minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

226楽屋猫話

2013年02月28日 | 家族の日常
山下洋輔さんの無類の猫好きは有名。でも宇崎さんまで猫好きだったとは・・・。

洋輔さんのご著書の中にも<2週間ほどいなくなって戻って来ない猫ちゃんがいて、心配していたが、とうとう近所の神社にお参りに。「猫が戻ってきますように。」と頼んだ翌日、自宅の台所に鎮座して「にゃあ」と鳴いた>という話があります。その話をあちこちで書いたり喋ったりするうちに、そこの神社が有名になり国立の「猫返し神社」という名前までついて名所になっているとか。

山下「うちの外猫はそれ以来、心配なんで首輪つけて玄関の外には出られるけど範囲は決まっていてそれ以上行くと首がぎゅっとなって行けないようにしてるんですよ。あいつら、出てったら出っぱなしだから。あはははは。」
紗知「なんだか犬みたいw!」
山下「それでも猫は外にちょこっとでれば喜ぶんだよね。もう一匹の外猫なんぞ、家にいるときは俺に猫なで声で甘えてくるくせに、外で会うと知らんぷり。酷い時はうなり声まであげやがる(笑)。オスなんてそんなもんですw。」
宇崎「僕の家にも外猫が毎日やってくるようになって、餌を与えていたらどんどん近づいてくるから、目の前に顔だして、『おい、お前は毎日この餌を食べに来ていいんだぞ。』って喋りかけていたら、リーゼントの髪の毛が目の前にぱらっと落ちたんですよ。その瞬間に餌食べていたノラ猫がパッと猫パンチを出して来て、目の前が一瞬真っ暗に・・・。」
一同「ええええ?どうなったの??」
宇崎「恐る恐る目に手をあてたら、たら~っと血が流れていて目が真っ赤。鏡で見たら目から何かが垂れてるんで、夜中の2時(!)頃だから、慌てて救急病院へ行ったんだけど、担当医師がいなくて助手のような人に目から垂れているものをとりあえず切ってもらって応急処置して帰って来たんです。翌日もう一度その病院に行ってちゃんとした医者に見てもらったけど医者がカルテ見て『猫パンチで・・・』って吹いてるんですよ。恥ずかしかったなあ。その猫ですか?すっかりそのあと家猫になって長生きしました。」

猫好きが集まるといつもこんな話で延々終わりがないのであります。我が家にも猫が2匹いて・・・・・・。





港のヨーコで幕を閉じた226

2013年02月27日 | ライブとミュージシャンたち
昨日は寒い中、本当に有り難うございました。平日にも関わらず江古田Buddy大入り、250名ほどのお客様で埋め尽くされました。

原田芳雄さんは宇崎さんの事を音楽家としても歌手としても尊敬していらした。そんなお二人の関係で、事あるごとに芳雄さんのコンサートにゲストで出演されていたので、私も20年以上前からの知り合いになる。

宇崎さんと初めてお会いしたすぐあとに、北海道ユニバーシアードのオープニングアクトのお仕事をいただき、金子飛鳥vlnちゃんや木津茂理、かおり姉妹(和太鼓)とツアーした事があったっけ。

芳雄さんが亡くなって、昨年は追悼コンサートに出演、その時に再会し、また「原田芳雄追悼特集」の映画芸術での対談なども重なって「さっちゃんとはきっとご縁があるんですね。またどこかでご一緒しましょう。」とおっしゃって下さった言葉を私は決して忘れなかった・・・。



宇崎さんと言えばやはり「港のヨーコ~~」。私たちの世代の人たちは青春時代をこの曲とともに育った人が多いだろう。そして、改めて聞返すと、ラップ形式を取り込んだ先端をいく歌だったのだなあ、と今更ながら関心する。宇崎さんと何の曲をやりましょうか?と相談しているときに、無謀だ、と一端はトシキに止められたのだが、やはりどうしてもこの曲を歌ってもらいたい!という願いが強かったので、恐る恐る尋ねてみると・・・・「あ、いいですよ。」とあっけなく了承して下さったので、さらに「途中でフリーになっちゃったり、スイングになったりしてもいいですか?」と図々しく聞いてみた。

「もう、さっちゃんのアレンジで好きなようにやってください。」

やったあ~!と喜び勇んで、港のヨーコや宇崎さんのリクエスト曲「Slow Boat to China」をビバップ風にアレンジしたり、天国の芳雄さんに捧げた「横浜ホンキートンクブルース」と好き勝手やらせて頂いた。宇崎さんの名曲「相聞歌」も山下さんとのDUOから、と無茶ぶり。
「こんなアレンジじゃ歌えないよ!」と言われたらどうしよう、と前日のリハーサルまでドキドキしながら・・・・。




昨年は70歳(古希)の誕生日をベトナムで演奏された洋輔氏も今年は戻って来て下さり、「ぎゃはは~!」と笑いながら私のわがままに文句一つ言わずにおつきあい下さって、かれこれ20年以上。「港のヨーコ」が生で共演できるなんて嬉しいなあ、とベースラインを嬉々として弾いていた姿が可愛らしかった。




