葬儀に参列するのも、記事にすることも迷いましたが、参列できなかったファンの方たちのためにも書こうと思います。
能楽ファンの方の皆さん、コメントやメッセージをありがとうございました。それ以外の皆さん、先週から、ずっとこんな感じのことしか書いていなくて、大変申し訳なく思っています。お許しください。
今日は本来ならば、渋谷松涛の観世能楽堂で行われる関根祥人師主催の「花祥会」に伺う予定でした。しかし、チケットが届いた時には、師は亡くなった後でした。私は、土曜日は仕事があることが多いので、この日は仕事を調整してお休みにしていましたから、何もすることがなくなってしまいました。直接教わったりした弟子ではありませんし、一ファンですので、葬儀に参列するのは迷いましたが、何もしないでボーっとしていたら後悔すると思ったのと、他にも知人に頼まれたことなどもあり、参列することにしました。
何よりも、最後に、お礼とお別れを申し上げたかったですし、ご焼香させていただきたいと思いましたので・・・。
本当ならば護国寺ではなく、観世能楽堂にいたかった。というのが本音です。今も正直なところ、そう思います。以前祥六先生のシテ、そして三代で演じられ大変感銘を受けて、それから大好きになった曲である『景清』を今度は祥人さんで見られると思い楽しみにしていたのに・・・。昨年見逃してしまった『石橋』を見るチャンスができたと・・・そう、1週間前までは楽しみにしていましたが、それも叶うことがなくなってしまいました。
私と同じ思いをしている人もたくさんいるでしょう。ご焼香の際、祭壇のご遺影とお骨を前にし、「本当なら能舞台の上で見たかった・・・」と思いつつ、しっかりとご冥福をお祈りしてまいりました。でも、ここではなく能楽堂の・・・能舞台の上にいたかった能をしていたかったということは、主催者であるご本人が一番そう思っていたと思います。(もちろんご家族も、ご出演予定だった方々もでしょう・・・。)
本葬儀では、会場の外におりましたので、読経も弔辞やご挨拶などもスピーカー越しでしか伺うことしかできませんでしたが・・・。変な話ですが、こんなに多くの大の大人の男性が嗚咽を漏らしながら祥人さんのことを「惜しい」「寂しい」だけでなく、「誇りだ」「自慢だ」などという言葉を出されて・・・・。それを聴いて、この方の生涯は短かかったかもしれないけれどとってもカッコイイ生き様だったんだなと感じました・・・。特に学習院の同級生でもある宝生流の金井雄資さんの大変心のこもった弔辞は、思わずこちらももらい泣きしてしまったほどでした。「祥人、戻ってこい!」・・・は参列者全員の思いです・・・。
そして、お父上の祥六先生も大変憔悴しきっておられました・・・。誰よりも一番辛いのは祥六先生に違いないと思っています。でも、これからは祥人さんのご子息である祥丸君を心の拠り所として、祥人さんを一から仕込んできたように、祥丸くんの面倒をみていくと仰っていました。小さいころから「何でも一生懸命やれ」と言ってきたと。何でも一生懸命にやる子だったと。死ぬ前も、死ぬ時も一生懸命でした。と・・・。
後で、最期のご様子をある方経由で伺いましたが・・・・亡くなるときも、本当に一生懸命な方だったんですね・・・・(泣)
一生懸命すぎたから、早く亡くなってしまったんですね・・・。
神様は伝説を作りたくて、自分の側に置きたくて、祥人さんの命を奪ったのでしょうか?
