <固形物っぽい>ようなものを感じると、口から出してくる。
意外と食べるものもあるし、
ミキサー食のものばかりでは食欲わかないらしい。
ということで、あれこれ試行錯誤してます。
あるサイトで とても食べやすそうな介護食のレシピを紹介していて、
1ページ目を読み終えて、2ページ目に移ろうとすると、
「これ以降は有料」と出てきて、
「1ヶ月お試しは、ここ」と添えてある。
お試し以降はいくらかかるのか、調べても調べても出てこない。
こういうのは「もう、いいわよ」となるんです。なんか、イマイチ…。
私の主観のモンダイでしょうけど。
ちょっと前のこと。あるサプリの話。
『おめでとうございます!あなたに特別にひと月分お試しセットを無料で☆』
というのが来た。
無料ならと届けてもらったけど、ひと月飲んでも効果は感じられない。
それで断ったけど、その後しつこく何度もDMが。
こういうのも気分が悪くて、そのメーカーのは全て敬遠するようになっちゃいました。
そして、そういう類いのものは警戒するようになりました。
逆効果ですよ、少なくとも私みたいな者(もん)には。
「負の感情がお腹の中で増幅しちゃうの…」
10月になりましたね。三重県にいた頃、町へ出る途中に、こんなコスモス畑があって、いつも原チャリを停め、しばし眺めてましたね。 ↓. 最近のTV番組か......
↑一年前の今日、こんなことつぶやいたそうです。忘れてました。
その続き。今年は――。
母はデイサービスで、他の利用者さんのことを、自分の妹だと思ってしまったらしい、と連絡帳にありました。
う…、いよいよ そういう段階に…、
って思った。 けど、
別の観方をすると――。
この頃、デイにずい分馴染んできている。
他の皆さんと親しくなって、ふと妹のように見えてしまったのかも。
私の希望としても、そんなことであったら良いんだけど、って思います。