はちゃめちゃな部分も多々ありましたが、これも全てご愛嬌、という事でご勘弁ください。いつも支えてアレンジをチェックしてくれる永田利樹、いつもパワフルかつ美しいドラミングの本田珠也くん、北海道からとんぼ帰りで出演してくれた大儀見元perちゃん、そして19歳でよく頑張ってくれたRIO、みんなみんな素晴らしい演奏をありがとう!!器の大きなミュージシャンたちに囲まれて本当に幸せものです。












そしてそして沢山のメッセージや心のこもったプレゼントを頂き本当に感謝しております。

ステージで「52歳になりました!」と言ってしまったけど、本当は53歳(汗)。サバ読んでごめんなさ~~~い。もう、50歳すぎたら1歳くらい関係ないけど、同級生たちが来ていると歳も間違えられないねw。

こんな私ですが、これからも暖かく見守ってくださいまし。226だけでなく、他のライブにもぜひ足を運んで下さいね~~~!

写真提供:青山景一








うっちゃん、ケンちゃん!

2013年02月21日 | ライブとミュージシャンたち
かわさきFM
『内海利勝 LOVE & PEACE 同じ空の下から』


前日の雪まじりの寒さが嘘のようにポカポカとお日様がさした昨日、内海利勝(元キャロル)のうっちゃんのラジオ番組に出演してきました。上のタイトルをクリックすればラジオ放送が聞けます。

うっちゃんがラジオ番組をやっているらしい、という噂は前から聞いていたのですが、尾瀬のプロボーダー、健ちゃんとのひょんな関係から・・・・ラジオでそのあたりは喋ってますので聞いてみてくださいね。

うっちゃんってひょうひょうとしていて寡黙。あまりぺらぺらと喋るイメージがなかったのですが、ちゃんと番組を進行したり、アナウンサーの女性(エミィさん)との軽妙なトークでびっくりでした!うっちゃんって人間が素晴らしいから、そのあたりは人柄がにじみ出てます。キャロルの頃からうっちゃんって潤滑油のような存在だったみたいだし、芳雄さんのバンドでも本当に癒されてました。



しっかり226と[La Maravilla]の宣伝をさせていただき、最後にソプラノで生演奏もやっちゃいました!

ミキサーの方も「こういう生演奏が聴けるなんて本当にしあわせだわ。」とニッコニコ。やっぱりサックス持って行ってよかったなあ。時間の関係でちょこっとテーマ吹いただけですけど。

30分の生放送、お時間がある方はぜひ視聴してください。




ジョン・コルトレーンの素顔、第2弾!

2013年02月15日 | ライブとミュージシャンたち
世の中がバレンタインだ、チョコだ、と騒ぐのを尻目に、わたしゃ朝から免許の更新で江東試験場まで出かけた。この時期が来ると「絶対に次回はゴールドカードになって、近所の警察ですませるぞ!」と心に誓うのだが、いつもなにか交通違反をしてしまい、結局、東陽町まで足を運ぶはめになる。とほほ。

今回驚いたのは、申請用紙に写真を貼る、というような面倒くさいものが省略されていたこと。ああ、それでか。写真を撮る代書屋がずらっと並んでいた東陽町の駅前がすっかり様変わりしていたのだ。帰りに裏道を通ってみたが、1,2軒それらしきものはあったが「免許証のコピーが必要です」と書かれた看板が・・・。これじゃあ商売が成り立たないだろうなあ、と思いつつ通り過ぎる。

我が家では昨年から節分の儀式もやらず(昨年のブログに書いたけど、突然『俺はこの行事が嫌いだった!』とトシキがカミングアウトしたため、急遽豆まきを中止したのだ)、バレンタインも特にやらない(これは嫌いだった、とは言ってないけど)。

それでも街中がチョコ買わないの?という無言の圧力をかけてくるので、とりあえず、スーパーで可愛いチロルチョコを買ってごまかした(汗)。でもこれが意外と美味しかった。


「チョコっと気餅」というネーミング(おやじギャグ!)でわかるようにお餅がチョコに入ってるのだ。ふふふ。

閑話休題。バレンタインとは何の関係もないけど、昨日突然NYのSteveからメールが来た。

「サチはこの写真見た事ないでしょ?だからプレゼントします。」



そう言ってジョン・コルトレーンのめずらしい写真が2枚送られて来たのだ。Steveは私がMy Favorite Thingsを沢山集めていた事も知って、次々に「これ、聴いた事ないでしょう?」とめずらしい音源を送ってくれたり細やかな気遣いをいつも忘れない、とても優しい人なのだ。

