みゆみゆの徒然日記

日本の伝統芸能から映画や本などの感想、
心に留まった風景など
私の好きなことを綴っているブログです♪

三保松原羽衣薪能は雨・・・

2005年10月08日 | 能・狂言
 またまた・・・私は雨女です・・・ただ、言い訳をさせて頂くと、昨年(私は行かなかった)は台風のために、中止で払い戻しをしたそうで・・・。清水在住の友人にホールまでの行き方を聞いたら、どうやら羽衣まつりは、「雨乞いの舞」とも呼ばれているらしい(爆)雨を呼んじゃうそうです。季節柄、雨の多い時期ですしね・・・。ということで、三保とは真逆の方向(海側とは反対)の清水文化センター付近を通過のバスへと乗り込むのでした。



 これは、会場で地元の物産を売っていたのですが、「羽衣どらやき」(右)と「羽衣煎餅」です。見にくいかもしれませんけれど、どらやきにも天女が!!食べるのがもったいないですが、早速頂きました(笑)美味しかったです!!あといくつか家族へのおみやげに購入しました。
 始まる前、地元の中学生による仕舞の発表会がありました。私が見た時はもうクライマックス(^^;。『土蜘』で糸をまいているところでした。羨ましい・・あれ、一度やってみたいんだよね(^^;。


宝生流 能『巴』
 今年はやたらと義経ものが多いですが、『巴』は義経は出てこないものの、『平家物語』にも登場する女性。巴御前は、源義仲の愛妾であり、女ながらも甲冑を身にまとい、 女武者と呼ばれています。(個人的には『日本のジャンヌ・ダルク』はどうよ・・と思う^^;)巴御前は、宇治川の合戦で義仲と共に死ぬ覚悟でしたが、女である巴の身を案じた義仲は一緒に死ぬことを許さず、一人落ち延びます。とても強いけど、悲しい女性ですね。鎧を身にまとい、長刀持って戦うなんて強すぎですが、これも義仲を思うが故なのでしょうね。
 前シテは意識が飛んでしまいましたが・・(^^;。後場の巴御前は「かっこいい!」という思いと「悲しいな」という思いで見ていました。女性の美しさも出さなくてはいけないし、強さや切なさも出さなくてはいけないですよね。義仲の形見を泣く泣く受け取る姿は、心を打たれました。そして、その形見を身にまとい、去っていく姿も切なかったです。
 
 シテ:小倉伸二郎 ワキ:高井松男 アイ:深田博治
 笛:一噌幸弘 小鼓:森沢勇司 大鼓:柿原弘和


和泉流狂言 『鐘の音』
 萬斎さんがシテです。『にほんごであそぼ』でも、鐘の音の擬音をやっていましたね、あれです。「金(gold)の値」を聞いてこいと主人に言われた太郎冠者は「鐘の音」と聞き違えて、鎌倉の有名なお寺の鐘をつきまくって、音を聞き比べます。
 「じゃあもんもんもん〜〜」「ぱーん」など擬音でお寺の鐘を分けているのが面白いです。以前、建長寺へ行った際、これが一番良い音の鐘か・・・と思ったものです(突きませんでしたよ!!)
 萬斎さん、お忙しいのか表情がお疲れのように思えました。体には気を付けてほしいものです。

 シテ:野村萬斎 アド:深田博治


宝生流 能『羽衣』
 メイン曲『羽衣』でございます。やはり、実際の羽衣の松の前で見たかったです・・・。でも、『羽衣』は小鼓で一番始めにお稽古したり(クセ)、馴染みのある土地の曲なので、一番好きなお能です。
 見ながら、愛鷹山・富士山の方へ飛んでいった天女とはどういう存在だったのか考えてしまいました。宇宙人なのか?本当に天女か?女神様か?!富士山信仰も関係あるのか?などと余計なことを考えていました。(関係ないけど、富士山の周りって・・信仰宗教の総本部とか多いんですよね・・・10年前に話題になって●●●とか・・・ーー;)
 それはさておき、羽衣を返してもらった天女が羽衣を身にまとい、舞う姿は綺麗です。席が遠かったので、装束をオペラグラスでチェックしました。本当に綺麗です(^^)ただ、何度も思いましたが、三保の松原で実際に見たら、どんなに幻想的なんだろうか?と思いました。

 シテ:佐野登 ワキ:高井松男 ワキツレ:井藤鉄男
 笛:一噌幸弘 小鼓:森沢勇司 大鼓:柿原弘和 太鼓:小寺真佐人

 全体的な感想としては、ちょっと音響が悪かったかと思います。どこにマイクを着けているかは知りませんけど、シテの謡が籠もって聞こえたり、思いっきりガサゴソ装束の衣擦れの音が聞こえてきたり・・・(^^;。そして、アナウンスも何度も何度も「三保羽衣“薪能”」と言っているのが、余計現地で見られなかったことに対して悔しくなります(苦笑)・・(;_;)終演後、雨は降っていませんでした。薪能の判断は難しいから仕方ないですね。来年は、現地で見たいです。


 この羽衣まつりでは、「エレーヌ祭り」というお祭りも兼ねていて、どういうお祭りかといいますと・・・(以下、パンフレット引用)フランス人舞踊家エレーヌ・ジュグラリス夫人は1940年代の半ば、フランスにて独学で能を勉強し、能「羽衣」の公演に力を注いでいました。彼女は、「羽衣」発祥の地、三保に愛着を抱きながらも、三保を訪れることなく、1951年、病の為に35歳の若さでこの世を去りました。
 「私の魂は三保に愛着している」という夫人の遺志を果たす為に、夫のマルセル氏は、遺髪を手に三保を訪れました。夫人の三保へと羽衣を愛する心に、清水の人の心は動かされ、羽衣の松の側に記念碑が建てられました。(遺髪が眠っている)

 私も心動かされました。ここまで彼女が愛した「羽衣」と三保。私もだいぶ三保へは行っていないし、改めて羽衣の松やこのエレーヌの碑を訪れたいと思いました。
静岡観光ガイド・三保