minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

同窓会のトラウマ?

2005年09月30日 | 家族の日常
 今日、中学校の説明会があった。なんと、生活指導の先生が利樹の同級生だった。また、先日も息子の野球の練習に近くの中学校へ行った。来年から息子も中学生の仲間入りなんだな、と思うと周りの中学生たちがやたらと気になる。(遼介は最近声変わりも始まったようで、ぼそぼそと低い声でしゃべる。やだなあ、ひげとか生えてきたら・・・。)
それにしても、この頃中学生を見ると、「ああ、この子たちも30年経ったら・・・・」とつい想像してしまうようになってしまった。これは同窓会のトラウマかもしれない。

 つい最近中学の同窓会が開かれた。30年ぶりに会う人が殆どで、居酒屋に入ったとたん「このおじさんたちの集団は何?」と思ってしまったのだが「おう、早坂!」と呼ばれてはっと気づいた。これが現実なんだ。私の記憶は中学生のままで止まってしまっていたのに、タイムカプセルにのっていきなり未来へ来てしまったようだった。
 特に憧れの的だった男子がいたのだが、その人が来ていると知って胸が高鳴った。と、ところが・・・・。
 当時は口もろくに聞けないくらい輝いている存在だったのが、今や頭が輝いて、鶴瓶によく似た、人のよさそうな好々爺って感じ。どこからどう見ても昔の面影がなくて・・・。私は思わず彼に向かって「私の青春を返して!」と口走ってしまった。ごめんねA君。でもとってもショックだったのよね~。
 その日以来、中学生たちを見ては「この子はきっと・・・」なんてはげてデブになった姿を想像する悪い癖がついてしまっている。しかし自分の事を棚に上げてよく言うよ、と誰かに突っ込まれそう・・・。

ふくろ祭り

2005年09月26日 | 家族の日常
 池袋の最大のイベント(?)ふくろ祭りが終わった。これが終わると一気に秋。急に街中が淋しくなる。
 下町生まれの旦那や旦那の妹たちはお祭りの一ヶ月くらい前からなんとなくソワソワ。私も嫁に来たときは一緒に浮かれ騒いだけれど、子供が生まれてからはだんだん面倒くさくなって「ああ、またお祭りの季節ね...」雨ばかり降るお祭りに憂鬱になってくる。それとは反比例に、遼介は大きくなるにつれ、祭り好きの妹たちの影響もあって、御神輿を友達と担ぎにいったり、雨でも鉄砲玉のように出て行ったきり、夕方まで帰ってきやしない。

 今年も台風がきていたのだが、それでも彼は友人たちを誘って神輿をかつぎ、銭湯に入って友人のおでんやさんでご馳走になってにこにこ帰ってきた。一番風呂に入って楽しかったよ~、だって。翌日は雨もどこかに行ってしまって、晴天で大人神輿につきあって宴会(打ち上げ)から戻って来たのは9時過ぎ。今日だけは特別ね。こうやって江戸っ子?の文化が受け継がれていくのだな。

喘息、関節炎、これって...

2005年09月25日 | 家族の日常
 季節の変わり目だからか、最近本当に喘息がひどく、体調が悪い。朝の5時半くらいに必ず咳がでてきて発作が起きて、そこから2時間くらいは眠れない。息子の学校へ行く時間だから朝早く起きれるのはいいのだが、喘息があんまりひどくなると「このまま死ぬんでは?」と思ってしまう。なんとかいいお医者様かお薬があればいいのだが...。
 指の方もテーピングしないと演奏できない状態。こんなに体がボロボロになるってやはりこれは更年期障害ってやつ?あんまり深刻に考えず、前を向いていかなくちゃ。ぐすん。

秋の夜長はフジコ・ヘミング

2005年09月22日 | ライブとミュージシャンたち
 世界的なピアニスト、フジコ・ヘミングの展覧会に母と義母が行ってきた。おみやげに、と彼女の室内楽と一緒に演奏しているCDを貸してもらった。秋の夜長にクラシックの室内楽を聴くなんて・・・。しかも、鱒、チゴイネルワイゼン、月の光と小学校の音楽鑑賞会で聴いた名曲ばかり。おでんを食べながらちょっと贅沢な気分に浸る。
 それにしても、彼女のピアノはどうしてこんなに切なく、どきどきするのだろう。自分のピアノに対する憧れ、郷愁のようなものが沸々と沸いてくる。ショパンが弾きたくて一生懸命練習していた、あの高校生の頃が蘇る。

