我が家は今、226でいただいたお花でいっぱいだ。まだまだ226の余韻が収まらない中、プレゼントを下さった方々一人一人にお礼状を書きたかったのですが、誰から戴いたかわからないものも多く、この場をお借りしてお礼をさせて頂きます。本当にありがとうございました。
さて、プレゼントの一つに一冊の本がありました。これが白石康次郎の「7つの海を越えて」というタイトル。ああ、なんて懐かしい名前。コージローとはもう10年以上前に一緒にヨットで遊んだ(いや、彼は一生懸命働いていた?)仲なのだ。オケラ号の多田さんの話は別の場所(「NY物語」スターラップ新聞)で書かせていただいたが、その多田さんの弟子という形でずっと多田さんのお手伝いをしていた青年コージロー。多田さんがBOC世界一周単独ヨットレースに再度挑戦する事になって、みんなでニューポートまで見送りに行ったときも、ずーっと献身的に多田さんの片腕として働いていたコージロー君。いつも笑顔で愚痴ひとつこぼさず、多田さんの自由奔放な人柄に憧れ人生の師匠として仰いでいたのだ。その多田さんがレース半ばにしてオーストラリアで棄権する事になったときも私のところに「多田さんがレースを棄権する事になりました。」という連絡をオーストラリアから電話してくれたのもコージローだった。その後、突然の多田さんの訃報を他から聞く事になったのだがそれ以来コージローとも会う機会を失ってしまった・・・。
何年かして「最年少単独世界一周」をやり遂げたというのを新聞で知り、TVの番組などでコージローが相変わらず元気そうに活躍をしているの知って喜んでいた。キラキラと光る大きな目に精悍な体つきであどけなさも残るコージローの姿を思い出しながら読み進んでいくと、私たちが多田さんと過ごしたあの素敵な日々の事も書かれていたのだ。ニューポートでみんなで楽しく過ごした日々。ニューポートジャズフェスティバルに出演を断られた多田さんは自分のヨットの上で私たちと演奏会を始め、ヨット仲間たちの観客が拍手喝采!「こっちが本当のニューポートジャズ祭ですね。」と言いながらブルーモンクを吹き出したあの演奏の数々を走馬灯のように思い出し、涙が溢れてとまらなくなってしまった。
多田さんから戴いた幸せな瞬間はコージローや私たちの胸の中にいつまでもいつまでも刻み込まれているのだ。その思い出を大事にしながら確実に自分の力で歩み出しているコージロー君。「永田さん、紗知さん、俺に彼女ができたら2人でライブハウスに行きますから、そのときは「my one and only love」を演奏してくださいよ~。」この約束はまだ果たしていないけど、いつか顔出してほしいなあ。
多田さんの書いた「オケラ5世優勝す」という本がもとで私もコージローも多田さんと出会い冒険が始まった。コージロー君の本を下さった友人がぜひ「オケラ~」を読みたいと本屋で探したところ、すでに絶版になっていて販売していないそうだ。古本でもいいので貸してもらえないでしょうか、と言われたのだが我が家でもちょっと今見当たらない。どなたかお持ちの方で貸してあげられる方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。
さて、プレゼントの一つに一冊の本がありました。これが白石康次郎の「7つの海を越えて」というタイトル。ああ、なんて懐かしい名前。コージローとはもう10年以上前に一緒にヨットで遊んだ(いや、彼は一生懸命働いていた?)仲なのだ。オケラ号の多田さんの話は別の場所(「NY物語」スターラップ新聞)で書かせていただいたが、その多田さんの弟子という形でずっと多田さんのお手伝いをしていた青年コージロー。多田さんがBOC世界一周単独ヨットレースに再度挑戦する事になって、みんなでニューポートまで見送りに行ったときも、ずーっと献身的に多田さんの片腕として働いていたコージロー君。いつも笑顔で愚痴ひとつこぼさず、多田さんの自由奔放な人柄に憧れ人生の師匠として仰いでいたのだ。その多田さんがレース半ばにしてオーストラリアで棄権する事になったときも私のところに「多田さんがレースを棄権する事になりました。」という連絡をオーストラリアから電話してくれたのもコージローだった。その後、突然の多田さんの訃報を他から聞く事になったのだがそれ以来コージローとも会う機会を失ってしまった・・・。
何年かして「最年少単独世界一周」をやり遂げたというのを新聞で知り、TVの番組などでコージローが相変わらず元気そうに活躍をしているの知って喜んでいた。キラキラと光る大きな目に精悍な体つきであどけなさも残るコージローの姿を思い出しながら読み進んでいくと、私たちが多田さんと過ごしたあの素敵な日々の事も書かれていたのだ。ニューポートでみんなで楽しく過ごした日々。ニューポートジャズフェスティバルに出演を断られた多田さんは自分のヨットの上で私たちと演奏会を始め、ヨット仲間たちの観客が拍手喝采!「こっちが本当のニューポートジャズ祭ですね。」と言いながらブルーモンクを吹き出したあの演奏の数々を走馬灯のように思い出し、涙が溢れてとまらなくなってしまった。
多田さんから戴いた幸せな瞬間はコージローや私たちの胸の中にいつまでもいつまでも刻み込まれているのだ。その思い出を大事にしながら確実に自分の力で歩み出しているコージロー君。「永田さん、紗知さん、俺に彼女ができたら2人でライブハウスに行きますから、そのときは「my one and only love」を演奏してくださいよ~。」この約束はまだ果たしていないけど、いつか顔出してほしいなあ。
多田さんの書いた「オケラ5世優勝す」という本がもとで私もコージローも多田さんと出会い冒険が始まった。コージロー君の本を下さった友人がぜひ「オケラ~」を読みたいと本屋で探したところ、すでに絶版になっていて販売していないそうだ。古本でもいいので貸してもらえないでしょうか、と言われたのだが我が家でもちょっと今見当たらない。どなたかお持ちの方で貸してあげられる方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。