海の幸、山の幸、うちの幸

のんきなお料理記録のはずが、いつの間にかレット症候群という難病の娘と日常のあれこれの記録に…。

上映会終了

2017年11月22日 | いろいろ


おゆみ野文化祭で「普通に生きる」の上映会を開催しました。

上映会の最後に、以下のようにご挨拶をさせていただきました。


「普通に生きる」

娘は4歳の時に、レット症候群という難病だと判りました。

医師から病気の説明を受け、私たちは特別な覚悟をすることになりました。

その覚悟とは、娘の病気レット症候群は突然死のリスクが非常に高く10代で命を落とす子も少なくない、

という現実を受け止めるというものでした。


さっきまで、娘は成長がゆっくりながらも『普通の子』として生活していたのに…。

いきなり突き付けられた現実に、娘の将来を考えると、不安や怒りや悲しみが襲いかかってきます。

そんな現実と向き合う中で、ある日はっと気が付きました。

もし本当に10代でなくなる命なら、娘にしてやれる最善とは何だろう? 


答えは『普通に生きる』ということでした。



娘の最善を考えて『特別』な何かをしたとしても、

「あれもしてあげればよかった、こうしておけばよかった」と必ず後悔するでしょう。

どんなに最善を尽くしても、特別なことをしてあげたとしても、きっと後悔することになる。

それならいっそ『特別』は止めよう、と思いました。


娘は普通の幼稚園に通っていました。

卒園後も特別支援学校には行かず、市立の小学校の普通級に進学しました。

私たちは、できてもできなくても ただ『普通』に過ごしたいだけなのです。

『特別な配慮』は必要ないと思いました。

特別な配慮ではなく、自然な思いやりがあれば普通に暮らすことは簡単だと思います。

大人に比べ小さな子どもたちは、ちゃんとそれを持ち合わせています。

何もできないお友だち(娘のこと)を気遣ったり、応援したり…。

子どもたちは特別な配慮ではなく、思いやりだけで娘に接してくれています。

そんな生活を始めてもうすぐ5年になろうとしています。



普通の環境で元気に過ごし、体力をつけ、笑顔を振りまきながら、

娘はびっくりするほどの成長を見せてくれています。

きっとこのまま元気に成人を迎えてくれることでしょう。

他の子どもたちと何一つ変わらない笑顔で、みんなと同じように大人になり、

いつしか『自立』していくのでしょう。



リスクが無くなったわけではありません。

ただ、あれほど恐れていた突然死の心配は、いつの間にか消えていました。

その代り、成長後の娘を思うようになりました。

これは嬉しい不安でもあります。

娘の将来、『自立』を心配できるようになったのですから。



重い障がいを抱えた娘が、『普通に生きる』には? 

自分の人生を切り開くには?


生まれ育ったおゆみ野で、娘がこれからも幸せに生きていけますように。。。


そんな思いを載せてこの『普通に生きる』の上映会をさせていただきました。



ノーマライゼーション、インクルージョン、ユニバーサルスタイル、バリアフリー。

私は娘が生まれた直後、翻訳の仕事に携わっていましたが、

これらの言葉をすべて「思いやり」と訳したいと思っています。


障がいがあってもなくても、高齢であっても、認知症を患っても、

誰もが普通に生きられますように。

このおゆみ野が、私たちが亡くなった後も、

いつまでも「思いやり」で溢れる街であって欲しいと願っています。


コメント
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