 6年前になるのかな?私が原田芳雄さんのコンサートでフジコさんと競演させて頂いたのは。あのとき、突然ゲストでいらっしゃる事になり、しかも下北沢の小さな手作りの映画館のステージでエレピしかなかったのだが「私、こんなピアノ弾いたことないよオ~」とにこにこ笑いながら芳雄さんの歌の伴奏をしたのだった。曲はサマータイム。リハーサルのときにキーがあわずに困っていた原田さんを見て、思わず私が「フジコさん、この曲はDmで演奏していただけますか?」と代わりに伝えた。よほど芳雄さんは緊張していたのだろう。
 さて、本番を待つステージ横でフジコさんは「ゲーモール(Gm)じゃなかったよね?」と近くにいるスタッフに尋ねた。みんな一斉に????私が気がついて「あ、デーモール(Dm)です。」と言ったのだけど、誰もドイツ語のコードの言い方なんて知らないよ~。とにかく、原田さんと私とフジコさんのトリオ演奏は無事に成功したのでした。(とってもフリーっぽい演奏でしたけど!)

親子三代

2005年09月20日 | 家族の日常
 息子の野球チームが9月から中学生たちの仲間入りし、合同練習が始まった。幼年チーム、少年チーム、を経てついに最後の段階になった訳だ。小学1年の終わりから始めたのだが、ずーっとキャッチャーがやりたいよ~、と言っても監督やコーチたちの相手にしてもらえず、あとから入ってくる友達たちにどんどんといいポジションはとられ、プライドが人一倍高い遼介にとっては屈辱の連続だったと思う。
 何度も「もう辞めたい!」と言い、その度になだめすかしてやらせてきた。ポジションも幼年ではライトで8番、少年ではファーストで6番。動きも緩慢で足も私に似て遅いから仕方ないよ、と思っていたら中学チームに入ったら「やりたいポジションは?」と聞かれオーデションテストがあって、念願のキャッチャーをやらせてもらえる事になったのだ。
 長い練習時間にも耐え、生き生きとキャッチャーマスクをかぶる息子の姿を見た私は、ちょっと感無量・・・親ばかだけど。よかったね、好きなポジションができて。利樹も少年野球の頃、キャッチャーだったそうだ。昨日初めて知ったのだが、利樹の父(遼介が1歳のときに他界)も実はキャッチャーをやっていたそうだ。血は争えない。

マルと私とエリック・ドルフィー

2005年09月18日 | ライブとミュージシャンたち
 ロリンズのチケットが入手できない。もうこれが最後、という新聞記事が載ったらしいが、そのせいかどこのコンサートチケットも即完売。追加公演のチケットを買おうと私の母が朝から予約電話をしたらしいが、やはり買えなかったそうだ。一度死ぬまでに生音を身近に聴きたいと思うのは誰も同じだ。ジャズの巨人たちがどんどんいなくなっていくのは本当に寂しいもの。ロリンズだけは元気にいつまでも吹き続けてほしいけど。
 ジャズの巨匠と言えば、今から10年近く前になるが新宿DUGでマル・ウォルドロンpと競演させてもらえる機会を得た。メンバーは私、マル、吉野弘志b、本田珠也drという顔ぶれ。3連夜、フロントが変わってマルと演奏するという企画であったと思う。どんな曲をやればよいのやら、不安な私は前日に偵察に行く事に。その日は梅津和時as氏がフロントだったが、私の知らないようなスタンダードばかり・・・梅津さんも「いやあ、今日きたら、この曲やるよ、ってリストを渡されて・・・まいったまいった(苦笑)。」と冷や汗を流しながら熱演していた。演奏終了後に「明日演奏させてもらう、早坂です。よろしくお願いします。でもスタンダードはあまり知らないのですが、どんな曲をやりますか?」とマルにご挨拶をして、恐る恐る尋ねるとニコニコと仏様のように笑って「あなたの好きな曲をやりましょう。」「え~、じゃあ私のオリジナルとかでもいいんですかあ?」「もちろん、OK。」このやさしいお言葉で一気に救われた私は図々しくオリジナルもやって頂く事になりました。女は得です、ハイ。

 さて、当日。マルは昨日と同じように紳士でとても優しかった。持って行った曲はO.Colemanやチャーリー・ヘイデンのバラッドなど。そうしたら、一言「なんだ、みんなスタンダードじゃないか。」そうか、これもスタンダードなんだ!と目からうろこ。「で、サチのオリジナルは?」私が自分のオリジナルの中でもこれならマルに演奏して頂けるだろう、と思った曲は「YELLOW MONK」だった。この曲はT.MONKに捧げた曲でブルースがテーマになり、後半は猛スピードでフリーになる、という曲。しかもこのラストの早いフリーの部分をマルに演奏してもらいたかったのだ。その時すでにマルは70歳を超していたと思うのだが、やはりひとつひとつの音に心を込めるような弾き方で、早いフレーズなどは殆ど弾かなかったのだが、この曲をやった時だけ、マルは嫌な顔ひとつせず、私の曲をスピード感もおちる事なく、完璧にプレイしてくれた。(あとでこの話をほかから聞いた山下洋輔氏に「あのマル様にそんな無茶な事を!」とお叱りを受けました・・・)