私はこんな伝説ではなく、ずっと何年も先の、貴方の舞台を見たかったです。でも、これもきっと運命なのでしょうね。伝説になってしまったのですね。どうか、天国で思う存分に大好きだった能を舞ってください。あの素敵な声で謡ってください。祥丸君のことも見守ってください。でも天国でもがんばりすぎないでくださいね。
私は今度はファン仲間の方と共に祥丸君のことを見守っていくつもりです。私はこれから「関根祥人の能はすごかったんだから!」と人に自慢し続けようと思います。
祥人さんのお能に出会えたことを感謝します。偶々お会いしたときに、ご挨拶をさせていただいたことがありますが、そのときに返ってきたお茶目な言葉は・・・ここでは書かずに、自分の胸の中にしまっておこうと思います。そして、これまで観てきた祥人さんのお能も、永遠に自分の心の中に大切な思い出としてしまっておきます。
改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。どうか安らかにお眠りください。
能楽ファンの方の皆さん、コメントやメッセージをありがとうございました。それ以外の皆さん、先週から、ずっとこんな感じのことしか書いていなくて、大変申し訳なく思っています。お許しください。
今日は本来ならば、渋谷松涛の観世能楽堂で行われる関根祥人師主催の「花祥会」に伺う予定でした。しかし、チケットが届いた時には、師は亡くなった後でした。私は、土曜日は仕事があることが多いので、この日は仕事を調整してお休みにしていましたから、何もすることがなくなってしまいました。直接教わったりした弟子ではありませんし、一ファンですので、葬儀に参列するのは迷いましたが、何もしないでボーっとしていたら後悔すると思ったのと、他にも知人に頼まれたことなどもあり、参列することにしました。
何よりも、最後に、お礼とお別れを申し上げたかったですし、ご焼香させていただきたいと思いましたので・・・。
本当ならば護国寺ではなく、観世能楽堂にいたかった。というのが本音です。今も正直なところ、そう思います。以前祥六先生のシテ、そして三代で演じられ大変感銘を受けて、それから大好きになった曲である『景清』を今度は祥人さんで見られると思い楽しみにしていたのに・・・。昨年見逃してしまった『石橋』を見るチャンスができたと・・・そう、1週間前までは楽しみにしていましたが、それも叶うことがなくなってしまいました。
私と同じ思いをしている人もたくさんいるでしょう。ご焼香の際、祭壇のご遺影とお骨を前にし、「本当なら能舞台の上で見たかった・・・」と思いつつ、しっかりとご冥福をお祈りしてまいりました。でも、ここではなく能楽堂の・・・能舞台の上にいたかった能をしていたかったということは、主催者であるご本人が一番そう思っていたと思います。(もちろんご家族も、ご出演予定だった方々もでしょう・・・。)
本葬儀では、会場の外におりましたので、読経も弔辞やご挨拶などもスピーカー越しでしか伺うことしかできませんでしたが・・・。変な話ですが、こんなに多くの大の大人の男性が嗚咽を漏らしながら祥人さんのことを「惜しい」「寂しい」だけでなく、「誇りだ」「自慢だ」などという言葉を出されて・・・・。それを聴いて、この方の生涯は短かかったかもしれないけれどとってもカッコイイ生き様だったんだなと感じました・・・。特に学習院の同級生でもある宝生流の金井雄資さんの大変心のこもった弔辞は、思わずこちらももらい泣きしてしまったほどでした。「祥人、戻ってこい!」・・・は参列者全員の思いです・・・。
そして、お父上の祥六先生も大変憔悴しきっておられました・・・。誰よりも一番辛いのは祥六先生に違いないと思っています。でも、これからは祥人さんのご子息である祥丸君を心の拠り所として、祥人さんを一から仕込んできたように、祥丸くんの面倒をみていくと仰っていました。小さいころから「何でも一生懸命やれ」と言ってきたと。何でも一生懸命にやる子だったと。死ぬ前も、死ぬ時も一生懸命でした。と・・・。
後で、最期のご様子をある方経由で伺いましたが・・・・亡くなるときも、本当に一生懸命な方だったんですね・・・・(泣)
一生懸命すぎたから、早く亡くなってしまったんですね・・・。
神様は伝説を作りたくて、自分の側に置きたくて、祥人さんの命を奪ったのでしょうか?
私はこんな伝説ではなく、ずっと何年も先の、貴方の舞台を見たかったです。でも、これもきっと運命なのでしょうね。伝説になってしまったのですね。どうか、天国で思う存分に大好きだった能を舞ってください。あの素敵な声で謡ってください。祥丸君のことも見守ってください。でも天国でもがんばりすぎないでくださいね。
私は今度はファン仲間の方と共に祥丸君のことを見守っていくつもりです。私はこれから「関根祥人の能はすごかったんだから!」と人に自慢し続けようと思います。
祥人さんのお能に出会えたことを感謝します。偶々お会いしたときに、ご挨拶をさせていただいたことがありますが、そのときに返ってきたお茶目な言葉は・・・ここでは書かずに、自分の胸の中にしまっておこうと思います。そして、これまで観てきた祥人さんのお能も、永遠に自分の心の中に大切な思い出としてしまっておきます。
改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。どうか安らかにお眠りください。