私にとって神様のようなコルトレーンが、息子ラビをだっこしている。ただの父親の姿になっているめずらしい写真。トップのは●●で捕まったときの・・・じゃない、若い頃の写真。ここにも紹介しちゃいます。ありがとう、Steve。凹んでいた気持ちがこれでかなり癒されました。もちろん、私もお返しに昨年友人のお父様から頂いたコルトレーンの笑顔の写真を送りました。


撮影:大谷秀之


あさってはminga4 (私、RIO 、永田利樹b、吉田桂一p)でBarrel House で投げ銭ライブです。前回サムタイムの屈辱を胸に、心してピアソラに挑みたいと思いますので、ぜひお越し下さいませ。カンパ制なのでお気軽にどうぞ~~~。


来る者は拒まず・・・30年。

2013年02月02日 | ライブとミュージシャンたち
30年という年月は長いようであっという間だ。カウンターには缶詰が山積み。おつまみに缶詰出すところってあけたの店とここくらいだろうw。この店はいっきさん(もちろんかける音楽も)の魅力で成り立っている。

ぺーぱーむーんでライブをやる度に胃が痛くなったり、いっきさんが満足するような演奏できるのだろうか、とか不安でいっぱいだったあの頃。いっきさんはよく、お客さんに「ライブっていうのは2セット全部聴かなきゃ伝わらないんだ。最後にキラっと光るものが一瞬でもあれば、それでいいんだよ。」と言っていた。

2セット終ってもいっきさんが納得いかない演奏の時は「もう一曲、アップテンポの曲をやってくれ!」とリクエストしてくる。できないくらいの早いテンポで人間の限界に達したあとに起こる化学変化のようなものがジャズにとっては最も大切なもの、といっきさんは私たちに教えてくれた。

「綺麗な、上手な演奏なんか糞くらえ、そんなものには興味ないんだ、まる裸でぶつかりあって生まれてくる何かを見たいんだ。」と口癖のように言っていた。

そんないっきさんとはお客さんもミュージシャンたちもよく喧嘩もした。「なんだい、この因業じじい!」といってべそ書きながら帰って行った若者もいた。アルバートアイラーが流れている中で「さっきの演奏より、このアイラーの方がいい!」と言った若者に缶詰を投げて激怒したこともあった。メガネがふっとんで割れたのにもかかわらず、その青年はあとからイチゴを買って来て謝った。「去る者は追わず、来るものは拒まず」のいっきさんは絶対に喧嘩しても「帰れ!もう2度と来るな!」なんて事は言わない人だった。だから、みんないっきさんと喧嘩しても、次に何事もなかったかのように飲みにやってくるのだ。本当に魅力的な人だと思う。

30年続くという事は並大抵の事ではない。そして、この前のライブには30年(下手すると、前の店時代からだから35年?)通いつづけている常連客たちが集った。まるで同窓会のようだった。高校生も一人いたけどw。

RIOもここが私たちの聖地だということをよく知っている。「なんだか、いつもと空気が違うよな。」とつぶやいていた。そして、2セット目の頭に、ソロをやってくれ、と無茶振りをされて快く演奏。これにはいっきさんもいたく感動していた。





最初から温かい客席の歓声で気を良くした私たちは楽しくあっという間の2セットが終了。昔緊張で胃が痛かった事もあったのに、心から楽しんで演奏できるなんて・・・「さっちゃん、昔と違って、ずいぶん余裕だったなあ。」と東大教授の松原さん。一緒に富士山に登って演奏したときの応援隊の一人でもある。10年振りに聴きに来てくれて、「まさか、『息子が入って3人で演奏する』と聞いていたけど、こんなに立派になっていようとは・・・」とひたすら褒めてくれたのがとても嬉しかった。

演奏後、息子は帰ったが、私たちは常連たちと残って飲んでいると、いっきさんが「さっちゃん、ソロで一曲吹いてくれよ。30年のお祝いだからさ。」

そう言われたら断れるはずがない。ピンガ1杯飲んじゃったからちょっとヘロヘロだったけど、息子もソロを頑張って吹ききったから、いっちょ私もやってみるか。

いっきさんの為に、昔よく演奏したファラオ・サンダースの曲を1曲吹いた。演奏中に走馬灯のように昔の事がいろいろと思い出され・・・気がついたらヘイデンのPassionariaも吹いて、途中でみんながキナパジュンの「不屈の民」で歌い出すシーンも。本当にここの常連客は素晴らしい。みんな音楽が大好きでいっきさんの事が大好きなのだ。そうだ、昔はよく朝まで歌って歌声酒場みたいになっていたっけ...。



私のソロで火がついた永田利樹も2曲ソロベースを聴かせ、最後は2人で2曲。もちろん締めくくりはアイラーのゴースト。



いっきさんのこの笑顔を見たら・・・もう缶詰が飛ぶ事もないだろう。安心してぺーぱーむーんに飲みに行って下さいねw。


これからもできるだけ長くお店が続きますように。いっきさん、美弥さん、そして、素晴らしい仲間たち、本当にありがとう!!



写真提供:チャーリー