エフェスから200km、途中昼食を取りながらだったので、バスに3時間くらい乗っていたのかな
このトルコ旅行は夜便出発だったので、翌朝6時半頃イスタンブールに着き、そこから国内線に
乗り換え、10時過ぎにイズミールに到着。そこからバスに乗って、エフェス遺跡のあるセルチュク
へ。遺跡や博物館を見て廻った後、パムッカレへ移動しました。
今回参加したツアーが良かったなと思う点が、ホテルに夕方到着して、ちょっと部屋で休んだ後
18時半辺りから夕食というスケジュールだったことでした。
翌朝(ツアー3日目)、宿泊したホテルから見た石灰棚です。
まるで雪が積もっているようにしか見えませんね。。。あいにくの天気です。
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パムッカレとはトルコ語で綿(パムック)の城(カレ)という意味で、紀元前の時代から
療養地として珍重されていたようです。
石灰質を豊富に含んだ温泉が石灰岩で出来た台地の崖を流れ落ちながら石灰分を堆積させ、
階段状の石灰棚が作られました。
紀元前2世紀頃、シリアの支配下で街は繁栄し、その後ベルガモン王国エウメネス2世が
ここに宮殿を築き、ヒエラポリスと定めます。しかし大地震で壊滅的な被害を受け、ローマ
帝国が小アジアを征服すると、この地もローマの属州となり、ハドリアヌス帝やカラカラ帝も
ここを訪れたといいます。歴代のローマ皇帝は浴場を作って診療所としたり、神殿や劇場など
を建設していったそうです。豊富な水源を活かして綿花や穀物の栽培などが盛んになり、7世紀
にイスラム勢力がこの地に進入してからも大いに繁栄したといいます。セルジューク朝に入ると
衰退していき、その後、また大地震によって都市は完全に崩壊してしまい、19世紀になるまで
忘れ去られていたそうです。
ヒエラポリスの遺跡の先に石灰棚は
あります。入場チケットは共通です。
日が差してきて、空の青が水面に
映って、とても綺麗でした。
この後、
を見ることも出来ました。
靴を脱いで中を歩くことが出来ます。
意外とごつごつしていて痛いのと
冷たかったです。遊歩道に沿って
お湯が放水されているのか、足湯を
楽しむことも出来ました。
行かれる方はタオルとビニール袋を
忘れずに。あと靴下を脱いで、膝まで
まくりあげられる格好がいいかと思い
ます。
開発ラッシュのためか、現在温泉は
涸れつつあるそうで、ガイドブックで
見るような青々とした湯をたたえて
いるような幻想的な風景ではあり
ませんでした。
宿泊したホテルが見えました。
茶色い屋根が連なっているところ
です。屋外の大きなプールの他に
室内にもプールがあって、夏は
混むんだろうなと思いました。
ヒエラポリスの遺跡群の中に
パムッカレ温泉という温水プール
があります。古代ヒエラポリスの
街を南北に貫く目抜き通りの遺構
の真上に温泉が湧き出している為
プールの底にはかつて大通りの両側
に建っていた大理石や石畳などローマ時代の遺跡が沈んでいるそうです。水中メガネを持って
いって、もぐって神秘的な風景を見てみたかったなって思いました。
この後、セルジューク・トルコの古都コンヤに向かったのですが、途中雪でスリップしてしまった
トラックを見かけました。どんより重たい曇り空が広がっているかと思えば、日が差したり、
雪が降ったり。1日でいろんな天気を見ることができました。
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このトルコ旅行は夜便出発だったので、翌朝6時半頃イスタンブールに着き、そこから国内線に
乗り換え、10時過ぎにイズミールに到着。そこからバスに乗って、エフェス遺跡のあるセルチュク
へ。遺跡や博物館を見て廻った後、パムッカレへ移動しました。
今回参加したツアーが良かったなと思う点が、ホテルに夕方到着して、ちょっと部屋で休んだ後
18時半辺りから夕食というスケジュールだったことでした。
翌朝(ツアー3日目)、宿泊したホテルから見た石灰棚です。
まるで雪が積もっているようにしか見えませんね。。。あいにくの天気です。
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パムッカレとはトルコ語で綿(パムック)の城(カレ)という意味で、紀元前の時代から
療養地として珍重されていたようです。
石灰質を豊富に含んだ温泉が石灰岩で出来た台地の崖を流れ落ちながら石灰分を堆積させ、
階段状の石灰棚が作られました。
紀元前2世紀頃、シリアの支配下で街は繁栄し、その後ベルガモン王国エウメネス2世が
ここに宮殿を築き、ヒエラポリスと定めます。しかし大地震で壊滅的な被害を受け、ローマ
帝国が小アジアを征服すると、この地もローマの属州となり、ハドリアヌス帝やカラカラ帝も
ここを訪れたといいます。歴代のローマ皇帝は浴場を作って診療所としたり、神殿や劇場など
を建設していったそうです。豊富な水源を活かして綿花や穀物の栽培などが盛んになり、7世紀
にイスラム勢力がこの地に進入してからも大いに繁栄したといいます。セルジューク朝に入ると
衰退していき、その後、また大地震によって都市は完全に崩壊してしまい、19世紀になるまで
忘れ去られていたそうです。
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あります。入場チケットは共通です。
日が差してきて、空の青が水面に
映って、とても綺麗でした。
この後、
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靴を脱いで中を歩くことが出来ます。
意外とごつごつしていて痛いのと
冷たかったです。遊歩道に沿って
お湯が放水されているのか、足湯を
楽しむことも出来ました。
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忘れずに。あと靴下を脱いで、膝まで
まくりあげられる格好がいいかと思い
ます。
開発ラッシュのためか、現在温泉は
涸れつつあるそうで、ガイドブックで
見るような青々とした湯をたたえて
いるような幻想的な風景ではあり
ませんでした。
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茶色い屋根が連なっているところ
です。屋外の大きなプールの他に
室内にもプールがあって、夏は
混むんだろうなと思いました。
ヒエラポリスの遺跡群の中に
パムッカレ温泉という温水プール
があります。古代ヒエラポリスの
街を南北に貫く目抜き通りの遺構
の真上に温泉が湧き出している為
プールの底にはかつて大通りの両側
に建っていた大理石や石畳などローマ時代の遺跡が沈んでいるそうです。水中メガネを持って
いって、もぐって神秘的な風景を見てみたかったなって思いました。
この後、セルジューク・トルコの古都コンヤに向かったのですが、途中雪でスリップしてしまった
トラックを見かけました。どんより重たい曇り空が広がっているかと思えば、日が差したり、
雪が降ったり。1日でいろんな天気を見ることができました。
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