おゆみ野文化祭で「普通に生きる」の上映会を開催しました。
上映会の最後に、以下のようにご挨拶をさせていただきました。
「普通に生きる」
娘は4歳の時に、レット症候群という難病だと判りました。
医師から病気の説明を受け、私たちは特別な覚悟をすることになりました。
その覚悟とは、娘の病気レット症候群は突然死のリスクが非常に高く10代で命を落とす子も少なくない、
という現実を受け止めるというものでした。
さっきまで、娘は成長がゆっくりながらも『普通の子』として生活していたのに…。
いきなり突き付けられた現実に、娘の将来を考えると、不安や怒りや悲しみが襲いかかってきます。
そんな現実と向き合う中で、ある日はっと気が付きました。
もし本当に10代でなくなる命なら、娘にしてやれる最善とは何だろう?
答えは『普通に生きる』ということでした。
娘の最善を考えて『特別』な何かをしたとしても、
「あれもしてあげればよかった、こうしておけばよかった」と必ず後悔するでしょう。
どんなに最善を尽くしても、特別なことをしてあげたとしても、きっと後悔することになる。
それならいっそ『特別』は止めよう、と思いました。
娘は普通の幼稚園に通っていました。
卒園後も特別支援学校には行かず、市立の小学校の普通級に進学しました。
私たちは、できてもできなくても ただ『普通』に過ごしたいだけなのです。
『特別な配慮』は必要ないと思いました。
特別な配慮ではなく、自然な思いやりがあれば普通に暮らすことは簡単だと思います。
大人に比べ小さな子どもたちは、ちゃんとそれを持ち合わせています。
何もできないお友だち(娘のこと)を気遣ったり、応援したり…。
子どもたちは特別な配慮ではなく、思いやりだけで娘に接してくれています。
そんな生活を始めてもうすぐ5年になろうとしています。
普通の環境で元気に過ごし、体力をつけ、笑顔を振りまきながら、
娘はびっくりするほどの成長を見せてくれています。
きっとこのまま元気に成人を迎えてくれることでしょう。
他の子どもたちと何一つ変わらない笑顔で、みんなと同じように大人になり、
いつしか『自立』していくのでしょう。
リスクが無くなったわけではありません。
ただ、あれほど恐れていた突然死の心配は、いつの間にか消えていました。
その代り、成長後の娘を思うようになりました。
これは嬉しい不安でもあります。
娘の将来、『自立』を心配できるようになったのですから。
重い障がいを抱えた娘が、『普通に生きる』には?
自分の人生を切り開くには?
生まれ育ったおゆみ野で、娘がこれからも幸せに生きていけますように。。。
そんな思いを載せてこの『普通に生きる』の上映会をさせていただきました。
ノーマライゼーション、インクルージョン、ユニバーサルスタイル、バリアフリー。
私は娘が生まれた直後、翻訳の仕事に携わっていましたが、
これらの言葉をすべて「思いやり」と訳したいと思っています。
障がいがあってもなくても、高齢であっても、認知症を患っても、
誰もが普通に生きられますように。
このおゆみ野が、私たちが亡くなった後も、
いつまでも「思いやり」で溢れる街であって欲しいと願っています。