 リハーサルの合間もずっと私の質問に応えてくれたマル。「どこに今住んでいるんですか?」「今は家族とベルギーに住んでいるんだよ。でもうちにはピアノがないんだ。」「え~?じゃあ練習は?」「しないよ。」「あはは、じゃ私と一緒ですねえ!」と調子にのって相づちをうってしまった私。『よかった、私と一緒で練習嫌いなのね』なんて笑っていた・・・なんと恐ろしい。マルは『サチは練習嫌いのサックス吹き」という印象をしっかりインプットしてしまったようだ(事実ですが)。

 さて、アンコールで「Left Alone」を珍しく演奏したマル。日本に来るたびに毎回リクエストされるのでマルはこの曲を演奏したがらなかったと言うが、この日はよほど気分が良かったのかもしれない。
「エリック・ドルフィーってどんな人だったんですか?」と演奏後に聞いた私にマルは一言、「サチと違って、練習が大好きで、暇さえあればどこでもサックスを吹いていたよ(笑)。」巨匠、すみませ~~ん(冷汗)!マル様は今頃天国でドルフィーと一緒に楽しく演奏しているんだろうな・・・このあと、練習を急にしたために腱鞘炎になってしまった私って一体・・・?

ヌーブラよりノーブラ?

2005年09月18日 | ライブとミュージシャンたち
 ちょうど、去年の今頃だったかなあ。金大煥peの追悼コンサートがFM東京ホールで開催された。フリー好きの人にはたまらない、金さんにまつわる超豪華アーティストたちが集い、金さんの思い出などを語り即興演奏をする、という企画。私の入るユニットは佐藤通弘(津軽三味線)、八木美千依(琴)、大友英友(ターンテーブル)というメンバーだった。

 私はもともとアトピー体質なもんで、ブラジャーというものをほとんどつけない。でも、ちょっと大きなコンサートは別だ。年に2、3回は装着する事もある。当時大流行のヌーブラを私も買ってみた。とにかく後ろでホックというのも嫌だったから、うってつけのブラがでたわ、とちょっと高いのを我慢して買ってみたのだった。

 本番スタート。といっても、即興なので誰から始まって誰と誰が音を出し合う、というような事をざっと楽屋で打ち合わせしただけだが、私がソロで2本吹きしているまさにそのとき、バリバリ・・・といういやな感触。そう、汗でヌーブラが私の胸から剥がれ落ちて行くのがわかった・・・。ああ、こんな時に。しかもソロだから私に観客の目が集中してる・・・どうしよう。こんな状態で自分の演奏に集中できるわけがない。右手で落ちていくヌーブラを押さえつつ、アルトとソプラノを抱え、なんて格好で演奏してるんじゃ、ああ、誰か助けて・・・。と思っていると八木さんが琴でからんできてくれた。よかった。演奏もそこそこにサックスを置き、ステージから消える訳にもいかず、ステージの一番後ろまで行き、誰も観てませんように。と祈りつつ剥がれたヌーブラをお腹からはずし(そうお腹にずり落ちてたの)照明の脇にヌーブラをささっと置いて、またマイクの前に戻りなにもなかった風を装ってサックスを吹き出した。スタッフにも見られていたに違いない。ああ、二度とヌーブラは使うまい。これからはノーブラでもいいや。と心の中で誓った私。女性のみなさんもヌーブラには気をつけて。

秋とさんまと愛しのエリス

2005年09月15日 | 音楽&CD
 急に秋になった。さんま、栗ごはん、松茸のホイル焼きにあさりのお味噌汁。我が家の晩ご飯も秋だ。夏は考えるのも作るのも面倒臭く、焼き肉、ミートソース、カレー、豚の生姜焼き、とんかつ、のローテーションでなんとかごまかしていたが、やっと食事を作る意欲が湧いてくる季節になったぞ。といいつつ、また豚鍋、すきやき、もつ鍋、焼き肉、シチューのローテーションになっていくのかなあ・・・・。ああ、主婦は大変。
 芸術の秋でもありますので、私の大好きなエリス・レジーナの話に突然変わります。彼女の声にはまってしまったのは、大学4年の終わり頃だったような。3年の頃にライブ・アンダー・ザ・スカイで来日、その何ヶ月後かに薬のせいで天国へと旅立ってしまった。彼女の生は観れなかったけれど、そのラストのライブはすぐにラジオで放送されたので、テープに録音して、擦り切れるほど聞いた。アンコールのポンタジアレイアのラストで、「サヨナラ~」って去って行くエリスを想像しながら、何度も涙したもんです。笑って泣いてそのまま歌になってしまう歌手は、エリス以外に知らない。魂をゆさぶる声、はじけとびそうなリズム感。エリスおたくでもある、前田優子voさんに貸してもらったエリスのビデオの数々で20年たってようやく彼女の動いているものを観る事ができたのだ。それはもう、想像以上のエネルギー溢れるダンス、歌。凄い凄い凄い。やはり彼女は人の一生分を36年で駆け抜けてしまったんだな。とにかくモントルーのライブ盤は必聴。この時のDVDはもっともっと必見。全身を使って歌うエリスに感動間違いなし!
 

