↑ 2013/08/23 撮影…桃林軒
処暑を迎えた日、都留市の谷村に伺いました。
十年一昔と言いますが、町の様子は変わり、
大きな公共の建物が目に付きました。
その一つの「ふるさと会館」の南側に
「芭蕉寓居桃林軒」がありました。
芭蕉が5ヶ月間逗留した離れを再建したものという桃林軒は、
山を背に静かな佇まいを見せていました。
手入れの行き届いた庭に立つと、
降るような蝉の声に、紫色の木槿(むくげ)が咲き、
石碑には、
「夏馬の遅行我を繪に看る心哉 芭蕉」
「変手ぬるく滝凋ム滝 麋塒」
と刻んでありました。
天和2年(1682)暮れの大火で江戸深川の庵を焼け出された芭蕉は、
翌3年正月に谷村藩主・秋元家の国家老で松尾芭蕉の弟子であった
高山伝衛門(俳号・麋塒)の招きで谷村(現都留市)に来峡し、
高山家の離れ『桃林軒』に5ヶ月間逗留しました。
谷村での生活は、不惑の年を迎えた芭蕉に大きな心境の変化を与え、
蕉風俳諧を開眼したといわれています。
従って、ここ谷村は蕉風俳諧源流の地ともいえます。
( 芭蕉翁寓居『桃林軒』再建委員会より )
平成16年に竣工いたしました。
その後、都留市に寄贈され、茶道・俳句をはじめとする
生涯学習活動やコミュニケーションの場として活用されております。
( やまなしまなびネットより )
2013/08/13 撮影
〃 〃
・ ・
・ ・