お勧めの映画を!

2005年09月13日 | 映画、本、芝居関係
 なかなか映画館で映画を見に行く時間がない。私の母なんぞ、年に100本は観てるよ~、とシルバーチケットを大活用していばっているのに・・・。そんな私が昨年の夏に2度も同じ映画を観に行った映画、それは「Deep Blue」。今年、DVDで出たのでよっぽど買っちゃおうかと迷って未だに買っていない。やっぱ海の映画は大迫力画面で見たいよね~。もともと海関係の映画は大好きで、妊娠中にリュック・ベッソンの「アトランティス」というドキュメント映画を観に行った。胎教によさそうだったし。ただ、あの映画の音楽が今イチだったのでそれだけがっかりだったけど。
 年に2,3度しか映画館に通えない私は、利樹がVideo屋さんで借りてきた映画を小さいテレビで一緒に観るのが楽しみの一つ。私の趣味は笑いあり涙あり映画(って寅さんか?)。利樹の趣味は主に日本映画(特に勝新関係)だけど。私が好きそうな映画も何本か借りて来てくれるので、結構面白い映画にあたる事が多い。
 私の数少ない映画鑑賞の中から、今思い出すと‥‥
「Vengo」(トニー・ガトリフ監督)は音楽部門賞をあげたい。冒頭の場面は30回は観ました。
「School of Rock」(JBが子供達にRockを教え込む映画)も音楽賞と主演男優賞。すご~く面白い。あんな学校あったらいいなあ。ドキュメントでびっくり感動大賞をあげるのは、「Deep Blue」ですね。映画音楽に音を初めてつけた、ベルリンフィル。映像とぴったし!「真夏の夜のジャズ」はジャズ好きには・・・もはや書く事ありませんね。「子供たちをよろしく」シアトルのストリートチルドレンを録ったもの。ラストの曲がトム・ウエイツ。
「赤い靴と金魚」(これはドキュメントではないけど)
「風の丘を超えて」韓国、パンソリの親子、姉弟の話。これも、映画館でみたけど、涙が止まらずしばらく動けませんでした。
ってやっぱ、音楽に関係したものばかりだわ。もうこうなったら、音楽関係映画の話に集中しよう。
 なんだかんだ言って、きっと、自分の原点は「サウンド・オブ・ミュージック」だと思う。「ウエストサイド物語」とか「シャレード」とかも親に連れて行かれて気がついたら映画音楽ファンにもなっていたっけ。いい映画ってやはり音楽も切り離せない。当たり前だけど。
 最近の面白いお勧め映画があったらぜひ私に教えてくださ~~~い。これからの秋の夜長、感動する映画を!

池袋ジャズフェスティバル

2005年09月11日 | ライブとミュージシャンたち
 池袋という町は本当にDeepな町だ。結婚して15年池袋に住んで来たのだが、住めば住むほど不思議な魅力いっぱいの町だ。<池袋ジャズフェスティバル>ができたというのを去年初めて知り「なんで、私たちが呼ばれないのかなあ?」と思っていていたらようやく今年声をかけて頂いた。大変有り難い。こういう場所で演奏できるお陰で近所の方々まで、聴きにきてくれる。あ、おでんやさん、あ、駒のやさん、息子のPTAの関係に担任の先生。知った顔の中で演奏するのはちょっと恥ずかしいものがあるのだが、こういう時でもないとなかなか聴いてもらえないもんね。ワガン、アブドゥ、テテの繰り出す強力なリズムに新加入の新澤君も楽しそうに応えてくれ、あっと言う間のステージだった。もともと、私たちのやっている音楽は難しい事とか考えず、体で聴いてもらいたい音楽だから、子供がステージに駆け寄ってきて踊り出したり、演奏が終わってから浮浪者のおじさんたちが「あんたは世界一だね。」とか「サンバってアフリカ人とやってどうなの?」なんてマニアックな質問までされるのは本当にびっくり&嬉しい事だ。「アフリカがサンバやラテンの原点なんです。だからアフリカの人たちと一緒に演奏する事は大切な意味があるんです!」おじさんは納得したようににこにことうなずきながら帰っていきました。恐るべし、池袋。愛すべし、池袋、また来年もできるといいな。